ナイツチョイスのメルボルンカップ制覇を物語るなら、このような脚本になるだろう。有望な1歳馬の購入から始まり、2人の調教師による入念な仕上げ、そしてジョッキーの大胆な騎乗でクライマックスを迎える、緻密な筋書きが立てられたドラマだ。
もちろん、全てがその通りだった。ジョン・シモンズ調教師が見出した掘り出し物の1歳馬、共同調教師を務めるシーラ・ラクソンによる忍耐強い仕上げとプランニング、そしてロビー・ドーラン騎手によるメルボルンカップ史上に残る名騎乗。しかし、それだけが全てだと言い切ってしまうと、メルボルンカップが持つ『栄光の不確実性』、つまりこのレースの素晴らしさが失われてしまうだろう。
メルボルンカップで勝つには強い馬が必要だが、最も強い馬が必ず勝つとは限らない。
レース後の会見中、綿密な準備を語っていたシモンズ調教師が手を上げて話を中断し、一つの裏話を明かした。ナイツチョイスは2023年の冬、サンシャインコーストで行われたG3・ウィンクスギニーを勝利した後に香港から230万豪ドル(150万米ドル)の購入オファーを受けていた。もし、馬主のキャメロン・ベイン氏がこの話を受け入れていたら、この物語は始まらなかった。
「今となってはどうか?今日の優勝賞金と比べれば、あの230万豪ドルのオファーを断ったことがいかに良い決断だったか分かるでしょう」と、ベインが会見に登場し席に着くとシモンズは話を続けた。
メルボルンカップの優勝賞金は440万豪ドル(290万米ドル)で、1歳馬の時にわずか8万5千豪ドル(5万6千米ドル)で購入されたナイツチョイスにとっては大きな黒字となり、売却しなかった決断が正しかったことが証明された。

だがベイン氏は経験から、通常はこのように上手くいかないことも知っている。彼は「馬に費やす大きな投資は、利益が目的ではない」とIdol Horseに語った。
「過去にジョン(シモンズ)と共に所有した3頭にも高額オファーがあり、その中の1頭には100万豪ドル(60万米ドル)と他の2頭には80万豪ドル(53万米ドル)の提示もあったが全て断りました。確かに売ればかなり儲かったでしょうけど……それじゃあ何も楽しくないですよね?」
「お金の問題じゃない。体験こそが大切なんです。今日は父や家族も来てくれていて、これはお金じゃ買えない特別な体験です」
「競馬はコストがかかるビジネスなので、どこまで投資すべきか常に悩みがある。でも最終的にはシステムを信じるしかない。ジョンとシーラ(ラクソン)は素晴らしいシステムを持っているのでね」
ラクソン調教師が2001年にエセリアルでコーフィールドとメルボルンカップのダブルを達成し、カップで女性調教師として初の優勝を飾ってから23年が経つ。メルボルンカップとオーストラリア競馬のシーンはそれ以来劇的に変わってきた。
2024年のカップに出走した23頭のうち9頭は、クリス・ウォーラー厩舎やキアラン・マー厩舎の管理馬だ。これらの大規模な巨大厩舎たちは小規模な厩舎を圧倒し、それを飲み込むかのように規模を拡大しつつある。
今回の勝利は、少数精鋭で現場主義な調教の勝利と言えよう。ラクソンとシモンズが7年前にサンシャインコーストに移住したとき、引退も考えており、手元に残したのは数えるほどの馬だった。現在も手がける馬は26頭のみだ。ナイツチョイスの最終調整も、メルボルンから64km北西に位置する一流の調教施設、マセドンロッジで行ってきた。


シモンズは1990年代にこのマセドンロッジの設立と発展に尽力し、最初にここで調教を行った調教師としても知られる。2002年のG1・ブルーダイヤモンドステークス、2003年のG1・ドゥームベン10000を制した格安馬、ベルエスプリットもこの地で育て上げた。
また、ラクソンもかつてこの施設でエセリアルを調整し、メルボルンカップとコーフィールドカップのダブルを達成している。マセドンロッジで育成されたメルボルンカップ優勝馬は他にも3頭いる。
今回のように、オーストラリア産馬が4戦のステップレースで距離を伸ばしながらカップに挑むのは、かつての伝統的なカップへのステップの回帰だと称賛されている。結果としてナイツチョイスの成績は前走まで、9着、16着、14着、そして5着と目立たず、トータルで42馬身負けていたが、シモンズは自信だけは失わなかった。
「重馬場でパフォーマンスが落ちる馬だと分かっていた。だから暑い日と良馬場を待っていたんだが、今日はまさにその条件が揃った」とシモンズは話した。
「オージー魂、万歳」とラクソンは記者会見で笑顔を見せた。「ヨーロッパの馬は長距離をこなせる強い馬もいるが、オーストラリアは粘り強い競馬が多い。今日は速いペースだったから、ヨーロッパの馬には合わなかったのかもしれない」

アイルランドの調教師エイダン・オブライエンと、彼の国の一部メディア評論家たちが、ヤンブリューゲルがCTスキャンの結果、獣医の判断で回避となったことで大騒ぎした1週間。そんな騒動の後、メルボルンカップには『満足のいく』結果が求められていたが、それが実現した。
アイルランド陣営にとっては、ヤンブリューゲルが回避となり、ウィリー・マリンズ厩舎の本命ヴォーバンがまたも期待を裏切り、僚馬アブサードは不運に見舞われるなど不本意な結果に終わった。一方で、アイルランド出身の騎手ロビー・ドーランがレース後に見せた歓喜の表情が、周囲を笑顔にさせたのだった。
後方から追い上げるドーランの手綱さばきと、その外側で併走していた菅原明良騎手のワープスピードの走りは伝説のような光景だった。
惜しくも優勝を逃したワープスピードだが、高木調教師にとってはまたしても海外実績を積み重ねる快挙となった。ノーザンファームの全面的なバックアップを受けているわけではない高木調教師だが、今年はウシュバテソーロがサウジカップとドバイワールドカップで2着となるなど、大レースでの健闘が続いている。
メルボルンカップのあった火曜日以前、ドーランはメルボルンカップに騎乗した経験がなく、フレミントン競馬場での騎乗もわずか1回のみだった。むしろ、2022年にテレビ番組『ザ・ボイス』で歌手として人気を博したことで知られているかもしれない。ワーウィックファームで調教に騎乗する彼を見出し、声をかけたマーク・ニューナム調教師の慧眼がなければ、ここまでの成功は無かっただろう。


「マーク・ニューナムが教えてくれたんです。一生懸命やれば努力は報われるって」と、ドーランはファンと一緒に写真を撮りながらIdol Horseに語った。
さらに、2022年のメルボルンカップクルーズで、ラクソンと出会ったことも明かした。競馬ファンがブリスベンやシドニーからクルーズ船でメルボルンカップに向かうこのイベントで、ドーランは歌手として、ラクソンはゲストスピーカーとして登場していた。
「そして今、こうしてメルボルンカップを掲げているわけです。嘘みたいな話ですね」