安田記念の3日前、武豊騎手の週末は危機的状況にあった。日曜のG1で騎乗を予定していたアドマイヤズームは、右前脚の爪を傷めたため火曜日に回避。レジェンドに残されたのは、東京競馬場での1鞍だけだった。しかも、その1鞍はメインレースではなかった。
「日曜日休みだと思ってたところ、依頼をいただいて」
武豊は笑いながら、“覚悟”していた週末を振り返った。
その依頼が舞い込んできたのは、水曜日のことだった。急遽組まれたシックスペンスとの初コンビ。そして日曜日、最後の一完歩で安田記念を制した。
57歳2カ月での勝利により、武豊はJRA・G1の最年長勝利記録を更新した。2024年の日本ダービーを56歳3カ月で制した横山典弘騎手を上回った形だ。これで武豊は、JRA・G1レースの最年少勝利騎手と最年長勝利騎手、その両方の記録を持つことになった。
だが、この勝利をレジェンドの記録だけで語ってしまえば、見落としてしまうものがある。
シックスペンスが見せたのは、目が覚めるような切れ味ではなかった。先団でレースを進め、最後まで脚を使い続けるしぶとさだった。そして、それを引き出したのは、短い準備期間の中での武豊の判断と、転厩から3カ月足らずで答えを探ってきた田中博康調教師の試行錯誤だった。
「今までのレースもそうですけど、すごく切れるというよりは、割としぶとい馬かなっていうイメージでした」
初めて実戦でシックスペンスに騎乗した武豊は、レース後にそう語った。
依頼は直前だった。それでも、何も知らないままレースに臨んだわけではない。過去にシックスペンスに騎乗した騎手たちから話を聞き、田中師ともレース前に綿密に打ち合わせた。そこで共有されたのは、前に行っても粘れる馬に仕上げてきた、という陣営の感触だった。
「(田中博康)調教師から『前に行っても粘れる。そういう調教をしてます』と聞いていたので、前でもいいぐらいの気持ちでした」
シックスペンスのスタートは速くなかった。それでもすぐに二の脚がつき、ワールズエンドがハナを切ると、その直後の2番手に収まった。
行く馬がいなければ、自分がハナに立ってもいい。武豊の中には、その選択肢さえあった。結果的には、前に馬を置き、内でシックスペンスにリズムを作らせる形になった。
直線に向いても、逃げ馬のワールズエンドは止まらなかった。外からセイウンハーデスがシックスペンスに迫り、さらに後方からガイアフォースも脚を伸ばしてきた。シックスペンスが一気にレースを決めた瞬間はない。鞍上にも、勝利を確信する余裕はなかった。
「最後の、最後の1完歩で出たという感じだったので、最後まで分からなかったですね」
それでも、シックスペンスにはゴール前でまだ脚が残っていた。逃げ馬を追いかけ、横からのプレッシャーを受け止め、後ろからの差し脚をしのぎながら、最後の一完歩で前に出た。
加速力で相手をねじ伏せた勝利ではない。早めに勝負へ加わり、最後までそこに踏みとどまった。今回の安田記念でシックスペンスが証明したのは、そうした精神面の強さだった。


ここまで歩みは、逸材が順風満帆のまま、約束された未来へ進んでいくようなものではなかった。
2年前、シックスペンスはG2・スプリングステークスを勝ち、G1・日本ダービーへと挑戦したが、結果は9着。その秋には毎日王冠を制したものの、蹄の炎症により予定していたG1・マイルチャンピオンシップを回避した。
翌年の年明けにはG2・中山記念をコースレコードで勝利。そこから大阪杯、安田記念とG1を連戦したが、結果は7着、12着に終わった。秋にはダート転向で新境地を模索したが、そこでも勝ち切ることはできなかった。
国枝栄調教師の定年引退に伴い、シックスペンスは田中博康厩舎へ移った。転厩初戦となったG2・マイラーズカップは7着。田中師にとっても、この時点のシックスペンスはまだ“手探り”の存在だった。
「マイラーズカップの時は本当に手探りの感じで、正直自信もなかったですし、『こんな状態で重賞で戦えるのかな』っていう状態で送り出した経緯もあります」
その一戦を経験したことで、田中師は今回は思い切って臨むことができた。レース前日の乗り込み、ウッドチップコースで行った調教についても、この馬に体を大きく使わせたことが良い方向に働いたのではないかと見ていた。
もう一つの焦点は、今回初めて着用したブリンカーだった。
ただし、それは確信を持って打った一手というより、短い時間の中で馬を変えるための試行錯誤の一部だった。発案したのは厩舎スタッフで、田中師自身にも迷いはあったという。デビュー戦を含めて6戦で手綱を取った、クリストフ・ルメール騎手も、ブリンカー着用には賛成しなかった。
武豊は結果を認めつつも、ブリンカーが完全な答えだったとは言い切らなかった。
「結果が出たのでね、良かったのかなと思うんですけど、やっぱりでも、ちょっと前半行きっぷり良すぎたので、ちょっと効きすぎてるのかなっていう気はしないでもないです」
同様に田中師もまた、勝因を一つに絞ることはしなかった。
「この子の底力を見せられたのかなと思います」
この勝利は、田中にとって芝のG1初制覇でもあった。騎手時代、JRAでG1・1勝を含む129勝を挙げたが、調教師としての歩みは騎手時代を上回る速さで進んできた。レモンポップでフェブラリーステークスとチャンピオンズカップを制し、ミッキーファイトやナルカミで地方交流のG1も勝利するなど、ダートの大舞台ではすでに存在感を示していた。しかし、芝のG1タイトルはまだなかった。
シックスペンスは、その扉を開いた。しかもそれは、国枝厩舎が築いた土台を引き継ぎながら、田中厩舎なりの「味付け」を加えた形での勝利だった。
「国枝先生が大事に作ってくださって引き継いだ形ですけど、もちろんそのベースがあってのことですし、そこからうちの厩舎なりの味付けができて、新たな取り組みを試した中でここまで来れたっていうのは、本当に嬉しいの一言ですね」
次の物語は、すでに遠くに見えている。シックスペンスは8月16日にドーヴィル競馬場で行われるG1・ジャックルマロワ賞に登録している。1998年、タイキシャトルは安田記念を勝った後にフランス遠征を決行し、同レースを制した。
ただし、田中師は先を急いではいない。この勝利はシックスペンスの選択肢を大きく広げたことは確かだが、海外遠征も、次走そのものも、レース後の馬の状態を見てから決めることになる。
「色々な選択肢があると思うんですけど、体質も強い子ではないですし、そのあたりはレース後の様子を見ながら、オーナーサイドと相談しながら決めたいと思います」