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シャティン競馬場での初調教の日、ジョン・サイズはオーストラリアの田舎街に似合いそうなつばの広い帽子をかぶって現れた。その姿を見て、誰もが「香港に合いそうな人物だ」とは思わなかった。

むしろ、ゆったりとした物腰で飄々とした彼は、香港競馬の激しい競争社会とは相容れないように見えた。だが、サイズは環境に自らを合わせるのではなく、逆に香港競馬を自分の型にはめ込んでしまった。

デビューシーズンにいきなりリーディングを獲得し、香港競馬そのものを変えてしまったのである。

サイズは服装だけでなく、馬の鍛え方も他の調教師とはまったく異なっていた。スピード調教は比較的緩めで、初期の頃は自ら馬に跨がって調教も行った。シドニーのランドウィックで腕を磨いた頃と同様に、調教プールを積極的に活用。馬たちは毎日泳がされ、しかも長時間、速いペースで行われた。

バリアトライアルを多く使い、手歩き運動を重視し、さらに「1日1回給餌」という独特の飼養法も採用。これらは現在もサイズ厩舎の成功を支える柱となっている。

香港では調教タイムがオンラインで公開され、調教はテレビ中継され、獣医は香港ジョッキークラブ所属者しか馬を診られないという透明性の高い環境だが、それでもサイズ厩舎には独特の「謎めいた雰囲気」が漂っている。

John Size horse trainer

しかし、ライバルたちが知りたがる「サイズの秘密」の核心は、結局のところ古風なまでの勤勉さにある。

朝一番に厩舎に入り、最後に帰るというハードワークと徹底した細部へのこだわりだ。静かで温和に見えるサイズだが、その内面には強烈な勝負師としての冷徹さと執念が潜んでいる。

サイズが最も重視するのは、大レースでの一発勝負ではなく、勝ち星の積み重ねと年間チャンピオンの獲得だ。2022-23年シーズンに獲得した通算12度目の調教師タイトルは、香港史上最多記録となった。

サイズ厩舎の代名詞は『プライベートパーチェス・グリフィン(PPG)』と呼ばれる、オーストラリアやニュージーランドから輸入された新馬たちだ。PPGは52という初期レーティングから連勝街道を突き進み、急速に香港競馬の頂点へと駆け上がる。この過程が高い勝率につながっている。

その一方で、こうした若駒輸入に力を注ぐあまり、香港ダービーやG1タイトルといった大レースでの成功は比較的少なくなる。大レースの勝利数を重視する元ライバル、ジョン・ムーア師との対比をより際立たせてきた。

John Size horse trainer

サイズはオーストラリア・クイーンズランド州南東部の田舎町に生まれた。父親はガソリンスタンドを営んでおり、決して恵まれた出自ではなかった。質実剛健な気質はこの地で育まれた。

若い頃は騎手を志したが、成長期の体重増加により見習い騎手の道は断念。それでも競馬への情熱を捨てず、ブリスベンやゴールドコーストの厩舎で働き続けた。最初はパット・ダフ調教師の下で、次にヘンリー・デイヴィス調教師の元で修行を積んだ。

デイヴィスは、大胆な馬券戦術で知られる勝負師でブックメーカーのマーク・リード氏と組んで、大規模な八百長を仕組んだことで有名だった。

その後、デイヴィスが失格処分を受けた際、サイズが厩舎を引き継いだものの、ほどなくデイヴィスが復帰し、サイズは再び振り出しに戻った。サイズは一度調教師を離れ、リード氏の馬券チームで馬を見極めるアナリスト役を担い、その鋭い観察眼を磨いた。

1996年、サイズがシドニーのランドウィックに拠点を移した時、厩舎内のプールは長らく使われていなかったといわれる。だが、彼はそれを復活させ、調子を崩した古馬を再生させる手腕で一気に名を上げた。

1998-99年シーズンには、巨大厩舎のクラウンロッジ厩舎を率いるジョン・ホークス調教師に次ぐ、シドニーリーディング2位に躍進。

翌シーズンは3位となり、複数の重賞勝ちを収めた。そして、香港ジョッキークラブの目に留まり、2001年に香港への移籍が決まった。

John Size horse trainer

サイズ最大のライバルは、香港の “名伯楽” ジョン・ムーア調教師だった。サイズは勝ち星と年間タイトルを重視するのに対し、ムーアは香港ダービーなど大レースの勝利を追求。二人の異なる哲学は、香港競馬のプロとしての変革をけん引した。

サイズは調教師タイトル12回と圧倒的な実績を誇る。一方、ムーアはダービー6勝(サイズは3勝)、香港年度代表馬も9頭輩出しており、サイズはエレクトロニックユニコーン(2001/02年)とグランドディライト(2002/03年)の2頭にとどまる。G1勝利数もムーアの33勝に対し、サイズは17勝だ。

香港で1500勝以上を挙げた調教師はわずか3人。2023年11月に1500勝を達成したサイズ師、2024年4月に達成したトニー・クルーズ師、そして引退時に1735勝を記録したムーア師である。

John Size horse trainer

ムーアは2020年に香港ジョッキークラブの定年規定により70歳で引退したが、その後規定が改正され、2024年時点で69歳のサイズは75歳まで調教師を続けることが可能になった。

現状のペースを維持すれば、サイズはムーアを余裕で上回り、香港競馬史上最多勝調教師として引退することになるだろう。

サイズは、調教師タイトル最多獲得(12回)、シーズン最多勝利数(2016/17年に94勝)、シーズン最多獲得賞金(2017/18年に1億7,644万1,240香港ドル)という3つの香港記録を保持している。

しかし、サイズ師の最大の功績は、20年以上にわたる香港での一貫性、常にチャンピオンシップ争いに絡み続ける驚異的な安定性、そして高い勝率だ。

サイズはまた、型破りなローテーションから生まれたビッグレースでの勝利でも知られる。

2013年のG1・香港マイルを休み明け初戦で制したグロリアスデイズや、変則ローテで香港ダービーを勝利したルガー(2015年)、ピンハイスター(2018年)などがその代表例だ。

Luger horse trained by John Size

ジョン・サイズ師の代表馬はその “システム” なのかもしれない。成功を収めているにもかかわらず、ジョン・ムーア師やトニー・クルーズ師のような数の「チャンピオンホース」を育てていないのは、ある種の異例といえるだろう。

とはいえ、サイズ師のマイルの名馬グロリアスデイズは、紛れもないスターであり、アンビシャスドラゴンとの激闘は伝説となっている。

Glorious Days horse trained by John Size

2017年、サイズ師の初めてのボスであるパット・ダフ調教師は、競馬ジャーナリストのグレアム・ポッター氏にこう語っている。

「ジョンに贈れる最高の賛辞は、彼がトップトレーナーの息子として生まれたわけでも、トップクラスの馬を与えられたわけでもない、ということだろう」

「すべてを自らの力で成し遂げた彼の偉業は、馬に対する生まれ持った素晴らしい感性と、知らないことを学ぶ意欲と献身、そしてその戦略を洗練させ、自分自身のスタイルを確立する知性があることを示している」

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