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ウンベルト・リスポリ騎手にとって、負傷からの回復は厳しい道のりだった。

「人生で最も過酷な復帰への道のりです」

同騎手はそう話す。それでも3週間後には、チャーチルダウンズ競馬場で再びレースに騎乗し、勝利を目指す騎手の日常へ戻ることを望んでいる。

リスポリはすでに、回復途上の足首で馬上の騎乗姿勢を試している。直近の日曜にはシャンティイ競馬場で、義父であり、騎手から調教師に転身したジェラルド・モッセ師の管理馬3頭に騎乗した。木曜にはカリフォルニア州で診察を受け、復帰へ向けた正式な許可を得た。

「馬に乗っている時はまったく問題ありませんでした」とリスポリはIdol Horseに語った。

「もちろん、傷跡の周辺にはまだ硬くなった組織がありますし、それをほぐしていく必要はあります。でも、目いっぱい追う体勢に入った時も、問題や痛みはまったく感じませんでした。感触は良かったです」

G1・プリークネスステークスを制したリスポリが、マイアミのガルフストリームパーク競馬場で激しい落馬に見舞われてから、あと3週間で5カ月を超える月日が経つ。高速で地面に叩きつけられた衝撃で骨折し、靱帯を痛め、足首は不安を覚えるほど、本来の位置からずれていた。

落馬直後の修復手術では、折れた腓骨を固定するために金属棒が入れられた。脛骨と外くるぶしの骨折は癒え、足首はスクリューで固定されていた。回復が難しかったのは、シンデスモーシス(脛腓靱帯結合)だった。

これは、強い靱帯によって足首まわりと脚の骨をつなぎ、それらを一体に保って機能させる繊維性の関節である。靱帯は断裂こそしていなかったが、伸びて損傷していた。

多くの騎手と同じように、リスポリもこれまで膝、肋骨、鎖骨などの大きな骨折を経験してきた。しかし今回は負傷が深刻で、痛みも大きく、再び鐙に足を戻せるのか疑いを抱く瞬間もあった。

「疑ってしまうんです。脚が以前と同じようには見えないからです」と同騎手は言う。「あの部分の靱帯損傷は、おそらく騎手にとって起こり得る最悪の怪我です」

「騎手は足首で体重を支えなければならないからです。馬に乗っている時、体重のほとんどはそこにかかります。だから足首を曲げる動きが必要です。騎手にとって、そこは欠かせないんです」

「でも、その動きが出てこないんです。両足を曲げてみると、片方は下がっていくのに、もう片方は違う方向に向いている。負傷後の最初の頃はそういう状態でした」

ナポリ人らしい粘り強い気質、忍耐力、スペインの著名な治療施設、TVAクリニックで受けた専門的な治療、家族や友人の支え、そして憧れのアスリートから得た刺激。そのすべてが、リスポリの回復を後押しし、再び動ける身体と騎手としての体力を取り戻す力になった。

かつて足を固定していた器具も、保護ブーツも、松葉杖も、もう必要ない。

「自分にこう言いました。『こんなの受け入れられない。絶対に無理だ』」とリスポリは口にする。

「そして、こうも言いました。『分かった。もしかしたら、もう乗れないかもしれない。それは分からない。でも脚だけは以前の状態に戻さなければならない』と。とはいえ、不安はかなりありました」

「こういった怪我はよくあることではありませんし、どうしても不安になります。20歳で脚を折るのと、37歳で脚を折るのは違いますから」

Umberto Rispoli in hospital reassuring everyone he is ok
UMBERTO RISPOLI / HCA Florida Aventura Hospital // 2026 /// Photo supplied
Umberto Rispoli x-rays
UMBERTOP RISPOLI X-RAYS / 2026 // Photos supplied

リスポリは、ここ6年間拠点としている南カリフォルニアへ戻ってから程なくして、Idol Horseの取材に応じた。

午前3時30分から起きていたという。時差ボケは容赦ない。妻と2人の息子とともにフランスから戻ってきたばかりで、その前には短期間ドバイに滞在し、リハビリの仕上げのような形で専門的な理学療法を受けていた。

その前にはマドリードで6週間を過ごし、著名な理学療法士であるホアキン・フアン氏とそのチームから治療を受けた。ほとんどの時間を単身で過ごした。

ホアキン氏はNBAのスター選手やサッカー界の大スターの治療を手がけてきた人物で、その筆頭がクリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシである。治療には、毎日欠かさずこなす厳しいメニューが求められた。

「6週間、毎朝9時に家を出ました」とリスポリは説明する。「10時にクリニックへ着いて、1時までいました。それから家へ戻り、簡単に昼食を済ませて、またクリニックへ戻る。家に帰るのは夜8時でした。雨の日も晴れの日も、Uberで毎日通いました。行きたくない日でも行きました。やらなければならなかったんです」

そのクリニックが騎手を治療するのは、リスポリが初めてだった。紹介したのは友人で、パリ・サンジェルマン、ASローマに所属した、元アルゼンチン代表MFのハビエル・パストーレだった。

クリニックで過ごした日々の中には、身体的なリハビリよりも精神面の方が苦しい日や瞬間があった。

「基本的には、ゼロからやり直すようなものです」とリスポリは吐露する。松葉杖をついてクリニックに到着した時のことを振り返り、腫れ上がって硬くなった関節と靱帯を最初は動かせなかったことだけでなく、特に大腿四頭筋、太ももの前側の筋肉が萎縮していたことも説明した。

「最初の2週間は、良くなっている感覚がまったくありませんでした。本当に、本当にきついリハビリで、最初の数週間は痛みがありました」

「懸命に取り組んでも、最初は何も改善が見えません。それからようやく、膝を前に出せる幅や足首の曲がりが、ほんの数センチ、数インチという単位で少しずつ広がっていく。必死にやって、痛みを感じる。精神的にも、本当にきついんです」

最も苦しい日々を乗り越えるうえで、もうひと踏ん張りする力になったのは、別競技のスペインのレジェンド、テニス王者のラファエル・ナダルだった。

「彼のドキュメンタリーを見たことがありますか?」とリスポリは尋ねる。「Netflixにあるんです。もしケガについて不満を言うなら、あの人が人生を通して何をしてきたかを見ればいい。それを見て、こう思いました。『ケガについて文句を言っている場合じゃないな』と」

グランドスラムのシングルスで22勝を挙げたナダルは、キャリアの大半を慢性的な足の負傷とともに過ごした。

その負傷は絶え間ない痛みをもたらし、靴にはインソールが必要となり、さらに膝の腱炎にもつながった。プレーを続けるために大量の抗炎症薬を服用したことで、腸に穴が開く症状も起きた。

2022年の全仏オープンを制した時には、注射で感覚神経を麻痺させていた。つまり、足の感覚はなかったが、痛みも感じなかったのである。

「それを見て、自分に言いました。『これは大したことじゃない。目の前のことに集中して、戻るために取り組め』と。彼の物語を見ると、モチベーションをもらえます。ものすごいモチベーションです」

「どこかには必ず、自分を奮い立たせ、気持ちを引き上げてくれるような人がいるものです。本当にすごいことです。ナダルは、私にとってこれまでで一番好きなテニス選手です。若い頃に見ていた彼は、まさに頭角を現しているスターでしたから。信じられないほど素晴らしい人です」

リスポリは腰を据えて取り組んだ。ホアキン氏のチームは、騎手がレースで騎乗する映像を研究し、レース中の動き、身体の形、姿勢を理解しようとしていた。

リスポリによれば、最もつらかったのは、足首の柔軟性と筋力を少しずつ取り戻すために、何度も繰り返さなければならない運動だった。両足を地面につけたまま、膝を壁に向かって前へ曲げる。馬上でさらに低く沈み込むように、前に出した膝を通じて体重を移し、その圧を痛む足首へ落としていく動きだった。

「あれが一番きつかったです」とリスポリは振り返る。「毎日、自宅にいる時でさえ、10分か15分ごとに立ち上がって壁の前へ行きました。そして膝に腕を添えて圧をかけ、足首を曲げながら膝を壁につけようとする。本当に、本当に痛かったです」

「多くの治療に取り組みました。鍼、電気治療、バランストレーニング、アイシング。あらゆる治療を組み合わせたリハビリでした。この6週間ほど、人生であれほど氷を使ったことはなかったと思います。足はいつも氷の中にありました。本当に、あれは拷問のようでした」

しかし、その苦痛の先に回復があった。もっとも、まだ終わりではない。次の3週間は、レースで全力を出せる状態へ持っていくための「集中的」な期間になる。

「体力面では、しっかり身体を作らなければなりません。この3週間で、そこを仕上げていきます」とリスポリ。「もっと馬に乗りますし、エクササイズも続けます。ジムでもやりますし、セラピストとも取り組みます」

「この3カ月やってきたことを、まったく同じように続けるつもりです。復帰するまで、来る日も来る日も、それが私の生活になります。1日も休めません」

Umberto Rispoli and Journalism win the G1 Preakness Stakes at Pimlico
UMBERTO RISPOLI, JOURNALISM / G1 Preakness Stakes // Pimlico /// 2025 //// Photo by Emilee Chinn

リスポリにとって2025年は、注目度の高い一年だった。ジャーナリズムで、自身最大の勝利となるG1・プリークネスステークスを制し、その後に同馬の鞍上を失った。

その年は130勝、獲得賞金は1340万米ドル(約21億4000万円)で終えた。負傷により、リスポリの2026年は実質的にこれから始まる。他の騎手たちは、彼の不在で生まれた空白をすでに埋めている。回復だけでなく、馬主や調教師とのつながりを取り戻すことも必要になる。

HCAフロリダ・アベンチュラホスピタルのベッドに横たわっていた時から、リスポリは焦らずに進むことの大切さを口にしてきた。レースに復帰する前に、自分が100%の状態であることを確認しなければならない。それが、厳しいリハビリを支え、乗り越えさせてくれた人々への責任でもあると分かっているからだ。

「マドリードのクリニックを出る時には、自分の足で歩けるようになっていました」とリスポリは明かす。それでも忍耐はまだ必要である。馬上以外のところでリスクを取ることはない。「ジョギングもできたかもしれません。でもホアキン氏からは、まだジョギングはしてほしくない、絶対にだめだと言われています」

つまり、サッカーを愛するイタリア人であるリスポリが、この夏にボールを蹴って遊ぶことはない。チャーチルダウンズ競馬場での復帰に向け、自分自身に求める最高水準の騎乗ができる身体に戻すことが最優先である。

その後は、東海岸に数週間滞在することを考えている。エリスパーク競馬場やサラトガ競馬場で騎乗する可能性もある。エージェントのマット・ナカタニ氏は、ベルモントダービーとベルモントオークスの騎乗馬を探しており、その後は南カリフォルニアへ戻る予定だ。

「デルマー開催はもうすぐです。非常にタフな開催ですから、そこへ向けて完全に準備を整えておきたい。実際にそうするつもりです」

「誰にも遠慮するつもりはありません。約束します。すでに5カ月を失いました。それは大きい。早く勝負の場に戻りたくて仕方ありません。今は前を向かなければなりません」

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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