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先週、読者に「何を知りたいか」を尋ねたところ、同様の質問が2件寄せられた。1つ目はシンプルだが、直視するにはきつい質問だった。オーストラリア競馬から次に出てくるスーパースターの見習騎手は誰なのか。

私の答えははっきりしている。いない。理由は才能ではない、制度だ。

オーストラリア競馬は安全意識が強くなりすぎた。当局は子どもを守っているつもりだが、実際に潰しているのは、偉大な騎手を生む「源」そのものだ。馬に乗る時間である。

要点はこうだ。16歳になるまで調教に乗れない。16歳から乗り始めて、スーパースターになれると期待するのは無理がある。16歳では遅すぎる。スーパースターは、それよりずっと前に形作られる。

どんな分野でも、一流の世界で大成した人間を見れば分かる。テニスのアンドレ・アガシは2歳でラケットを握り、10歳から賞金が出る試合でプレーしていた。テイラー・スウィフトやジャスティン・ビーバーのような音楽家は、子どもの頃から人前で活動していた。

16歳で突然目覚め、「一流になろう」と決めるものではない。それは人生そのものだ。

もちろん、テニスやギターは馬に乗るほど危険ではない。だが私は3歳でポニーに乗っていた。18か月で馬にまたがっている写真も残っている。落馬し、馬が暴走し、ほとんどの子どもが自分の名前の綴りも書けない頃から、私はバランスを学び、恐怖と向き合う術を身につけていた。

10歳で調教に乗り、マタマタの競馬場では12歳のときにG1馬に乗っていた。15歳で、初めてのレースに乗るために学校を1日休んだ。だがその時点で私は、馬がどう動き、どう考え、どう反応するかを、長い時間をかけて本能的に学んできていた。

私は「スカウトされた」のではない。自分で自分を作った。生まれた瞬間から騎手になりたかった。祖父はリーディングジョッキー級の騎手で、父も騎手だった。だが競馬一家の子どもでも、なれない者は山ほどいる。

大事なのは執着だった。14歳の頃、私は朝4時に調教へ行くために自転車をこぎ、調教に乗り、自転車で家へ帰り、学校へ行った。軽い体重を保つために朝食を抜き、そのうえで毎日腹筋と腕立て伏せをした。レースに乗れる日まで、指折り数えて待っていた。他のことは何も重要ではなかった。

A young Shane Dye with his pony Tina
SHANE DYE, TINA / New Zealand // Photo supplied
Shane Dye riding at Ellerslie in 1982
SHANE DYE / Ellerslie // 1982 /// Photo supplied

いまの時代と比べてみてほしい。子どもたちは早い段階で厩舎の馬に近づくことさえ許されない。「待て」と言われる。だが忘れてはいけない。史上最高のジョッキー、レスター・ピゴット騎手は12歳でレースに乗っていた。

オーストラリア競馬では、16歳を迎えると突然厩舎に放り込まれる。稼ぎはわずかで、労働時間は過酷で、周囲には遊びや気の散ることに夢中な仲間がいる。薬物、テクノロジー、手軽な逃げ道。時代が違う。

人々は「なぜダレン・ビードマンやダレン・ガウチのような見習騎手が、もう出てこないのか」と尋ねる。

答えはこうだ。オーストラリア競馬では、1980年代後半以降、「ホンモノ」のスーパースター見習騎手が出ていない。ダミアン・オリヴァー騎手は飛び抜けた見習騎手として現れ、後にスーパースターとなった。それは別の話だ。

制度が機能しているなら、世代ごとに1人は現れるはずだ。私たちは35年間、それを見ていない。それがすべてを物語っている。

英国とアイルランドは違う。子どもたちはポニーレースに出場する。アマチュアとしてレースに出る。毎週のように競馬場へ行き、騎手の格好をして、レース勘を実際にやりながら身につける。だからいま、ヨーロッパはオーストラリアより優れた若手騎手を生み出している。

海外へ出ることは、若い騎手の成長にとって重要な要素になり得る。実際、ヨーロッパの騎手はそうしている。オーストラリアやアメリカで時間を過ごしている。だがオーストラリアの見習騎手が同じことをしているのは、私には見えない。

そしてもう1つの質問。なぜ現代の騎手は、レスター・ピゴット、パット・エデリー、ミック・キネーンほど上手くないのか。いや、現代のレスター・ピゴットはいる。その名はライアン・ムーアだ。彼が馬の背で育ったのは、偶然ではない。

良い面もある。レーシングNSWで見習騎手の指導役を務めたコーリー・ブラウン氏は素晴らしい仕事をした。彼がいた時期に、ザック・ロイド、タイラー・シラー、ディラン・ギボンズがそろって頭角を現したのは、驚くことではない。

香港ジョッキークラブも称賛に値する。香港の子どもたちの多くは、成長過程で馬とほとんど接点がない。にもかかわらず、彼らが提供する仕組み、海外経験、教育は卓越している。

だが、大局は変わらない。スーパースターが欲しいなら、子どもを早くから馬に乗せる必要がある。本能、バランス感覚、意思決定を、子どもの頃から身体に染み込ませる必要がある。安全は重要だ。だが過保護は、次世代が本当に偉大になる可能性を壊している。

オクタゴナルの騎乗はレースの勘

ある読者は、1997年のチッピングノートンステークスでオクタゴナルに騎乗し、残り800m以上を残した時点で最後方から動いて大外を回し、捲るように進出した私の騎乗について質問した。もともと計画があったのかと言えば、ない。まったくない。

ここを勘違いする人が多い。私は「スローになったら動こう」と考えて一気に仕掛けたのではない。レース前に頭の中にあったわけでもないし、スタートしてから200mも走らないうちに考えていたわけでもない。一瞬の判断だった。ペースが異様で、前の馬が下がってきて、そこで本能が前に出た。すべてが一瞬だった。行くしかなかった。

勝つための乗り方とは、そういうものだ。どのレースでも、騎手は絶えず1つの問いを自分に投げかけ続けている。どうすれば勝てるのか。

判断が当たる時もあれば、外す時もある。だがあの局面では、あれが正しい決断だった。

好調のジミー・オーマン騎手、「結果」が伴ってきた

週末の開催後、とある人物が私にこう言った。

「いやあ、最近のジミー・オーマン騎手は乗れてますね」

私の答えはシンプル、ただ一つ。彼は昨季途中、香港へ来た時からずっと良い騎乗をしていた。今、ようやく結果が伴ってきただけだ。

土曜に2勝を挙げたことで、彼の今季勝利数は11勝。勝率は7.5%を上回り、直近の25鞍では5勝を挙げている。

人は結果とパフォーマンスを混同する。両者は同じではない。

私はただリプレーを見るだけではない。私は、全レースの全馬についてリプレーを見て、悪い騎乗のリストを作っている。ジミー・オーマンの名前はそこに出てこない。安定感、落ち着き、位置取り、判断を誤ることがほとんどない。それは週末に2勝したから変わったわけではない。

オーマンが「しないこと」も、同じくらい重要だ。レース序盤に何かがうまくいかなかった時でも、彼はパニックにならない。馬を掛からせない。

ここまで彼を成功させてきたものは何か。その答えはシンプルだ。彼は、どの馬にも、あり得る限りのチャンスを与えるからだ。

香港では、枠順、ペース、そしてチャンスが極めて大きな意味を持つ。見事に乗っても勝てないことがあるし、下手に乗っても勝てることがある。肝心なのは、その違いを見抜くことだ。オーマンはいつも高い水準で乗ってきた。いま、運と結果がようやく噛み合っている。だから人々は、ようやく気づくのだ。

シェーン・ダイ、Idol Horseのコラムニスト。 オーストラリアとニュージーランドで競馬殿堂入りを果たし、1989年のメルボルンカップ(タウリフィック)、1995年のコックスプレート(オクタゴナル)では名勝負を演じた、G1・通算93勝の元レジェンドジョッキー。また、香港競馬では8年間騎乗し、通算で382勝を挙げている。

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