ザック・ロイド騎手がWASJで日本初参戦、名門騎手一家出身「豪州トップ級若手」の素顔に迫る
親子4代続く騎手一族に生まれ、シドニーの競馬界で大きな期待を集めるザック・ロイド騎手。「世界進出」の野望に燃える若手有望株が、WASJで日本競馬初上陸。その夢の出発点は幼少期の環境にあった。
ザック・ロイド騎手がWASJで日本初参戦、名門騎手一家出身「豪州トップ級若手」の素顔に迫る
親子4代続く騎手一族に生まれ、シドニーの競馬界で大きな期待を集めるザック・ロイド騎手。「世界進出」の野望に燃える若手有望株が、WASJで日本競馬初上陸。その夢の出発点は幼少期の環境にあった。
2026 08 02ザック・ロイド騎手は、物心がついた頃から、自分は生涯、騎手として生きていくのだと分かっていた。
鞭と手綱を握り、ゴーグルを下ろし、鐙に乗せたつま先でバランスを取りながら、サラブレッドの背で疾走する。それは単なる少年時代の夢ではなく、そうなるのが当然だと思っていた未来だった。ほかの道を歩む自分など、考えたこともない。
父、祖父、曽祖父がいずれも一流騎手だったことを思えば、驚くような話ではない。だが、ザック・ロイドにとっての競馬は、単に血筋に刻まれているだけではない。その魂の奥深くにまで染み込んでいるかのようだ。
父であり、元騎手のジェフ・ロイドに聞けば、それがよく分かる。英国に生まれ、南アフリカで育ち、騎手として鍛えられたジェフは、南アフリカ競馬、モーリシャス競馬、香港競馬、そしてオーストラリア競馬で成功を収めた。
ジェフはモーリシャスで騎乗していた頃、南アフリカ生まれのザックを現地へ連れていったことを覚えている。ザックは、妻ニコラとの間に生まれた3人の子供の末っ子だ。最初に連れていった時、ザックは2歳だった。それから数年もすると、少年は父親にいっぱしの助言をするようになった。
「私はモーリシャスで4年間乗ったので、離れる頃にはザックは5歳か6歳でした」とジェフは振り返る。
「ある日、レースを終えて家に帰ると、私の騎乗を見ていたザックが、『どうしてあの馬で鞭を持ち替えなかったの?』と聞いてきたんです」
「しかも、あの子の言う通りでした。馬が左へ寄れているのなら、なぜ鞭を左手に持ち替えなかったのか。5歳の頃から、そんな質問をしてくるような子供でした」
「面白い子でしたよ。私が覚えている限り、いつも競馬にすっかり夢中で、絶えず質問していました。レースを一緒に振り返っては、いろいろと聞いてきたものです」
「だから最初から、情熱があることだけは分かっていました。その時点で息子に騎手としての能力があるかまでは分かりませんでしたが、競馬への情熱だけは間違いなく持っていました」


そして、それは情熱だけではなかった。彼には騎手としての“腕”も備わっていた。22歳となったザック・ロイドは今、世界で最も将来を嘱望される若手騎手の一人となっている。
「自分は騎手にはならないとか、この仕事で成功できないとか、そんな考えが頭に浮かんだことは一度もありません」
ザックは淡々と言い切る一方で、それが少し変わった発言に聞こえることも自覚している。
「変に聞こえるかもしれませんが、ずっとそうだったんです。目標をはっきり見据えることができれば、半分は達成したようなものです。そして、チャンスを得た時に懸命に努力する。とにかく、ほとんどずっと、これが僕の人生でした」
ザック・ロイドは10代にして、見習騎手ながらスターとして頭角を現した。家族が香港での生活を終えて、2012年にオーストラリアに移住してからは、ゴドルフィンの主戦契約騎手も務めている。
今年だけでも、オーストラリア競馬で最も名誉あるレースの一つ、G1・ゴールデンスリッパーを制覇。さらにロイヤルアスコット開催では注目度の高いブリタニアハンデキャップを勝ち、欧州の競馬関係者にその実力を示した。
最近は生まれ故郷の南アフリカ競馬でも騎乗した。香港ジョッキークラブ(HKJC)の騎手免許を担当する関係者が、その一挙手一投足を把握していることも間違いないだろう。そして今、日本中央競馬会(JRA)の関係者の目にも留まっていることが明らかになった。
ザック・ロイドは8月、札幌で行われるJRAのワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)へ招待された。
「とても楽しみです。招待していただけたことは本当に光栄です」
そう話したザックは笑顔を見せ、「両親のジェフとニコラは、おそらく僕の5倍くらい興奮しています」と明かした。
「僕自身もとても興奮しましたが、母は理由は分かりませんが日本競馬が大好きなんです。いつも僕に、もっと挑戦して、3カ月くらい日本で乗ることを目指しなさいと言っています」
「日本では東京にしか行ったことがなく、北の方へは行ったことがないと思うので、本当に楽しみです。日本競馬には大勢の観客が集まりますし、競馬を愛する熱心なファンの多さは信じられないほどです。現地へ行き、その雰囲気や、ファンがどれほど競馬を愛しているかを目の当たりにするだけでも、間違いなく大きな刺激になると思います」

この夏、世界各地で積んでいる騎乗経験は、今後キャリアを次の段階へ進めるための土台になるとザックは考えている。南アフリカ、モーリシャス、香港、そしてオーストラリアで育った経験から、ザック・ロイドは広い国際的視野を身につけ、競馬が世界を結びつけるスポーツであることも肌で感じてきた。
「いずれ香港か日本で乗ることになるのは、ある意味で必然だと思います」とザックは続ける。
「賞金、競馬の水準、馬のレベルのいずれを取っても、香港競馬と日本競馬はおそらく世界のトップ2です」
「もちろん、日本競馬で通年騎乗するには日本語を学ぶ必要があるので、かなり難しいことです。でも学校では日本語を勉強しました。10歳の頃から、『日本競馬で乗りたいなら、日本語を知らないといけない』と思っていたからです」
「残念ながら、今ではかなり忘れてしまいましたが、それでも香港競馬と日本競馬で乗ることが一番の目標です」
「ただ、あまり若いうちに香港競馬や日本競馬へ向かいたいとは思っていません。まず達成したい目標が、ほかにもいくつかありますから」
ザック・ロイドの海外遠征や人生の選択は、偶然の積み重ねではない。実績や人脈を通じて各地から騎乗の招待を受けることはあっても、その背後には計画がある。何年何月に何をすると細部まで予定を決めているわけではないが、キャリアの大きな道筋と、自分が進みたい方向は明確に描いている。
学生時代には前述の日本語に加え、騎手として役立つと考えた科目を選んだ。身体について実技と理論の両面から学ぶ体育系の科目を履修し、10年生から12年生までは会計学も学んだ。
「自分は将来、お金を稼ぐ日が来るだろうと思っていましたから」とザックは言う。
3年前には2度の騎乗停止処分を受け、その期間を利用して英国へ渡った。ニューマーケットでは、ゴドルフィンのチャーリー・アップルビー調教師のもとで調教に騎乗した。
「あのレベルの馬に乗り、普段とは違う調教を経験できたことが、とても興味深かったです」
「僕より前に同じ経験をした名騎手たちを見れば、明らかに非常に良い足がかりになると分かります」
「騎手としての腕は必要ですし、自分にはあると信じています。でも、まずは自分が拠点とする場所でしっかりした基盤を築かなくてはいけません。僕の場合、それはオーストラリア競馬です。その一方で、さらに自分を高め、違うことにも挑戦し、新しい人々と出会う必要があります」

両親もまた、息子が国際的な視野を持つことを強く後押ししている。父のジェフは、学び続け、成長を止めないことの大切さをよく理解している。異なる国での騎乗経験が、騎手としての総合力を高めることも知っている。
「父はいつも、できる限り懸命に努力し、あえて慣れない環境に身を置くよう、何度も僕に言い聞かせてきました。それが上達する方法なのだと」とザック・ロイドは話す。
数十年にわたる騎手経験を持つジェフ・ロイド氏は、騎手としての上達には終わりがないことを知っている。常に新しく学ぶべきことがあり、以前からの技術にも修正を加える余地がある。
「若い騎手には、さまざまな競馬場を経験させることが大切です」とジェフは言う。
「世界には多種多様な競馬場があります。国によってレースの流れも違えば、騎乗スタイルも違います。世界各地から、できるだけ多くのことを吸収するということです」
ジェフ曰く、英国競馬では鞭の使用が6回までに制限されていたことも、息子の騎乗向上につながったと考えている。一方、南アフリカ競馬では、仮柵によるコース設定の変更や、直線で内側に進路が開くカットアウェイレールへの対応が、新たな課題となった。
「英国では、それまでで一番良い騎乗をしていました。ライアン・ムーア騎手のように、できる限り遅くまで鞭を使わずに追うことを求められるからです。本来、常にそう乗るべきなのです」とジェフは話す。
国内外を問わず、父子はあらゆる騎乗について話し合い、分析する。父のジェフがコーチとなり、息子のザックは熱心に学ぶ生徒として二人三脚で歩んできた。
「何かあれば、私がすぐに気付きます。騎乗に悪い癖が出始めていると感じれば指摘し、二人で修正しようと頑張っています」とジェフは続ける。
「ザックは非常に背が高いので、ある時期、成長する体に合わせようとして鐙が長くなりすぎていると感じました。鐙を長くして乗ることで、騎乗フォームや力強さが損なわれていたんです。体重のかかる位置も適切ではないと思いました」
「そのことを伝えた時、ザックはすでに騎手として数年の経験を積んでいました。すると、『いや、鐙を短くすると、まだ十分にバランスが取れないし、乗っていてもしっくりこない』と言うので、『それなら今のままでいい』と答えました」
「それから1年ほど前に、『もう一度試してみたらどうだ。やはり、その方が良くなると思う』と伝えました。実際に試すと、『すごく良かった』と言ったんです。ザックは成長し、鐙を一つか二つ短くしても、バランスと力強さを保てるようになっていました。そうした細かな部分も含め、私たちは常に改善しようとしています」
ザックが直近で英国へ渡ったときは、ニューマーケットで急速に頭角を現しているジョージ・バウヒー調教師から招待を受けたためだった。
バウヒー厩舎では、同じように国際志向の強い若手騎手たちが朝の調教に騎乗している。その中には、香港競馬との縁を持つジャック・カラン騎手とヘンリー・カラン騎手の兄弟、そして英国で若くして頭角を現したビリー・ロックネイン騎手もいる。
ロックネインは以前からザックの友人だった。27歳で少し年上のデヴィッド・イーガン騎手とも親しく、ザックはニューマーケット滞在中、イーガンの家に身を寄せた。イーガンも若くして頭角を現し、今なお成長を続けている騎手の一人だ。
「本当に充実した滞在でした。英国へ行ったのは、これまでで特に良い決断だったと思います」
「正直に言えば、ニューマーケットで暮らすことそのものから、街全体の空気を感じました。自分に挑戦し、さらに成長するには素晴らしい場所です。同じことを目指して努力している人々に囲まれているからです。良い人たちに囲まれていれば、良い結果につながります」
その考え方は、ザックが生まれた時から変わらない。父と母、そして兄であるジェイデン・ロイド騎手と姉のテイヤに囲まれ、競馬に深く根差した、結束の固い家族の中で育ってきた。

父がG1を制した一流騎手だっただけではない。母方からも、一流騎手の血を色濃く受け継いでいる。ニコラの父はオーブリー・ロバーツ元騎手、祖父は元名騎手のチャーリー・バレンズ氏で、いずれも南アフリカのトップジョッキーだった。
そのため、ロイド家の子供たちは、香港で少年時代を過ごし、現在はシドニーを拠点とするチャド・スコフィールド騎手のいとこにあたる。チャドはグリン・スコフィールド騎手とティファニー・スコフィールドの息子で、ティファニーは母ニコラ・ロイドの姉妹である。
こうしたつながりは、若者がこの世界で歩みを進めるうえで力になる。だが、それだけで成功できるわけではない。才能はごまかせないし、競馬に懸ける姿勢も長く取り繕うことはできない。
ザック・ロイドには、才能も覚悟も備わっている。はったりでも、見せかけでもない。
競馬というスポーツと、その世界に生きる人々に囲まれることが、ザック・ロイドにとっては生涯を通じて当たり前だった。そうした環境から自然に育まれた揺るぎない自信が、少年時代に夢見ただけでなく、いつか必ずたどり着くと信じていた場所へ、彼を導きつつある。