クリストフ・スミヨンの最新ニュース

01/10/2025
世界最高峰の舞台・凱旋門賞、歴史を揺るがす衝撃の瞬間 “トップ5”
世界最高峰のレースのひとつ、凱旋門賞。この100年間、数々の名勝負と物議を醸すドラマを競馬の歴史に刻んできた。今回、衝撃的な出来事を5つ選んで紹介する。
デイヴィッド・モーガン

17/09/2025
これが豪腕の真髄!ムーア不在を救ったスミヨン騎手、愛チャンピオンSで魅せた “神騎乗”
ライアン・ムーア騎手の負傷離脱というクールモアのピンチを救ったのは、ムーアとは「真逆」のスミヨンだった。ドラクロワを勝利に導いた、愛チャンピオンSでの圧巻の騎乗を振り返る。
Hawk Eye View

07/02/2025
「威厳、カリスマ、そしてオーラ」アガ・カーン殿下が逝去、ルメール騎手が惜別の思いを語る
競馬界屈指のオーナーであり、影響力の大きいブリーダーでもあったアガ・カーン殿下がリスボンで88歳で逝去。その功績は計り知れないものだ。
デイヴィッド・モーガン

05/02/2025
2025 BMW 香港ダービー: パワーランキング(2月5日更新版)
4歳クラシックシリーズの一冠目、香港クラシックマイルの結果を基にランキングをアップデート。波乱の旧正月開催、香港ダービー戦線への影響は?
Idol Horse

28/01/2025
南アフリカ競馬で馬上の大喧嘩……過去に起きた騎手同士の乱闘とは?
レース中に騎手同士が殴り合うことは珍しいが、ギャヴィン・レレナ騎手がジェイソン・ゲイツ騎手に暴力的を振るった一件の他にも事例は存在する。そして、おそらくこれが最後の事例でもないだろう。
デイヴィッド・モーガン
クリストフ・スミヨンの騎手としての強みは?
クリストフ・スミヨンは、卓越した戦術眼、揺るぎない闘志、そして絶対的な自信を兼ね備えた天賦の才能の持ち主だ。
生まれながらにしてバランス感覚に優れ、巧みな手綱さばきと高度な技術を誇る騎手であり、その激しい勝利への意欲と、自らを信じ抜いてレースを運ぶ姿勢によって、同時代を代表する名ジョッキーのひとりとなった。

クリストフ・スミヨンの生い立ち
クリストフ・スミヨンは1981年、ベルギー・ブリュッセル郊外のスハールベークに生まれた。父ジャン=マルク・スミヨンはベルギーで障害騎手を務めており、クリストフも幼い頃からポニーレースに騎乗していた。
15歳でベルギーを離れフランスへ渡る。料理人になることを望んでいた母カリンの意向に背き、シャンティイ近郊のグーヴィユーにあるムーラン・ア・ヴァン騎手学校に入学。セドリック・ブータン厩舎に弟子入りし、1997年末にメゾン=ラフィット競馬場で初勝利を挙げると、1999年にはフランスの見習騎手チャンピオンに輝いた。
18歳で重賞初勝利を挙げ、翌年にはヴァオリミクスに騎乗して仏2000ギニーを制しG1初制覇。2003年にはフランスの年間リーディングジョッキー(クラヴァッシュドール)を初めて獲得し、その後通算10度の栄冠を手にしている。
また、アガ・カーン殿下の主戦騎手も2度にわたり務めた。

スミヨンの最大のライバルは?
スミヨンはキャリアを通じて、母国フランスのみならず世界の大舞台でも数多くのライバルと競い合ってきた。
2009年にはアガ・カーン殿下の主戦ジョッキーの座をクリストフ・ルメール騎手に譲ることとなり、その後2014年に再びその地位を取り戻すという、ルメールとの因縁深いライバル関係があった。
また、フランスのリーディングジョッキー争いにおいても、イオリッツ・メンディザバル、ドミニク・ブフ、ステファン・パスキエ、マキシム・ギュイヨン、ピエールシャルル・ブドーといった強豪たちと鎬を削った。
国際舞台では、フランキー・デットーリが長年のライバルであり、両者はしばしば「世界で最もカリスマ性のある2人の騎手」と称されてきた。
スミヨンの記憶に残る騎乗は?
クリストフ・スミヨンにとって最も記憶に残る騎乗は、おそらく彼の最も有名な敗戦だろう。2012年の凱旋門賞において、気性に難を抱える日本の三冠馬、オルフェーヴルがゴール前の数完歩で勝利を手放してしまったあの瞬間である。

しかしスミヨンは、障害レースを含めて11ヶ国でG1・140勝以上を挙げており、2010年にはフランス障害競馬の最高峰であるオートゥイユ大ハードル(仏チャンピオンハードル)も制している。そのため、記憶に残る勝利は数え切れないほどだ。
ジャパンカップでのエピファネイア、エクリプスSでのヴァデニ、英チャンピオンSでのアルマンゾルといった手綱さばきには、彼の手腕が光った。2003年の仏ダービーでダラカニに騎乗した際には、直線で勝負が決した場面で手を振り、ライバルたちに「ついてこられるものなら来てみろ」と挑発するかのような仕草を見せた。
一方で、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSをハリケーンランで制した際には、不作法なジェスチャーと受け取られた行為を見せ、アンドレ・ファーブル調教師との関係を決定的に悪化させる一因ともなった。
しかし、数ある勝利の中でも最も記憶に残るのは、ザルカヴァとの凱旋門賞だろう。内枠からの難しい立ち回りを強いられたが、ロンシャンの急カーブを抜け、窮屈なポジションから見事に抜け出し、名牝を歴史的勝利へと導いたその戦術的妙技こそが、彼の真骨頂であった。

スミヨンとロッサ・ライアンの「肘打ち」事件
スミヨンは2022年、サンクルー競馬場で行われたG3・トーマスブライアン賞で、右肘を突き上げてロッサ・ライアン騎手を落馬させる事件を起こし、国際的に大きなニュースとなった。
この暴力的な行為は一般メディアにも取り上げられ、彼は2度目となるアガ・カーン殿下の主戦騎手降板となった。60日間の騎乗停止処分を経て復帰したものの、この衝動的な行為で他の騎手の命を危険にさらしたという一件は、常にスミヨンの名と結び付けられることになるだろう。
スミヨンは香港での活躍は?
スミヨンは2002年から始まったシーズン途中の短期参戦で数多くの成功を収め、香港競馬ではお馴染みの存在となっている。
これまでに香港で122勝を挙げており、その中にはヴィヴァパタカでの香港ダービー、グッドババおよびアドマイヤマーズで制した香港マイル、ブリッシュラックとグッドババでのステュワーズカップ2勝、さらにサムズアップとビューティーフラッシュでの香港クラシックマイル2勝が含まれる。
それに加え、ゴールドファン、スーパーキッド、ジョイフルウィナーといった名馬でもビッグレースを制している。

香港の競馬ファンから敬愛され、同業の騎手たちから尊敬され、調教師や馬主からは常に騎乗依頼が絶えない。スミヨンは香港において、いまなお変わらぬ人気を誇っている。
香港での成功は、アジア各地でも同様に際立っている。アラブ首長国連邦では98勝、日本では58勝を挙げており、すでに廃止されたシンガポール競馬ではわずか1戦1勝の「無敗」でキャリアを終えている。

クリストフ・スミヨンの悪童伝説
2008年末、香港カップ当日の緊張が、尖沙咀のナイトクラブに持ち越される出来事があった。
ダグラス・ホワイトが「自分が騎乗した中で最も汚いレース」と評したその一戦では、スミヨンはブリッシュラックに騎乗し、ヴィヴァパタカのダレン・ビードマン騎手を閉じ込め、直線でなかなか進路を与えなかった。
ヴィヴァパタカのジョン・ムーア調教師は激怒し、スミヨンが意図的に馬の頭を内側に向けて進路を塞いだと非難した。
しかしその夜、事態はさらに悪化する。ムーアの息子ジョージがナイトクラブ『スティッキーフィンガーズ』でスミヨンに詰め寄り、スミヨンは反撃としてジョージに頭突きを浴びせた。
数ヶ月後、スミヨンはアガ・カーン殿下の主戦騎手の座を初めて失うこととなった。その理由は殿下のチームによって「人間関係の難しさ」と説明されており、中には祝賀晩餐会でのファーブル師への嘲りも含まれており、それが決定打となったとされた。

スミヨンをスポーツチームで例えるなら?
スミヨンは率直に物を言うが、その天賦の才能を思えば当然のことだ。大胆で、時に尊大で、そして驚くほどの才能に恵まれている。どんな場面でも見出しを飾る方法を見つけてしまう存在である。
彼はまさに、全盛期のシカゴ・ブルズ、特に1990年代後半の絶頂期を彷彿とさせる存在だ。
スミヨンの妻は?
スミヨンの妻はソフィー・タルマン氏だ。彼女は1998年のミス・フランスに輝き、現在はフランスを代表する人気司会者として活躍している。
夫妻の間にはシャーリー、ミカ、ロビンの3人の子どもがいる。
スミヨンについての関係者の声は?
ブレット・プレブル(元騎手):
「彼は強くて、勝負に徹していて、戦術的に騎乗していました。他の騎手がやらないことを平然とやってのけたんです。たとえば外ラチ沿いまで持ち出すようなことを。特に印象に残っている勝利のひとつはヴィヴァパタカです」
「彼はまさに“マシーン”で、私が現役で乗っていた時代の中でも定量戦では最強の一頭でした。ダービーの前哨戦で外ラチ沿いに持ち出して、10馬身差で勝ったんです。そしてその後、ダービーも勝ちました。普通の騎手はやらないようなことをやってのけます」
「みんな普通に乗っていましたが、彼は “普通” じゃありませんでした。香港ではあまり冒険をしません、批判されますからね。でも彼は気にしませんでした。たった6週間の参戦で香港を席巻してしまったのです」
「背の高い騎手なのに、バランスが良くて強かったです。攻撃的でしたが、それは計算された攻撃性でした。彼は美しい馬乗りでありながら、勝負どころでは強さを発揮しました。左右の手に自在にムチを持ち替える姿は驚異的でしたし、そのバランス感覚も素晴らしかったです」
「発馬前に暴れる馬に騎乗しても、鐙が外れても全力で駆けさせながら矯正し、そのままレースで勝ってしまうのです。私が対戦した中で、おそらく彼は最高のジョッキーだったと思います」
アンドレ・ファーブル(フランスの調教師):
「スミヨンはトップクラスのジョッキーですが、私は彼が馬を酷使してしまうこと、そしてムチを使いすぎることについて何度も指摘してきました。何度も本人に伝えましたし、それが私が彼を主戦に起用しなかった主な理由でもあります」
「今でも私の好みからすれば彼はムチを使いすぎています。しかしそれはあくまで私の意見であって、他の調教師の中にはそれを好む人もいるようです。とはいえ、スミヨンについては特に大きな問題があるとは思っていません」
「彼は私の友人ではありませんし、これからもそうなることはないでしょう。私は特別気にしているわけではありません」