長年の夢だったアスコット競馬場での騎乗を翌日に控えた夜、ジョッキーは何をするのだろうか。
インド出身のスラジ・ナレドゥ騎手は、シャーガーカップ前夜のかなりの時間をホテルの一室で過ごし、枕の上に立ってバランスを取っていた。なぜそんなことをしていたのか。当然、フライングディスマウントの練習をする必要があったからだ。
そもそも、馬の背から飛び降りるなど、それまで一度もしたことがなかった。それでも2025年のシャーガーカップを翌日に控えた夜、何度も大レースを制し、インド騎手界の重鎮でもあるチャンピオンジョッキーは、万が一に備えていた。
長年の憧れであり、アスコットを象徴する名手、フランキー・デットーリ騎手にアクロバティックな形で敬意を表すためだ。
だが、鞍上から跳び降りるデットーリの有名なフライングディスマウントは、早くから頭角を現した同騎手が若い頃に始めた代名詞だ。一方、ナレドゥはちょうど40歳になったところだった。
「これまでの人生で、フランキー・デットーリのように飛び降りたことは一度もありませんでした」
ナレドゥはIdol Horseの取材に、まるで「自分は何を考えていたんだ」とでも言いたげに笑いながら話す。そして、事の経緯を説明し始めた。
大会前日のことだった。ナレドゥは妻と、アスコットで優勝馬を迎えるエリアに入り、写真を撮っていた。その場所に圧倒されながら妻の方を向き、「明日勝ったら、フランキーみたいにジャンプするよ。フランキーは僕のヒーローだから」と口にした。誰よりもよく知る妻に向けた何気ない一言であり、公に約束したわけではなかった。
ところが、そのわずか数分後、メディアの取材で、レースに勝った場合の祝い方を尋ねられた。
「インタビュアーに『レースに勝ったら、どうやって祝いますか』と聞かれました。そこで、『勝ったらデットーリみたいにジャンプします』と答えたんです。でも、それは軽い気持ちで口にしただけだったんですよ」
「翌朝には、それが新聞の見出しになっていましたんですよ。『何てことだ』と思いましたよ。頭を抱えました。自分はなんてことを公言してしまったんだ、と」
一年前の出来事を思い出しながら、ナレドゥは再び笑みを浮かべる。
「その時まで馬から飛び降りたことなんて一度もなかったので、部屋で枕の上からジャンプする練習を始めたんです」

翌日、ナレドゥはアスコットにいた。2009年のシャーガーカップに出場した叔父、マレシュ・ナレドゥ騎手の足跡を辿っての参戦だ。当時、ナレドゥは叔父の騎乗を現地で見守っていた。今度は叔父に加え、元騎手の父サティシュや家族の面々が、ナレドゥを見守るために一族総出で訪れていた。
馬上から飛び降りる権利が与えられるのは、レースに勝った場合だけだ。シャーガーカップでは、12人の騎手が3人ずつ4チームに分かれ、着順に応じて与えられるポイントを争う。ナレドゥには5鞍が用意されていた。
最初の騎乗は思いどおりに運ばなかった。2鞍目も思うような展開ではなかったため、レースの途中で自ら動き、活路を開くことにした。2マイルのハンデ戦で、先頭のカリス・ティータン騎手が眠くなるほどのスローペースを刻んでいた。
「全員が『ペースを上げろ』と声を上げていました。私は自分に言い聞かせたんです。『このレースに勝つには、スタミナで相手を上回らなければならない。瞬発力勝負になったら勝てないぞ』と」
残り約5ハロンで進出を開始すると、ナレドゥの騎乗馬は先頭に立ってペースを引き上げた。
「先頭で直線に入りました。かなりの賭けでしたね。もし負けていたら、『なぜあんなに早く動いたんだ。もう少し待てたはずだ』と言われたでしょう。でも、騎乗判断としては、待つのは間違いだと分かっていました。正しい選択をしなければならなかった。だから、思い切った決断をしたんです」
「『ここからは自分でレースを作るぞ。あとは結果を待つだけだ』と思いました。これが功を奏し、そのレースに勝つことができました。まさに格別な気分でした」
「今でも、最後の50mで頭の中がかすんでいったような、あの感覚を思い出せます。ゴールを通過した瞬間、しばらく頭が真っ白になりました。ぼうぜんとして、『何が起きたんだ』という感じでした。本当に、本当に幸せな瞬間でした」
しかし、勝った以上はデットーリの如く、フライングディスマウントをしなければならない。練習は十分だったのか。本当に実行すべきなのか。
「『いや、ここまで来たんだ。これは自分にとって特別な瞬間なのだから、思う存分味わおう』と自分に言い聞かせました」
「フランキー(デットーリ)はいつも、いい勝利は祝わなければならないと言っています。これは自分にとって特別な瞬間だと思いました。だから、祝わなくてはと思い、飛び降りたんです」
「もちろん、フランキーのように完璧には決まりませんでした。でも、初めてにしては悪くなかったと思います。それでも、コツは少しつかめた気がします。『次はもっと上手くできる』と自分に言い聞かせました」
騎乗した騸馬、ファイアブレードでの勝利により、ナレドゥはライド・オブ・ザ・デイ賞を獲得。さらに、日本競馬界の新星2人とともにアジア選抜をチーム優勝へ導いた。その2人とは、坂井瑠星騎手と岩田望来騎手だ。坂井騎手は、ダート王者のフォーエバーヤングの主戦を務めている。
ナレドゥは2026年のシャーガーカップにも招待された。だが、アスコット初騎乗で見せた躍動感あふれる活躍は、年下の日本人チームメイト2人との縁も相まって、日本中央競馬会(JRA)の目にも留まったようだ。今年は8月下旬に札幌で行われる国際騎手招待競走、ワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)にも出場する。


アスコットでの騎乗が夢の実現だったとすれば、JRAで騎乗することは、そのさらに上を行く。
日本と香港は、ナレドゥが長らく追い求めてきた2つの「聖杯」だった。香港ジョッキークラブ(HKJC)には何度も、そしてJRAにも短期免許の候補として検討してもらえるよう申請したが、実を結ばなかった。
インド競馬は一段下のレベルと見なされ、主要競走も国際的には正式なG1として認められていない。通常、アジアを代表する香港や日本で騎乗機会を得るには、そうしたG1勝ちの実績が必要になる。
しかし今年3月、コルカタで騎乗していたナレドゥのもとに、サイラス・プーナワラ氏からメールが届いた。JRAは億万長者のオーナーブリーダーであるプーナワラ氏に連絡を取り、ナレドゥへの橋渡しを依頼していた。ナレドゥは返事を送り、JRAからの続報を待った。
「しばらくは、信じられない思いでした。日本のWASJへの出場が正式に決まったと連絡を受けた時は、最高の気分でした。また一つ夢がかないました」
「最近、バンガロールのダービー開催でJRAの関係者数人に会いました。私を訪ねてバンガロールの競馬を見たいということで来てくれたんです。そして資料を開き、日本語で書かれたIdol Horseの記事を見せてくれました。昨年の記事で、私は日本での騎乗に強い関心があると話していました」
「でも、あの一文が自分のキャリアをこれほど大きく変えるとは、夢にも思いませんでした。それに、シャーガーカップのチームメイトが日本人だったこともあります。ただ、日本で騎乗するには、どこへ申請すればよいのか分かりませんでした。それまでうまくいかなかったのも、連絡先が違っていたからだと思います」
ナレドゥは、WASJをJRAの短期免許取得への足がかりと見ている。このシリーズで個人順位5位以内に入った騎手は、JRAの短期騎手免許交付に向けた審査対象となる。
「目標の一つは、まず1勝を挙げてポイントランキングの5位以内に入り、短期免許を取ることです。最初の一歩として、それができれば素晴らしいですね。そして、いつか香港からも騎乗の声がかかればと、心から願っています」
ナレドゥは挑戦を続けてきた。インド国外で自身の評価を確立しようと努めながら、常に学び、向上を目指し、以前にはマカオ競馬やオーストラリア競馬でも一定期間騎乗した。今の自分は、これまでで最も充実した騎乗ができていると考えている。
「今がキャリアのピークだと感じています。海外で騎乗する機会が増え、ここ数年はこうした短期遠征も多くなりました。レースでの経験だけでなく、体をどう維持するか、どの程度の負荷に耐えるべきなのか、どの時期にどれくらい取り組むべきなのかなど、多くを学びました」
「かつてインドでは、騎手は40歳前後で引退するのが一般的でした。それが当時の傾向で、騎手は調教師に転身するか、かなり体重が増えてしまうものでした。あの頃は体力づくりが重視されていなかったんです。みんな調教とレースをこなせば、それで終わりでした。今はもう、そうではありません」
今ではレース当日の方が楽で、レースのない3日、4日、あるいは5日間こそが最も厳しいのだという。
「ずっと体を動かし続けます。トレーニングが大好きですし、スポーツをするのも大好きです。バドミントンもよくしますし、俊敏性を保ち、一瞬で判断できる鋭さを身につけるために、さまざまなスポーツを続けています」
「そうすることで、頭は本当に研ぎ澄まされますし、身体的にも非常にいい状態を保てます。ですから、けがなく過ごせるなら、間違いなくあと10年は騎乗したいと思っています」
ナレドゥは今年のシャーガーカップに向け、トッププロとしてトレーニングや栄養管理、睡眠のリズム調整に真剣に取り組んできたという。大会の1週間半前に英国入りし、ニューマーケットで環境に慣れ、気持ちを本番へ向けながら、マルコ・ボッティ調教師のもとで調教に騎乗した。
今は、昨年と同じくらい素晴らしい経験になることを願っている。当時のナレドゥは、競馬場で最も大きな声援を受けた騎手の一人でもあった。実際、その応援の規模は主催者とナレドゥの双方を驚かせた。
「イギリス競馬では、複数の厩舎でインド出身のスタッフが大勢働いています。以前、私の父や叔父と一緒に働いていた人もいますし、若い世代には、インドにいた頃から私の身近にいて、騎乗する姿を見てきた人もいますし、個人的に知っている人もいます」
「それで、イギリス中から多くの人が、私を見て応援するためにアスコットへ来てくれました。当日、あれほどたくさんの顔を見つけて、本当に驚きました。あんなにも多くの人が来てくれるとは、まったく思っていませんでした」
その応援団から、この日最大級の歓声が上がった。ファイアブレードに騎乗したナレドゥが一気に仕掛けた時だ。ラチ沿いから外へ持ち出し、岩田とティータンの外を回って、最終コーナーを迎える手前で先頭に立った。
「YouTubeでリプレイを見ると、直線へ向くところで、私が先頭に立ってそのまま直線に入るのを見た観客から、どっと歓声が上がります。その歓声はYouTubeでも聞こえるんです。本当に大きな音でした。本当にものすごい応援でした」
「あれが私個人だけでなく、母国インド全体にとっても、どれほど大きな瞬間だったか分かっています。私の成功を願い、インドのために成し遂げてほしいと思っていた人が大勢いたことも分かっています」
🇮🇳 2戦目はアジア選抜のナレドゥ騎手が勝利!
— Idol Horse (@idolhorsedotcom) August 9, 2025
🇬🇧 #シャーガーカップ 2戦目、長距離のシャーガーカップ・ステイヤーズ。ファイアーブレードが勝利、鞍上はインドのスラジ・ナレドゥ騎手。
🇯🇵 アジア選抜の一員、岩田望来騎手は人気薄ながら4着争いの健闘。#競馬 #海外競馬pic.twitter.com/CBdgY4mHeJ
ナレドゥが見せた大胆な仕掛けは、安全地帯からあえて踏み出し、さまざまな土地の競馬を経験しようとしてきた、そのキャリアを象徴するような騎乗だった。すべてがうまくいったわけではなく、時には十分な支援を得られないこともあった。それでも、自分の力と、インド競馬の仲間たちの力を強く信じている。
「3年前にオーストラリア競馬へ渡った時は、単身で渡りました。精神的にも肉体的にも少し疲れ切っていて、何らかの変化が必要だったので、違う環境で騎乗したかったんです」
「最初の1カ月は、騎乗馬を確保するだけでもとても大変でした。それから少しずつ状況が上向き、勝てるようになりました。素晴らしい経験でした。その後シドニーへ行き、そこでも何勝か挙げました。滞在期間は短かったですが、自分ではよくやれたと思います」
「そのすべてが、シャーガーカップへの出場につながったのでしょう。そして今、日本のWASJへの参戦が実現しようとしています。点と点がつながり始めたんです」
「日本競馬でチャンスを得て、できれば香港競馬でも騎乗できればと願っています。でも、やはり私たちに必要なのは、その一度の機会です。チャンスを与えてもらう必要があります」
アスコット競馬場は、ナレドゥに再チャンスを与えた。JRAも、日本競馬への扉をわずかに開いてくれた。状況が上手く進めば、香港競馬でもチャンスをつかめるかもしれない。
しかし、何が起きようとも、アスコットの記憶はいつまでも残る。フライングディスマウントを披露したあの日、ファイアブレードでの勝利、そして観客の大歓声の記憶だ。
「大レースには数多く勝ってきましたが、この勝利は特別です。自分のリストの一番上に置きたいですね。おそらく、騎手人生で最高の瞬間でした」