ある日、永宮大暉氏は人生の岐路に立っていた。
20代後半にさしかかり、人生の進路を変えるにはまだ若いが、時間が過ぎていくことへの焦りを感じる年齢でもあった。決断するなら今しかない。さもなければ、もう機会は訪れないかもしれなかった。
永宮氏は、日本列島北端の大地、北海道の南岸で生まれ育った。そこは農業地帯と、広大な森林や火山が連なる、日本に残された最後の雄大な自然とが接する土地だ。
だが、永宮氏にとっての北海道は、労働者が暮らす都市部だった。出身地は沿岸部の工業都市、苫小牧。アイスホッケーチーム、レッドイーグルス北海道の本拠地であり、仕事は厳しく、冬の寒さは身にしみる。絵はがきに描かれる北海道のような深い雪に覆われる町ではない。
26歳だった永宮氏は、学校を出てからアイシンの自動車部品工場に勤め、主にトヨタ車のエンジン関連部品を製造していた。しかし、このまま働き続ける自分の将来に、大きな展望を見いだせずにいた。人生にはもっと別の可能性があるはずで、自分が押し込められていた型を破らなければならないと感じていた。
「どちらかというと家族と生活リズムとか考えたりとかして、転職を考えるようになりました」
北海道でIdol Horseの取材に応じた永宮大暉氏は、転職を決意した経緯をこのように話す。
工場勤務よりも生活のリズムを整え、妻や子どもとの時間を大切にできる仕事をしたいと考えたという。
「そこで、どうせ転職するなら好きなものを仕事に、と思って新しい仕事を探していました」
永宮氏が現在働く場所は、かつて勤めたアイシンの工場からわずか数キロしか離れていない。自動車部品の生産ラインで繰り返される単調な作業や機械音、体力を使う日々も、距離だけを見ればすぐ近くにある。
だが実際には、社台スタリオンステーション(社台SS)の田園に包まれた静けさは、工場とはまるで別世界だ。
現在の永宮氏は、世界屈指の期待を集める新種牡馬、イクイノックスの担当を任されている。彼の経歴を考えれば、その年齢でこの世界へ飛び込むことは、多くの人が思いもつかないほど大きな転身だった。
家族に競馬関係者はいなかった。馬との接点も、競馬を見ることが好きだったという程度にすぎない。そのきっかけは、ある夏、友人に連れられ、約70キロ離れた札幌競馬場へ競馬を見に行ったことだった。
「友人と競馬場に行ったとき、それが面白くて」
その何気ない観戦体験が、やがて永宮氏の人生を変えることになった。
永宮氏が吉田家が築いた世界的な大牧場で働くために応募し、苫小牧の工場で働き続ける人生から踏み出して、6年がたつ。そして、イクイノックスがこの牧場へやって来てからは、まだ2年半余りしかたっていない。
「競馬を通して、こういう職業に出会うことができました」
「最初は本当に、色々な活躍していた馬が沢山いてすごいなというのが、ここ(社台SS)に興味を持った経緯でした」
永宮氏が社台SSで働き始めたばかりの頃、テレビでイクイノックスのレースを見ていた。
有馬記念、同馬の圧倒的な能力を世界に知らしめたドバイシーマクラシック、宝塚記念、2度の天皇賞秋、ジャパンカップ。そして、国際競馬統括機関連盟(IFHA)による2023年のワールドベストレースホースに選出された、誰もが認める名馬である。
イクイノックスは、吉田家が運営するノーザンファーム系列の一口馬主クラブ、シルクレーシングの所有馬として現役生活を送った。父はキタサンブラックで、曽祖父は日本のサラブレッド生産を大きく変えた伝説的な名馬、サンデーサイレンス。2023年12月、近年屈指の注目を集める新種牡馬として、社台スタリオンステーションに到着した。
そして、かつてエンジン関連部品を製造していた永宮氏に、イクイノックスの担当という重責が託された。
「上司から、やってみないかと言われたので、挑戦しました」
大きな責任を感じたかと尋ねると、永宮氏は「もちろんです」と答えた。これほど重要な役目を任されたのは、上司から信頼されているからではないかと問われると、褒められたことへの照れを隠すように笑った。
「すごい馬を信頼されて任された以上、頑張ってみたいなと」
社台スタリオンステーションの場長、徳武英介氏は、永宮氏の働きぶりについてこう語る。
「自動車メーカーから転職してきましたが、上達しましたね。運動神経がかなり良いですし、仕事ぶりも急激に上手くなりました」
「馬の扱いが上手です。未経験者はちゃんとコーチングしてるんですが、うちの職員じゃない人に直接見てもらってるんですよ。彼の吸収はやっぱりすごい早かった」
「学びが我流じゃないんですよ。だから早かったんだと思います。第三者の外部のプロの人に馬の扱いを教わって、急激に良くなったから、働きぶりについては相当信頼はしていますね」
徳武氏は、永宮氏が社台SSへたどり着くまでの道のりを、いくらか自分自身と重ね合わせることができる。
徳武氏もまた、20代後半で職業を変えた。若い頃に乗馬クラブで馬に乗った経験はあったが、会社員を辞め、小さな牧場で1年半働いた後、29歳で職場を社台SSへと移した。
それは1990年代初頭、北海道でサンデーサイレンスの初年度産駒が誕生し始めた頃のことだった。
「私も、ここへ来た当初は馬のことをほとんど知りませんでした」
徳武氏は当時を思い出し、笑顔を見せた。
「僕が入社したとき、サンデーサイレンスの産駒が生まれ始めた頃で、周りのみんなは『これは良い』『良い産駒が生まれた』と言うんですが、それがよく分からなくて。ひょろっとした、小さい仔馬に見えたんです。何でこれが良いと言うんだろうと、ギャップを感じました」
「脚元の繋ぎが長くて、細くて、筋肉が柔らかいと評価されていたんですが、その『筋肉が柔らかい』という言葉の意味が分からない。もはや変な宗教団体にすら見えました」
徳武氏は入社当時を振り返り、楽しそうに笑う。
「でも、ここの職員がみんな同じ事を言うんです。もう、やばいところに来てしまったかもしれないと思いました」
永宮氏も社台SSへ来た当初、馬についての知識はごく限られていた。吉田家が築いてきた大牧場が世界的にどれほど高く評価されているのかも、競馬の世界で働き始めるまではほとんど知らなかった。
「ノーザンファームの名前は聞いたことがありました」
とはいえ、その知識も競馬ファンとして見聞きした範囲に限られていた。
それでも、今の永宮氏が体力面で全盛期にある力強い種牡馬、イクイノックスを扱う姿を見れば、馬と関わってきた期間が人生のごく一部にすぎないとは信じがたい。
イクイノックスが一度ならず二度も後肢で高く立ち上がっても、永宮氏は動じない。手を緩めて引き手を長く送り出し、その後は落ち着いて短く持ち直し、イクイノックスを自分のもとへ戻す。
イクイノックスは、ひとしきり自分を誇示する時間を与えられたことに満足したようだった。それが済むと、担当者の求めることをすべて素直に受け入れ、静かに立ち、滑らかに行き来し、印象的な顔立ちを見せるように構えた。
「普段はおっとりとしている種牡馬なんですが、種付けの仕事に向けてスイッチが入ったりすると、結構前向きに頑張りすぎるくらいの性格です」
永宮氏はイクイノックスをそう説明する。そして、放牧地で闘争本能を呼び覚まし、現役時代さながらの走りを見せる姿には、担当する永宮氏も改めて圧倒されるという。
「ほかの馬の影響を受けやすいところはあります。他の放牧地で走っている馬がいると、一緒に走ったりとか。やっぱり速いなと思いますね」


その後の2日間、永宮氏の姿はノーザンホースパークにあった。
普段の仕事着である帽子、ポロシャツ、綿のパンツ姿ではない。この日は白いシャツにネクタイを締め、揃いの端正な紺色のスーツを着ている。
日本競走馬協会(JRHA)主催のセレクトセールで、1歳馬や当歳馬を格式あるセリ会場へ導く役目を務めるためだ。
イクイノックスの初年度産駒となる1歳馬に続き、2世代目の産駒となる当歳馬も初めて上場された。
セール会場は、大きな期待と注目に包まれていた。
最初に上場されたイクイノックス産駒の1歳馬は、8200万円(約50万6173米ドル)で落札された。買い手は、ダート王者のフォーエバーヤングを所有する馬主として知られ、競り会場でも積極的な購入を続ける実業家の藤田晋氏だった。間違いなく、幸先の良いスタートである。
だが、この日の最高額はその後に記録された。
フォーブスによれば、純資産33億米ドルで日本の富豪ランキング15位とされるダノックスの野田順弘氏が、イクイノックス産駒を4億2000万円(約259万米ドル)で落札した。
売却されたイクイノックス産駒の1歳馬13頭は、合計19億8400万円(約1220万米ドル)に達した。一方、当歳馬15頭の落札総額は21億8300万円(約1320万米ドル)だった。
「産駒の特徴は聞いていないんですが、期待されているというのは感じる、というか聞きますので、プレッシャーは感じています」
永宮氏はセレクトセールの前にそう打ち明けていた。
それでも、工場勤務の厳しく単調な日々から生じる重圧よりは、今の仕事に伴うプレッシャーの方がいい。
現在の仕事から得られるものは、経済的な報酬だけではない。家庭生活とのより良い両立、職場環境、社台SSの田園風景がもたらす心安らぐ静けさ、そして一日一日の仕事や新たな出会いから得られる達成感がある。
もちろん、今の仕事にも決まった日課はある。だが、工場の生産ラインのような単調さとは異なる。
何より大きいのは、イクイノックスの世話をすることで生まれる、心を満たすつながりだ。イクイノックスは、世界王者や高く評価される種牡馬というだけの存在ではない。生き生きとした、呼吸する一頭の馬なのである。

永宮氏が担当する種牡馬はイクイノックスだけではない。エフフォーリアもいる。
これまでにはナダル、ブリックスアンドモルタル、ダノンキングリー、ミッキーアイルも担当してきた。
エフフォーリアも、種牡馬として好調なスタートを切っている。今年デビューした初年度産駒は、出走したわずか19頭のうち、すでに6頭が2歳戦で勝ち上がっている。
セレクトセールでは、エフフォーリア産駒の1歳馬2頭が、それぞれ200万米ドル(約3億2500万円)を超える価格で落札された。
「エフフォーリアも、イクイノックスと同じように、普段はボーッとしているような穏やかな馬です」
「ですが、こんな早くから活躍するとは思ってもなかったです。活躍するんだろうなという雰囲気感はありましたが」
同じことは、永宮氏自身にも言えるかもしれない。
この仕事を始めてわずか6年で、世界レベルで将来を嘱望されるトップクラス種牡馬のうち2頭を担当している。そのうち一頭は、世界王者である。
苫小牧で自動車部品を作っていた工場員としては、新天地で確かな一歩を踏み出した。人生を変える決断を下し、それまでの型を破らなければ、永宮氏が持っていた馬を扱う天性の感覚は、決して引き出されることがなかったかもしれない。