クリストフ・ルメールの最新ニュース

22/05/2025
激戦必至のオークス、エンブロイダリーが試練の二冠目に挑む
三冠牝馬への挑戦権を持つエンブロイダリーだが、桜花賞で迫ったライバルや、名牝系出身の対抗馬も虎視眈々。混戦模様の優駿牝馬が幕を開ける。
アンドリュー・ホーキンス

18/05/2025
“新世代のマイル女王” アスコリピチェーノ、ヴィクトリアマイル制覇
日曜日の東京競馬場で63年ぶりの1~4着独占という快挙を達成したサンデーレーシングは、その日のメインであるヴィクトリアマイルも制覇。まさに最高の一日となった。
アンドリュー・ホーキンス

12/05/2025
「古い価値観に負けず」ルメール騎手と馬主のスチュワート氏が取り組む、新たな試み
トップジョッキーのクリストフ・ルメール騎手と、馬主のジョン・スチュワート氏。2人に共通するのは、批判を物ともせず、自費を投じた新たな試みで競馬界を変えようとしている点だ。
マイケル・コックス

14/04/2025
モレイラ騎手とエンブロイダリーが桜花賞制覇、森一誠調教師は桜で初戴冠
日本のクラシック戦線初戦、桜花賞はシルクレーシングのエンブロイダリーが制覇。森一誠調教師にとっては嬉しいG1初制覇となった。
アンドリュー・ホーキンス

14/04/2025
オーストラリア遠征で7着のローシャムパーク、ルメール騎手は「休み明け」を指摘
ヴィアシスティーナがまたしても強さを見せたG1・クイーンエリザベスS。日本のローシャムパークはオーストラリア流の競馬スタイルに苦しみ、ジオグリフはレース後に跛行の症状を見せた。
マイケル・コックス
日本で数々の記録を打ち立ててきたクリストフ・ルメール騎手は、フランスで輝かしいG1勝利を重ねた後、2015年からJRAの所属騎手として日本に戦いの場を移した。以来、彼は世界屈指のトップジョッキーとして不動の地位を確立している。フランス、日本、イギリス、アメリカ、オーストラリア、香港と、6か国でG1を制した実績は、まさに時代を代表する名手の証だ。
ルメールの騎手としての強みは?
ルメールの強みは、馬への深い愛情と優れた感性に裏打ちされた騎乗技術にある。
馬の動きを直感的に読み取り、絶妙な手綱さばきとバランス感覚でリズムを伝える。また、レース展開を読む戦術眼と瞬時の判断力にも優れ、先行・差しどちらの形でも完璧なタイミングで仕掛けることができる。ゴール前の接戦で勝負を分ける強さも、彼が世界的名手と称される理由のひとつだ。

ルメールの生い立ち
クリストフ・ルメールこと、本名クリストフ=パトリス・ルメールは1979年5月、シャンティイ近郊で生まれた。パリ北部に位置するシャンティイは、同国を代表する競馬の街として知られている。
父のパトリス・ルメールはパリ地区のトップ障害騎手であり、アンドレ・ファーブルのもとで手綱を取り、通算500勝以上を挙げた名手だった。ルメールは10歳までシャンティイで育ち、父と同じく障害騎手になることを望んでいたが、父が騎手を引退したのを機に一家はフランス南西部へ移り住み、その後は競馬からやや距離を置くようになった。
しかし、15歳のときに再び競馬への関心が芽生えた。騎手学校に進むのではなく通常の教育課程を修了することを選び、その後アマチュア騎手として競馬キャリアをスタートさせた。そして1999年、19歳でファーブル厩舎からプロ騎手としてデビューした。
初めて日本で短期免許を取得したのは2002年12月から翌年3月2日までの3か月間、その間に15勝を挙げた。2005年のG1・有馬記念ではハーツクライを勝利に導き、さらに2006年のG1・ドバイシーマクラシックも制して、日本競馬との絆を強固なものにした。
フランスに戻り、フリーの騎手として活動したルメールは、2003年のジャンプラ賞でヴェスポンに騎乗してキャリア初のG1制覇を達成。その後の2年間は名牝と謳われるディヴァインプロポーションズの主戦騎手として大きな注目を浴び、さらに2011年にはドゥーナデンでメルボルンカップを制し、急遽の代打騎乗ながら世界的な脚光を浴びた。

ルメールはアガ・カーン殿下の契約騎手を4年間務めたが、その契約は2013年末で更新されなかった。
2014年にかけてフランスでの大レース騎乗の機会が減少するなか、彼は日本で築いていた足場に軸足を移し、社台ファームの吉田照哉氏の強力な支援を受けることとなった。
2015年2月には、同じく外国出身騎手のミルコ・デムーロとともに、日本中央競馬会(JRA)の通年騎手免許試験に合格し、日本人以外での史上初の通年騎手として歴史を作った。両者はそれぞれ日本を拠点とすることを決意し、ルメールは妻のバーバラや2人の子どもとともに京都へ移住。その後の彼のキャリアは、さらなる高みへと上り詰めていくことになる。
ルメールの日本での初騎乗は?
ルメールの日本での初騎乗は、2002年12月7日の中京競馬場・第2レースだった。2歳新馬戦で、瀬戸口勉厩舎のクラシカルヴォーグに騎乗し、15頭立ての12着に終わった。この馬は中央競馬所属時に通算8戦したが、10着以内に入ったのはわずか1度だけだった。
ルメールの日本での初勝利は?
ルメールの日本での初勝利は、その翌日、2002年12月8日の中京競馬場で挙げている。浅見秀一厩舎のヤマニンロータスに騎乗し、2歳未勝利戦(第2レース)を勝利した。ルメールがこの牝馬に騎乗したのはこの1度きりであるが、中央競馬所属時の全16戦のキャリアにおいてもこの勝利が唯一のものだった。

ルメール、最大の偉業は?
ルメールの偉業は数え始めればきりがない。2017年には日本人以外として初めてJRAのリーディングジョッキーに輝き、2018年には武豊騎手が持つ年間最多勝記録を更新して215勝という新たな基準を打ち立てた。また、2016年11月6日には、武豊のJRA記録に並ぶ1日8勝を達成している。
しかし、最大の偉業を挙げるとすれば、異国の地でキャリアを築き直し、単なる一流騎手の域を超えて、歴史的名騎手の地位を確立したことだ。JRAリーディングを通算7回獲得し、日本競馬史に名を残す名馬たちに騎乗し、日本の調教師やファンからも絶大な尊敬を集めた。また競馬界の枠を超えた名声を得て、相応の富を築き上げてもいる。

ルメール騎手の有名な騎乗馬は?
イクイノックスが現れる以前であれば、その答えはアーモンドアイだっただろう。彼女とのコンビで牝馬三冠、ジャパンカップ2勝、メイダン競馬場でのドバイシーマクラシックを含むG1・9勝を挙げたからだ。
だが、国際競馬統括機関連盟(IFHA)のランキングで『ワールドベストホース』の称号を手にしたイクイノックスが現れてからは、ルメールが騎乗した最も有名馬としてイクイノックスを推す声も多くなっている。

ルメール騎手の記憶に残る名騎乗は?
ルメールにとって記憶に残る勝利と言えば、2023年のドバイシーマクラシックは有名だ。世界的な注目度を伴ったこの一戦で、イクイノックスを先頭に立たせ、確信に近い自信に満ちた騎乗でレースを完全に支配した姿は、世界中の競馬ファンの記憶に深く刻まれている。
ただし、その評価を争うものとして挙げられるのが、ドゥーナデンとコンビを組んだ2011年メルボルンカップの一戦だ。ゴール前で渾身の末脚を繰り出し、ハナ差で勝利をもぎ取ったあの名騎乗も忘れがたい。
ご存じでしたか?
クリストフ・ルメールは、競馬への愛情を競馬場の外でもさまざまな活動を通じて表現している。
自身のファッションブランド『C L by C』を立ち上げ、競馬界の英雄たちから着想を得た “ストリート・ジョッキー・スタイル” のアパレルを展開。また、ヒップホップアルバム『The Winner’s Circle』を共同制作し、西海岸のラッパー、ヤング・グリッティをはじめとするアーティストたちが参加。その中のシングル曲『Let’s Ride』も発表している。
