カリス・ティータン騎手を燃え上がらせるのは、『無理だ』という言葉だ。
微笑みを絶やさず、陽気な性格で知られているティータンだが、その裏には高みを目指す燃えるような熱い心が秘められている。このインタビューの中で、「自分は何故、香港競馬のリーディングジョッキーに届かないのか?」と尋ねられる一幕があったが、まさにその挑戦的な意気込みを感じる場面だった。
それはまるで、「できない理由を教えてくれ。やれると思うんだ」と言わんばかりの気迫だった。
香港の名手
香港競馬で乗り始めて12年目のシーズンを終えたティータンだが、2023/2024シーズンは86勝を挙げ、騎手リーディングでザック・パートン騎手に次ぐ2位にランクインした。長年積み上げてきた通算勝利数はいつしか、歴代の名騎手に肩を並べる順位に達した。
この記事を執筆している時点で、ティータンの通算勝利数は696勝。香港競馬での通算勝利数ランキングの中だと、ゲイリー・ムーア元騎手(694勝)を抜き、さらに上位にいるのは残り5人という位置にいる。
これより上には、香港競馬が誇るレジェンドの名前が並ぶ。ダグラス・ホワイト元騎手(1813勝)、ザック・パートン騎手(現在1764勝)、ジョアン・モレイラ騎手(1235勝)、トニー・クルーズ元騎手(946勝)、ブレット・プレブル元騎手(804勝)だ。
「そろそろ700勝が見えてきますし、やはり数字は大事です。ここまでの勝利数を積み上げてきたことは誇りに思います。ですが、香港ではモチベーションを保てる何かがいつも存在し、将来の目標もたくさんあります」
そのとき、ティータンは問いかけてきた。「香港でリーディングジョッキーになれないのは何故なのか?」と。
「もちろん、それは大きな目標です。もっと努力する必要がありますし、さらなるサポートも必要です。ですが、ここにいる限りは戦い続けます。挑戦し続け、大レースに勝てる馬を探さないといけない」
「香港競馬の賞金が高いことは、ご存じの通りだと思います。特に大レースでは。勝てば大きな報酬が手に入りますが、正直に言うとお金以上に大切なものがあります」
「大レースに勝ったときの気持ち、努力が報われることが重要なんです。全てはこの瞬間のため。大レースに勝った時は、これまでの努力が全て報われたような気がします」
故郷・モーリシャス
努力と逆境、ティータンはこの意味をよく知っている。2014年当時のインタビューでは、母国での生活についてこのように明かしている。「モーリシャスには2つのタイプの人々に分かれています。大金持ちと、貧しい人々。自分は後者でした」
ティータンは貧しい生活だったかもしれない、だが家族の愛とサポートには恵まれていた。競馬好きが多いこの島で若い頃から乗馬の才能を見せ、毎日学校に行かず浜辺で馬を乗り回した。そしてモーリシャスで騎手になったが、息子に才能を感じた父のプラヴィンは大きな決断をした。
13歳の息子を南アフリカの騎手学校に送り出したのだ。サトウキビ畑で働いていた父は、借金をしてまで息子を良い環境に通わせた。
ティータンは壁にぶち当たった。英語が話せず、フランス語と地元のクレオール語のみ。さらに、南アフリカのダーバンに到着したとき手元にあったのは、ポケットの150ランド(約25ドル)だけだった。
騎手学校は朝の4時に始まり、競争も過酷だ。それでも彼は厳しい競争社会を勝ち抜き、4年以内に南アフリカの見習い騎手チャンピオンに上り詰めた。そして、地元で挙げた500勝近い勝ち星を手土産に、香港へと旅立った。
香港に移籍した2013/14シーズン、当初23歳の彼は注目を浴びていなかった。ティータンと同時期に移籍した実績豊富な2人、コルム・オドノヒュー騎手とニコラ・ピンナ騎手の影に隠れている存在だった。
シーズン開幕日、ティータンはその日に初勝利を挙げた。彼の評価は日に日に上昇し、オドノヒューとピンナは冬までに香港を去った。しかし、ここまで全てが順調というわけではなかった。
突然の病
2022/23シーズンの序盤、甲状腺の病気で3ヶ月の離脱を余儀なくされた。医師は当初、この病気の原因を特定するのに苦労したほど、深刻な病だった。2022年に香港ダービーとG1・QE2世Cを制したロマンチックウォリアーも、これを機に乗り替わりとなった。
フィットネスを維持するため毎日少なくとも2時間のトレーニングを欠かさないティータンにとって、この病は大きな衝撃だった。
「13歳で独り立ちし、それから強くなりました。困難に直面することを恐れたことはなかったですし、やる気も満ちていて、諦めない人生を送ってきました」
「ですが、病気を発症したときは本当にショックでした。完治はせず、ずっと戦い続けないといけないと分かったとき、本当に辛かったです」
2022/23シーズンは最終的に56勝を挙げ、彼は病から立ち直った。『ポジティブ思考』の彼にとって、この逆境も成長の機会だったと振り返る。
「『なんで自分が?』となるかもしれませんが、今は人生を違った視点で見ています。当たり前なんて存在しません。家族との瞬間、競馬場での瞬間を大切にしています。病気になったのはむしろ幸運でした。多くのこと、人生について考え直す機会になりました」
「今では、競馬で良い一日を過ごしたり、それ以外で良いことが起こったりすると、それを心から楽しめるようになりました。香港で過ごす日々は、時間が過ぎるのが早いです。もっと物事を大切にしないといけないですね。明日どうなるか分からない、だからこそ良い瞬間を無駄にしたくありません」
ティータンが注力しているのは、フィジカル面の健康だけではない。コロナ禍での厳しい隔離措置の中、香港競馬の騎手たちには様々なサポートが提供され、そこには瞑想を紹介するスポーツ心理学者も含まれていた。
「大きな助けになりました」とティータンは語り、精神的な支援を求めることへの考えが変わっていく様子を目の当たりにしたという。
「誰だって、助けが必要な時はあります。なぜみんなはそれを口にすることを恐れるのか、自分には分かりません。それは恐れるべきではなく、ただ話して、ただ助けを貰うだけなんです。香港ジョッキークラブがこうした支援を提供してくれるのは、素晴らしいことだと思います」
家族の支え
彼を支えるネットワークの中には、若い家族も含まれる。妻のザビエール・コトローさんと2歳の娘イザベルちゃん、そして香港で調教助手として働く兄弟のマーヴィン。彼には2人の子供がいる。
「イザベルは来年には3歳を迎えます。ここで家族生活をスタートできて嬉しいです」
「香港は私たちにとって故郷です。ここにいられて幸せです。HKJCも素晴らしいです。娘の存在は、自分とザビエールにとってたくさんの喜びをもたらしてくれました。そして、兄弟のマーヴィンもこちらにいます。彼にも娘がいて、男の子も生まれました。イサベルもいずれ、いとこたちと香港で暮らすことになります。家族がそばにいて、本当に嬉しいです」
ティータンにとって香港での生活は未来も明るいが、日本での騎乗も視野に入っている。リーディング2位に入ったことで、JRAの短期免許資格をクリアしたのだ。
「日本や日本競馬は大好きですし、将来的にはそちらでもっと多くの時間を過ごしたいですね」
「香港競馬のシーズンを考えると乗れるチャンスは限られますが、日本にまた行きたいと思っています。日本という国が大好きですし、競馬も大好きです。そして何よりも、日本の方や競馬ファンから受けた温かい歓迎が好きなんです」
香港競馬のリーディングジョッキーという一番の目標に対して、まだ34歳のティータンに残された時間はたっぷりある。通算勝利数の史上最多勝に迫る可能性も夢じゃない。しかし、彼の最大の強みはそれだけじゃない。パートンやホワイトと同じように、香港競馬を踏み台ではなく『故郷』として見ていることだ。
「香港競馬の未来は明るいです。中国での競馬も楽しみですね。面白そうですし、まさに新時代って感じです。香港に来て以来、従化トレセンの発展を目の当たりにしてきました。クラブは競馬をより大きく、より良くするため、投資を惜しみません」