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北海道のこの地には、濃い色の木の梁と高い切妻屋根を備えた白い厩舎がある。そこでは、2頭の特別な馬が隣り合って暮らしている。一頭の左肩には「H」、その下には香港ジョッキークラブの識別番号「C238」の烙印。もう一頭は、顔や喉元に白い毛が目立ち、老いとともにくぼんだ背中を青い馬着で覆っている。

ゴールデンシックスティはまもなく11歳を迎える。かつて香港競馬を席巻した名馬も、今は馬房で寝藁に鼻先をうずめている。

その隣、わずか1メートルほど先では、日本が誇る名繁殖牝馬、ウインドインハーヘアが奥の窓に顔を向けて立つ。餌を探して馬房の床を跳ね回るスズメにも動じない。35歳、人間なら100歳を超える高齢で、日本にいる存命のG1馬としては最高齢。その姿を目にできること自体が、まさに驚くべきことだ。

近年はどのスポーツでも“レジェンド”という言葉が使われすぎている。だが、ここでは“生ける伝説”と呼ぶにふさわしい2頭が暮らしている。

ゴールデンシックスティは現役時代、香港年度代表馬に3度選ばれ、香港クラシックシリーズを制覇。G1・香港マイルを3勝し、G1競走は通算10勝を挙げた。一時は、世界歴代賞金王となり、香港の競馬ファンを熱狂の渦に巻き込んだ。コロナ禍の重苦しく、気持ちまで沈み込むようなロックダウンの日々に、特別な喜びを届けた馬だった。

そして、ウインドインハーヘア。1995年に欧州でG1レースを制し、その後、日本を代表する名繁殖牝馬となった。競走馬として偉大な王者に上り詰め、種牡馬としても血統地図を塗り替えるほどの影響力を残したディープインパクトの母である。G2を制し、のちに数々の活躍馬の父となったブラックタイドも産んだ。

種牡馬時代のディープインパクトが、当時の欧州競馬を代表する大種牡馬ガリレオに対する「日本の答え」だったとすれば、ウインドインハーヘアはガリレオの母で偉大な名牝・アーバンシーにも重なる存在だ。

ノーザンホースパークでこの騸馬と牝馬を日々世話しているのが、厩舎スタッフの堤はな氏と田澤直沙美氏だ。季節は7月。夏の雨が続き、ウインドインハーヘアは馬房にこもったままだった。担当の堤氏によれば、これは理想的な状況ではない。高齢のウインドインハーヘアにとって、毎日の日課を守ることは欠かせないが、雨の中へ出すわけにもいかないからだ。

「雨で2日間外に出ていないんですよ。なので、外に出るときは(引き手が)引きずられながらになると思います」

堤氏が笑顔でそう言うと、田澤氏も「本当に引きずられたことがあるんですよ」と笑う。そして、堤氏は満面の笑みを浮かべてこう続けた。

「11年目のベテラン職員(田澤氏)が引きずられるところを後で見られると思いますよ(笑)」

Golden Sixty winning the Hong Kong Mile in 2023
GOLDEN SIXTY, VINCENT HO / G1 Hong Kong Mile // Sha Tin /// 2023 //// Photo by HKJC/Alex Evers

田澤氏は、一般客を迎えるテーマパークとしての顔も持つノーザンホースパークで働き始めて11年目になる。勤務を始める前には、専門学校で2年間、馬の扱いについて学んだ。

一方、堤氏は勤続16年目のスタッフ。父の母国である韓国で大学を卒業し、実際に馬と接するようになったのは、日本で馬のケアについて学べる専門学校を修了してからだった。韓国競馬でも馬主として活動するノーザンファーム代表の吉田勝己氏との縁をきっかけに、ノーザンファームに入社し、その後、ノーザンホースパークへ移った。 

2人にとって、ウインドインハーヘアは特別な存在だ。その敬意と愛情は、接する様子からはっきりと伝わってくる。

ゴールデンシックスティにも同じように敬意と愛情を抱いているが、その表れ方は異なる。性格も、歩んできた物語も違うからだ。ゴールデンシックスティは、自分の馬房周辺を縄張りとする意識を、シャティン競馬場で走っていた現役時代から今もいくらか残している。

「お部屋の中では割と自分のプライベート空間を大事にするタイプなので、ちょっと壁を感じるところもあります」

田澤氏はそう説明する一方、来園者には別の顔を見せるという。

「先ほどのようにお外に出したときとかお客様がいらして、それに対応しますとかいう時は、すごく愛想よく接してくれてますね。放牧地とかでもお客様がくるとそちらの方に積極的にお顔を出してくれたりするような様子もよく見られます」

しかし、世話をする担当者に最も強い印象を与えているのは、ゴールデンウィークの知性の高さだ。

堤氏は、ゴールデンシックスティの性格を「好奇心旺盛です」と表現する。だが、それだけではない。

「好奇心旺盛でスマートです。私が経験した馬の中で一番賢いです」

そして、ゴールデンシックスティを運動させた後、短い休憩と水分補給のために馬房へ入れたときのエピソードを紹介してくれた。

「その後もう一回連れて行かなきゃいけないので、無口(頭絡)を取らなくてよかったんですけど、いつもの癖で取っちゃったときがあったんですよ」と堤氏は話す。「で、もう一回つけなきゃなって思って、入口で水を飲んでるのを待ってたんですよね。そうしたら彼が水を飲んでいる最中に、首だけ曲げて私の方を見たんですよ。私が無口をかけたら、また水を飲み始めた」

堤氏の経験では、普通の馬はそのような反応はしないという。

「普通は直感的な本能で水を飲み始めるところなんですが、彼は『あ、無口を忘れたの?』みたいな感じで待っていてくれたんです。普段の世話をしている者として、それが本当に印象に残っているエピソードです」

Golden Sixty outside his barn at Northern Horse Park
GOLDEN SIXTY, MASAMI TAZAWA / Northern Horse Park // 2026 /// Photo by Idol Horse
GOLDEN SIXTY, MASAMI TAZAWA / Northern Horse Park // 2026 /// Video by Idol Horse

現在のゴールデンシックスティは、馬場馬術競技へ向けた練習と実戦を通じ、活動的な日々を送っている。

初めて出場した馬術大会では3頭中2位、直近の大会では16頭中5位だった。馬場馬術で群を抜く存在というわけではないが、そうなる必要もない。競技界のスーパースターという役目は、すでに十分に果たした。今の取り組みは、心身を活発に保ち、健康で幸せに過ごさせ、引退後の生活に目的と充実感をもたらすためのものだ。

堤氏と田澤氏によると、当初は優等生とはいえず、頭を高く上げたままで、求められても屈撓しようとしなかったという。それでも、馬場馬術で騎乗する加藤諒氏が根気強く教え続けた結果、今では「自然に屈撓ができるようになりました」と堤氏は話す。

現在、ゴールデンシックスティに主に騎乗しているのは加藤氏だが、当初からそうだったわけではない。ノーザンホースパークへ到着したばかりの頃は、経験豊富な広瀬氏が騎乗し、ポールを飛越させていた。ところが、それによってゴールデンシックスティは、広瀬氏と障害飛越を結びつけるようになった。それでは馬場馬術の練習にならない。

「広瀬さんは障害飛越のベテランですし、ゴールデンシックスティもそれを感じ取っていたのかもしれません」堤氏は説明する。「広瀬さんが乗ったら跳ぼうとするんです。それだと舞い上がってしまい、ドレッサージュ(馬場馬術)に取り組める状態ではありませんでした」

「そこで広瀬さんは、若いですがとても落ち着いていて、ドレッサージュが得意な加藤さんに引き継ぎました。加藤さんは今年4月から騎乗するようになりました」

現役時代に主戦を務めたヴィンセント・ホー騎手は、自身がこれまで騎乗した最高の馬、ゴールデンシックスティと今も強い絆で結ばれている。定期的に香港から北海道を訪れ、旧友の様子を確かめるだけでなく、自ら騎乗もしている。

ホーはその後、Idol Horseの取材に対し、次のように話した。

「馬主のチャン氏、フランシス・ルイ調教師、そして私としては、あまり障害飛越をさせたくなかったんです。やはり、跳ぶ動作は関節に負担がかかりますからね」

「ですから、基本的には馬場馬術に取り組ませる方向で、とお願いしました。この数カ月で馬場馬術のスキルもどんどん上達しています」

ゴールデンシックスティが競技会へ出るのは、北海道内の大会に限られる。同地の馬術競技シーズンは5月に始まり、10月に終わる。出場は月に1回、多くても2回だ。それ以外の時間は、ノーザンホースパークの厩舎や放牧地で過ごす。

ホーは「ノーザンホースパークでは本当に丁寧に世話してもらっています」と話す。

「スタッフの皆さんは馬を心から愛していますし、この馬の賢さにも熟知しています。何を教えても、私が知るほかの馬より早く覚える子なんですよ。本当に、本当に頭のいい馬です。知性という点では、多くの馬よりはるかに高いと思いますし、何かきらりと光るものがあります」

田澤氏はゴールデンシックスティを馬房から連れ出し、まず厩舎の外でその姿を見せる。それから放牧地へ連れていくと、ゴールデンシックスティはほんの短い間、歩様を次々と変えながら、大きな声でいななく。まるで、居合わせた少人数の観客に自らを誇示するかのようだ。

やがて柵へ近づき、向こう側へ首を伸ばすと、耳をしきりに動かし、尾を振りながら周囲の様子を観察する。その姿は、スタッフやホーが語る好奇心と、特別な輝きそのものだった。

GOLDEN SIXTY / Northern Horse Park // 2026 /// Video by Idol Horse
Wind In Her Hair at Northern Horse Park
WIND IN HER HAIR / Northern Horse Park // 2026 /// Photo by Idol Horse

一方、ウインドインハーヘアは、外へ出る順番を馬房内で静かに待っていた。

この馬は長い年月のなかで、多くを見て、多くを経験してきた。競走馬として非常に高い能力を備えていたが、スターと呼ばれるほどではなかった。1994年のG1・英オークスでは、バランシーンの2着。その後は大レースでの敗戦が続いたが、現役最後の2戦で再び最高の走りを見せた。ドイツのアラルポカルで待望のG1制覇を果たし、G1・ヨークシャーオークスでも、ピュアグレインに敗れたものの3着に好走した。

当時、ウインドインハーヘアの初仔のグリントインハーアイを受胎していた。同馬は競走馬として成功しなかったものの、ウインドインハーヘアの孫にあたるG2馬・ジェレミーを産んだ。さらに、娘のレディブロンドから生まれたもう一頭の孫、ゴルトブリッツは大井のJpn1・帝王賞を制している。

だが、ウインドインハーヘアの名を不朽のものとしたのは、何といっても息子のディープインパクトだった。クラシック三冠を制し、G1・ジャパンカップ、G1・有馬記念、G1・宝塚記念、G1・天皇賞春にも優勝。種牡馬としても圧倒的な遺伝力を示し、11年連続でリーディングサイアーに輝いた。

16頭の産駒を送り出した繁殖生活を終え、ウインドインハーヘアは2012年、21歳で繁殖牝馬を引退した。その後、ノーザンファームで、1歳馬たちの面倒を見るリードホースを務めることになった。

「リードホースは通常、放牧地で一人でいなきゃいけないんですけど、彼女は自身が一人でいるのがとても嫌がっていて、放牧地にもう一頭のリードホースが必要なくらいでした」

堤氏は、ウインドインハーヘアがノーザンホースパークに来た経緯をそう振り返る。

「結局、リードホースの役目からも引退し、こちらへやって来ました」

「ここでの毎朝のルーティーンは、ほぼ完全に決まっています。雨で放牧地へ出られないなど、そういうことで毎日のルーティーンが崩れることを嫌う性格なので、それが理由のストレスで体調を崩してしまうこともあります」

「高齢なので、脚や蹄、関節には多少の痛みがありますが、それでも毎朝30分〜1時間だけでも必ず外へ出します。スタッフの中ではそれが鉄則になっていると思っています。昔と比べても、日常のルーティンを壊さない、というのは大事な馬になっていますね」

その朝は雨の気配がなく、ウインドインハーヘアは外で過ごす時間に備えていた。一方、そこから少し離れ、厩舎には音も届かない会場では、日本最高峰のサラブレッド市場、セレクトセールが開かれ、高額な1歳馬たちが次々とセリのリングに姿を現していた。

その牡馬や牝馬たちには、これから競走馬としての未来が待っている。いずれ繁殖牝馬になる馬もいるだろう。牡馬のうち1頭か2頭は、種牡馬になれるかもしれない。

だが、高い屋根の厩舎で隣り合って暮らす、この2頭に肩を並べる実績を残す馬が現れたなら。それは間違いなく特別な一頭と称えられるだろう。

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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