ロイヤルアスコット、それはいまさら説明するまでもない格式ある競馬の祭典だ。格式と華やかさが交差する5日間。世界の名手と名馬が集うこの夢舞台が、来週いよいよ開幕する。舞台となる英国バークシャーの名門競馬場には、25万人以上の観衆が押し寄せる予定だ。
8つのG1を含む全35レース、賞金総額は1,000万ポンド超。英国内外の名手たちが「この週だけは負けられない」と口を揃える華麗なる決戦の場である。
開幕を飾るG1・クイーンアンステークスの直線マイル戦から、スタンド前の1マイル6ハロン地点から発走する戦術的なレースまで、すべての距離が独自の難しさを持つ。コースの形状やスタート地点、コーナーの形状や勾配を読み違えれば、好結果はおろか惨敗すら招く。そんなシビアな舞台なのだ。
そして、難しいのはコースだけではない。3度の英国リーディングジョッキーに輝いたオイシン・マーフィー騎手は、「最も大事なのはゲートが開くより前なんです」とIdol Horseに語る。
「私にとって最も重要なのは、返し馬の段階です。アスコットは観衆の歓声が非常に大きく、特別な雰囲気があるので、できるだけ馬を落ち着かせてゲートまで連れて行き、なおかつ自分の指示に耳を傾けてもらえるようにしないといけません」
マーフィー騎手は、ゲートに向かう返し馬の途中にあえて速度の変化を与えることで、馬との信頼関係を深めていくという。
「常足から速歩、速歩からキャンター、あるいは少し速めのキャンターをしてからまたゆっくりとしたキャンターに戻し、最後は常足で止まる。そうすることで、馬としっかりコミュニケーションが取れているか確認できるのです」
アスコットの熱気は、経験豊富な古馬でさえも飲み込んでしまうことがある。
「2歳馬に限らず、例えばウィンザー競馬場やサンダウン競馬場のハンデ戦に出場するようなベテラン馬でさえも、アスコット競馬場では興奮してしまうこともあります。だからこそ、可能な限り穏やかな状態でゲートに誘導することが大事なんです」
そしてゲートが開けば、騎手たちの前に現れるのは、起伏のある長い直線か、2ハロン半の短い直線で決着を迎える右回りのコース。そこでは、忍耐と精密さ、的確な判断が問われる。
Idol Horseは、世界各地のトップジョッキーたちに取材を行い、それぞれの距離が持つ課題と、アスコットで勝つための鍵となる戦略について話を聞いた。

5ハロンコース (1000m)
対象レース: G1・キングチャールズ3世S、G2・クイーンメアリーS、リステッド・ウィンザーキャッスルS、G2・ノーフォークS、パレスオブホリールードハウスH
アスコットの直線5ハロンは、ゴール板のすぐ先にあるコース最高地点へ向かっての登り坂で終わる。最短距離のコース設定ながら、頭数の多いレースが一般的。馬群が2つ、あるいは3つに分かれることもしばしばある。
アンドレア・アッゼニ騎手:
「この直線コースはとてもタフなので、早仕掛けは禁物です。多くの場合、仕掛けのタイミングが早すぎると最後に止まってしまう。だからこそ、差し馬有利の展開もよくありますね」
ザック・パートン騎手:
「直線コースは多少起伏があるものの、1000m戦では余計なことをせずにシンプルな戦略で乗ることが大事だと思っています」
6ハロンコース (1200m)
対象レース: G2・コヴェントリーS、G3・アルバニーS、G1・コモンウェルスC、G1・クイーンエリザベス2世ジュビリーS、ウォッキンガムH
1200m戦もまた直線で、ゴール前の登り坂が正念場。大レースでは20頭前後の大混戦となり、枠順やペースの偏りが明暗を分けることもある。
オイシン・マーフィー騎手:
「私は直線コースではあえて我慢することが多いです。できるだけ無駄なエネルギーを使わず、最後のひと絞りを温存するようにします」
「周囲の馬の動きをよく見て、自分の馬に脚を使わせないようにしながらレースの流れに乗る必要があります。そして、イギリスの厳しい鞭使用ルールを考えると、なるべく遅いタイミングまで鞭を温存しないといけません」
「残り2ハロン地点で馬に気合いを入れないといけないような展開なら、勝つことはかなり厳しいでしょう」
7ハロンコース (1400m)
対象レース: バッキンガムパレスH、リステッド・チェシャムS、G3・ジャージーS
1400m戦も直線コースを使用し、ゴール前の登り坂が勝負の鍵となってくる。
アンドレア・アッゼニ騎手:
「直線コースのレースは、5ハロンでも6ハロンでも、7ハロンでもマイルでも、とにかく『我慢』が重要です。それができるジェイミー・スペンサーのような騎手は、アスコットで本当に勝負強いですね」
「枠順による有利不利があるとすれば、重要なのは先行馬がどの枠にいるかを見ることです。多頭数のハンデ戦では、直線コースで馬群がふたつに分かれることが多く、もう一方の集団に4~5馬身も先行されるような形になると、勝つのはほとんど不可能です」
直線マイルコース (1600m)
対象レース: G1・クイーンアンS、ロイヤルハントカップ、ケンジントンパレスH、ブリタニアH
直線コースでは最長距離となるこのレースも、起伏を経て、ゴール前の登り坂へと続く。ここでも、馬群が分かれた場合には、展開や枠順の偏りが生じやすい。
オイシン・マーフィー騎手:
「直線のマイル戦と、周回のマイル戦では、まったく違う適性が求められます。特に直線コースでは、多頭数になると展開や枠順による偏りが出やすいのです。アンドレア(アッゼニ騎手)も言っていましたが、自分のいる側にペースメーカーとなる馬がいて、うまく先導してもらえるかどうかが、勝敗を左右します」
「直線マイルは選択肢が多く、騎手の判断力が試される場面が増えます」
ザック・パートン騎手:
「フランケルがクイーンアンSで圧勝したのを見て、(リトルブリッジで制したキングズスタンドSで)自分が取るべき進路が馬場のど真ん中を走ることなんだなと理解しました」
「シュートから本コースに合流すると、芝の感触が少し変わるように感じます。具体的には、香港の芝よりも少し柔らかい感じのクッション性ですね」

周回マイルコース (1600m)
対象レース: G1・セントジェームズパレスS、G2・デュークオブケンブリッジS、G1・コロネーションS、サンドリンガムH
『オールドマイルコース』と呼ばれる周回コースは、コースの最も低い地点から発走し、徐々に登りながらタイトなコーナーを経て、約2.5ハロンの短い直線へと向かうコース設定だ。
オイシン・マーフィー騎手:
「オールドマイルコースでは、枠順が大きな不利になることがあります。先手を奪った馬がスローに落とす展開にしやすく、そうなれば逃げ馬は有利な展開になります。私がロアリングライオンでクイーンエリザベス2世ステークスを勝った時もまさにそれでした」
「後ろから行きたい場合は、かなりの運も必要です。位置取りが難しくなり、トラブルに巻き込まれる場面も多い。直線コースに比べて、より戦術的で『運不運』がモノを言うのがこのコースなんです」
10ハロンコース (2000m)
対象レース: リステッド・ウォルファートンS、G1・プリンスオブウェールズS、G3・ハンプトンコートS、ゴールデンゲーツH
スタート直後に2ハロンほど下り坂をスウィンリーボトムまで走り、そこを境に登り坂へと変わる起伏に富んだコース形状。
オイシン・マーフィー騎手:
「2000mのスタートは非常に難しいです。下り坂のままコーナーに入るので、知らず知らずのうちにペースが上がってしまいます。そして、ポジションを取りに行くうちに、余計な脚を使ってしまうこともあります」
「このコースはほぼ全体がカーブしているので、序盤から出していくと馬がヒートアップして、折り合いを欠きやすくなります。普段は掛からないタイプの馬でも制御が難しくなることがあります。だからこそ、後方でじっくり脚をためるタイプの馬が展開に恵まれることもあるんです」
12ハロンコース (2400m)
対象レース: キングジョージ5世H、G2・リブルズデールS、デュークオブエディンバラH、G2・キングエドワード七世S、G2・ハードウィックS
スタートから半マイル(約800m)はスウィンリーボトムへと下っていくコース形状。
アンドレア・アッゼニ騎手:
「ゲートを出てコーナーまで下り坂になるので、枠順が重要です。多くの馬がそのままスピードに乗ってカーブに入っていき、その後にペースが落ち着く場合が多い。だから、コーナーに入るまでにいい位置を確保しておくのが理想です」
「7ハロン地点から登りが始まるので、そこからはペースが遅ければ自分から動く余地も出てきます」
14ハロンコース (2800m)
対象レース: コッパーホースH、G2・クイーンズヴァーズ
スタンド前から発走し、短い下り坂を経てすぐに最初のカーブへ。このカーブが上りになっており、その後はなだらかにスウィンリーボトムへと下っていく。
アンドレア・アッゼニ騎手:
「このコースでのスタートは非常に難しいです。スタートしてすぐにコーナーに入りますし、頭数が多くなることも多いため、最初のポジション取りがとても重要になります」
「距離をロスせず立ち回れるかが重要です。3頭分の外を回されて壁がいない状態で走ることになれば、かなり心許ないですし、実際勝つのはほぼ不可能です」
ザック・パートン騎手:
「ゴール板を通過してから最初のカーブまではかなりタイトです。ヨーロッパの他の競馬場と同じように少し独特な形をしていますが、コースはよく整備されています」