R・キング騎手の夢: 急がば回れ、豪トップジョッキーへの道
Best Of David Morgan: 母国のアマチュア騎手から競争の激しいシドニーのリーディングトップ10の常連へと成長した、ある英国人ジョッキー、レイチェル・キング騎手の物語。
R・キング騎手の夢: 急がば回れ、豪トップジョッキーへの道
Best Of David Morgan: 母国のアマチュア騎手から競争の激しいシドニーのリーディングトップ10の常連へと成長した、ある英国人ジョッキー、レイチェル・キング騎手の物語。
2024 10 30キルタークサンダーが最後から2つ目の障害に差し掛かった時、レイチェル・キングはすでに力尽きていた。疲労が衰えていく筋肉を圧迫していた。10歳のせん馬が冬のぬかるみから不器用に蹄を持ち上げた時、彼女はまったくその助けになれなかった。カウンティコークの芝を味わった後の公式結果は「落馬」だった。
これが、元トップ障害騎手のエイドリアン・マグワイア調教師が調教する馬での、キング騎手の初騎乗だった。彼女とポイントトゥポイント(訳者注:英愛で見られるアマチュア騎手による障害競走)の調教師である父親のクリス氏は、首の骨折で騎手としての人生を終えることになる前、オールドバークスハントでマグワイアと一緒に騎乗していた。
「エイドリアンは誰かから鞍を借りないといけなくて、それがとても重くて私には持てないほどでした。5、6ストーン(31-38キロ)くらいかそれ以上の、とんでもない重さに感じました」と、小柄なキング騎手はそのアイルランドでの11月の一日を振り返る。
女性用の更衣室はなく、トラックの荷台で間に合わせるしかなかった。コースにはラチもなかった。ボルタでのポイントトゥポイント競走では、藁の束を置いてコースを作っていた。それでも16歳の彼女にとっては心躍る最高の瞬間だった。
「間違いなくアドレナリンが噴き出していました」と彼女は付け加える。
だがそれこそがキングが知り、愛した世界だった。ギャロップで駆け、障害を飛び越える興奮。障害、ポイントトゥポイント、狩猟、ポニークラブ。イングランドのホームカウンティの冬の朝の調教で感じる爽快な清々しさ。
ボルタでの初挑戦は、プロの騎手を目指す挑戦の第一歩でもあった。その道のりは躓き、滞り、幾多の曲折と幻を経て、アイルランドの競馬場や、彼女が青春時代を過ごしたオックスフォード近郊の小さな村ウォーターペリーから遠く離れた場所で、予期せぬ新たな輝かしい始まりを迎えることになる。
12年後、ランドウィック競馬場で行われたスプリングチャンピオンステークスで、数千人のシドニーの観衆の声援を受けながら、キング騎手は最終コーナーで外に持ち出した。騎乗馬メイドオブヘヴンと共にひたすら前に進む時も、同じようにアドレナリンが湧き上がっていた。

彼女は小柄ながらバランスが取れていた。50キロのその体躯は鍛え上げられ、ゴール板に向かって全力を振り絞っていた。牝馬は応え、疲労も物ともせず伸びを見せた。今回は飛び越えるべき障害物はなかった。メイドオブヘヴンがゴールで首を下げて勝利を掴んだ瞬間、そこにあったのは初めてのG1勝利だけだった。
28歳の時、キング騎手はオーストラリアでの3シーズンに渡る見習い期間を経てプロとしての2シーズン目を迎えていた。前シーズンはシドニー・メトロポリタン地区の9位で終えていた。
「シドニーは世界でも最も騎手の競争が厳しい環境です」そう語るのは、メイドオブヘヴンの調教師で、長年キング騎手を支持してきたマーク・ニューナム調教師だ。「レイチェルはそのような環境で非常に安定した成績を残していて、とても優れた騎手として評価されています」
過去3シーズン、現在32歳(訳者注:取材当時)のキング騎手は、シドニーのリーディングで10位以内に入り、2020-21シーズンでは64勝、賞金額820万オーストラリアドルで3位となった。これは世界的に活躍しているであるナッシュ・ローウィラー、ヒュー・ボウマン、ケリン・マカヴォイ騎手らを上回り、トミー・ベリー騎手とチャンピオンのジェームズ・マクドナルド騎手に次ぐ成績だった。
「一緒に騎乗している騎手たちの実力を考えれば、信じられないことですし、さらに良くなり続けています。とても厳しいですが、恵まれていると思います」と、彼女は控えめに語る。
珍しい道のり
キング騎手を知る人々は、彼女の強さ、馬の扱いの上手さ、勤勉さ、そして親しみやすい性格について語るが、誰もが必ず、目標を達成しようとする意志の強さを挙げる。しかし、G1の常連かつシドニーの実力者になるまでの道のりは、決して一直線ではなかった。
ミック・シャノン厩舎で学校の休暇中に経験を積み、アラン・キング調教師の下でアマチュア騎手として騎乗した。また、マーク・アッシャー調教師の下で短期間見習い騎手を務め、クライヴ・コックス厩舎では秘書とアマチュア騎手を兼任した。さらに一時期はヒルウッド・スタッドで生産牧場の秘書も務めた。
最初は2ヶ月のみの予定でオーストラリアに渡り、そこでどんな可能性が開けるか見極めようとした。ジェームズおよびバート・カミングス両調教師の厩舎で経験を積み、その後ゲイ・ウォーターハウス調教師の下で、彼女の意志の強さがついに実を結んだのだ。
「色々と転々とした理由は、自分が本当に何をしたいのか、何度か考えが変わったからでしょうね」と、彼女はイングランドなまりがわずかに残る声で語る。
「心の底では、ずっとレースで騎乗したかった、それだけだったのですが…ただ、スタートを切るまでに時間がかかりました。アマチュア騎手としての騎乗では、その情熱を本当に満たすことができなくて、それが他のことをするようになった理由です。でも他のことをするたびに、結局レースに戻ってきました」

バーバリーキャッスルにある、アラン・キング厩舎では、今でも彼女は「リトル・レイチェル」と呼ばれている。
「私の妻もレイチェルなんですが、彼女を私の娘だと思う人もいました。一度なんか孫娘じゃないかと聞かれたこともあります。一体私のことを何歳だと思っていたんでしょうね?」と、障害競走の有力馬で名を上げ、現在はホリー・ドイル騎手が騎乗して有名になったG1勝ちステイヤーのトゥルーシャンで知られる調教師は振り返る。
平地・障害の両方を手掛ける調教師のキングは、自身の厩舎に来た時の騎手のキングについて、障害騎手になることへの「意志が固かった」と記憶している。トレーナーはその道を勧めることには慎重だったが、次第にその考えに賛同するようになった。
「当時の彼は女性騎手を起用したことがなく、そういうことはあまりしない方だったので、むしろ私に大きな信頼を寄せてくれたんです」と彼女は語る。
「今は、ホリー・ドイル騎手が彼の馬に騎乗して大きな成功を収めるなど、状況はとても変わりました。当時の私も障害レースで騎乗することができるとは思っていなかったんです。仕事をこなし、自分の実力を証明しなければなりませんでしたが、彼は私にその機会をくれました。ただチャレンジさせないのではなく、私が挑戦して何ができるか試してみることを快く認めてくれたのです」
しかし、レイチェル・ブラックモア騎手(訳者注:愛の女性障害騎手、2021年に女性として初めてグランドナショナルを制覇)が障害レースで女性騎手も男性騎手と互角に戦えることを証明する10年以上も前、キング調教師は、この意欲的なアマチュア騎手は平地競走の道を選ぶべきだと感じていた。
「彼女は小柄で非常に軽量だったので、おそらくそれが正しい選択だったのでしょう」と彼は言う。
その見方は、ランボーンの厩舎で彼女を見習い騎手として受け入れたアッシャー調教師も同じだった。
「体格的な特徴から、見習い騎手として明らかに平地向きでしたが、彼女のバックグラウンドとメンタル面は障害競走向きでした。そのため、彼女の本来の考え方が変わり、平地競走の良さに気付くまでに時間がかかりました」と彼は語る。
「しかし彼女は初日から非常に優秀で、もし見習い騎手としてもっと早くスタートを切っていたら、イギリスでもっと良い成績を残せていたと思います。でもそうなっていたら、オーストラリアには行かなかったかもしれません。全てたらればですけどね」
見習い期間はうまくいかなかった。キングが残した成績は半年で1勝のみで、今から振り返ると2009-10年の冬の時期に始めたことがミスだったと考えている。欲求不満を感じた彼女は次のステップに進み、コックス厩舎に事務職として入ったが、そこでも毎日2頭ほどの調教を行う傍ら、アマチュア騎手としての活動を再開した。
「彼女はすでに非常に才能のある馬乗りでした。障害競走で培ったスキルの多くを活かすことができ、私たちの秘密兵器的な存在のアマチュア騎手でした」とコックス調教師は語る。
G1勝ちもあるコックス調教師は、キング騎手に新たな展望を与えた。中堅のアッシャー厩舎とは異なり、コックスの厩舎にはトップクラスのサラブレッドがおり、彼らの調教騎乗は、それまで平地競走に対して消極的だった彼女の中に火花を起こした。
「本当に素晴らしい平地馬に乗ったのは、これが初めてでした。これこそが自分のやりたいことだと、かつてない決意を固めるきっかけになったんです」と彼女は振り返る。「楽しんでいましたし、良い馬に乗ることで得られる高揚感が、間違いなく私を方向付けました」

オーストラリア、そしてその先へ
2018年10月、キングがメイドオブヘヴンを勝利に導いた時、それは彼女にとっても初のG1勝利であり、ニューナム調教師にとっても初めてのG1勝利だった。二人の出会いは、有名なトゥロックロッジステーブルで、ニューナム調教師がウォーターハウス厩舎の助手を務め、キング騎手が新しい上司に見習い騎手としてのチャンスを与えてもらおうと説得していた時のことだった。
しかしウォーターハウス調教師は、キングが厩舎の秘書の経験があることを聞き、その仕事が自分の組織に必要だと考えていた。
キングは「地球の裏側まで来て、地元でしていたのと同じ仕事をするつもりはないと伝えました」と語る。
ウォーターハウス調教師も譲らなかった。彼女はキング騎手を馬1頭と共にアメリカに派遣し、クイーンズランドにおけるチームの管理も任せたが、見習い騎手免許については一向に話が進まなかった。
「あの経験は、おそらく素晴らしいものだったと言えます」とキングは認める。「オーストラリアの競馬についてより深く学び、ルールを覚え、人々と出会い、約1年にわたって多くの馬の調教を行い、レースで騎乗するプレッシャーを感じる前に、すべてに少し慣れることができました」
時間切れになる前にキングの見習い騎手の夢を実現させたのは、ニューナム調教師の介入だった。
「彼女の意志がとても固かったので、私が実際にレーシング・ニューサウスウェールズ(RNSW)に彼女を連れて行き、ゲイに代わって見習い騎手の書類にサインしたんです」と彼は語る。
「レイチェルが馬たちと遠征することは、厩舎にとっても良かったんです。遠征中の彼女の仕事ぶりは信頼できました。クイーンズランドでの2-3ヶ月間、彼女は非常に優れた馬たちの世話をし、とても良い結果を出しました。だから彼女にやらせていた仕事は、ゲイの厩舎にとってとてもプラスに働いていたんです。見習い騎手としてスタートすることは、そういった仕事を制限することを意味しました」
しかし、いったん免許が与えられると、ウォーターハウス厩舎は彼女を支援し、それは今でも続いている。キャリアでの525勝のうち55勝はトゥロックロッジ所属馬によるもので、2022年4月にシドニーカップを制した2頭目のG1勝ち馬ナイツオーダーもその中に含まれる。

2015年3月にタムワースでランキャノンランでオーストラリア初勝利を挙げた後、その期間を17勝で終えた。次のシーズンは31勝に増え、その後カントリーからプロヴィンシャルを経て、メトロポリタンのレースの頂点に至る過程で88勝まで増やした。
ドイル騎手がヨーロッパで女性騎手のレベルを引き上げる一方、キング騎手がオーストラリアに到着した時点で、ミシェル・ペイン、リンダ・ミーチ、キャシー・オハラ、クレール・リンドップのような女性騎手たちのおかげで、すでにその水準は高いところにあった。そのため、ニューナム調教師のように、騎手を男女の区別なく一人の騎手として見る考え方は、決して彼だけのものではない。
「レイチェルには馬を自由に走らせる能力があります。それは教えられるものではないんです。彼女には良い手綱さばきと平衡感覚があり、残りはトップジョッキーが持っている測り知れない要素です。一部の騎手だけが持っているもので、具体的に説明できないものなんです」と彼は語る。
シドニーの騎手陣のトップ10には豊富な国際経験がある。ボウマン、マカヴォイ、マクドナルド、ベリー、ローウィラー、クラーク騎手らは、ヨーロッパ、中東、そして香港と日本での騎乗経験を持つ。キング騎手はまだそうした機会を得ていないが、同じ方向を目指している。
「3ヶ月の免許で日本に行くオファーがあり、その時は行く気満々だったのですが、コロナ禍が起きてしまいました。日本に行ってみたいという思いは強く持っています。日本の競馬は香港と同様に素晴らしいと感じていて、その経験をしてみたいです」と彼女は語る。
「海外での騎乗は、オーストラリアに戻ってきた時にスキルをさらに向上させ、キャリアを高めることにつながるはずです」
ボルタからキングストンブラウントまでの競馬場で、仲間のアマチュア騎手たちとポイントトゥポイントを戦った自身のルーツと思い出を大切にしているのと同様に、彼女は重賞での勝利と、これまで築き上げてきたものを継続していくことに力を注いでいる。
彼女は「私はすぐに立ち止まるつもりはありません」と力強く語る。「この道を見つけるのに少し時間がかかりましたから、まだできる限り多くのものを得ていくつもりです」
Best Of David Morganシリーズ: この記事は2022年に公開されました。