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香港競馬で新章を開くジェームズ・カミングス調教師、祖父バート「愛弟子」が名門を背負い新天地へ

大学進学ではなく、名トレーナーの祖父に直談判して競馬の世界へ。ゴドルフィンの豪州主任調教師も務めた名門カミングス家の4代目が、2026/2027年シーズンから香港競馬という新たな舞台に挑む。

香港競馬で新章を開くジェームズ・カミングス調教師、祖父バート「愛弟子」が名門を背負い新天地へ

大学進学ではなく、名トレーナーの祖父に直談判して競馬の世界へ。ゴドルフィンの豪州主任調教師も務めた名門カミングス家の4代目が、2026/2027年シーズンから香港競馬という新たな舞台に挑む。

テレビの前に座り、世界各地が新年を迎える様子を眺めるのは実に面白い。オークランドに始まり、東京、香港、ドバイ、ロンドン、そしてニューヨークからロサンゼルスへ。ソファに寝そべったままチャンネルを替えていけば、華麗な光のショーと激しく打ち上がる花火を、文字どおりほぼ一日中楽しめる。

世界の大都市の中でも、いち早く新年を祝うのがシドニーだ。街の中心でひときわ強い存在感を放つのが、『コートハンガー』の愛称で親しまれる魅惑的なハーバーブリッジ。その周囲の澄んだ水面を、おびただしい数の船と陽気に騒ぐ人々が埋め尽くす。

そんな祝祭の翌朝は、この街が眠りにつく数少ない時間だ。祝日の競馬開催へ出向く、昔気質のベテラン調教師でさえ、夜明け前から多数の管理馬に調教をつけようという気にはなかなかなれない。

元日に馬のことを考える10代は、そもそも多くないだろう。しかし大半の10代は、「豪州史上屈指の名調教師」と呼ばれ、夜の報道番組がこぞって取材を申し込むほどの人物を祖父に持ってはいない。

何しろ、ジェームズの祖父は、あの“バート”なのだから。

「26年前の元日、調教を見ていたときのことです。誰も調教には来ません。みんな真夜中の花火を見る方に夢中でした。そんな中、私は祖父とランドウィック競馬場で調教を見ていました」

メルボルンカップを12勝した伝説的調教師、バート・カミングス氏の孫で、香港で新たに開業するジェームズ・カミングス調教師は、笑みを浮かべながらそう振り返る。

「調教を終えた馬から湯気が立ち、周囲は慌ただしく動いていました。騎手や調教に騎乗するスタッフがいて、調教師小屋にはライバルの調教師たちもいる。誰かが温かい飲み物を作ってくれて、あらゆることが一斉に動いているんです」

「私は昔から、あの雰囲気が大好きでした」

調教師になるべくして生まれたような人はいる。だが、ジェームズはその中でも別格だ。カミングス家で4代目となるG1勝利調教師であり、伝説の祖父バートから競馬を学んだ。

印象的な眉と銀色の髪、切れ味鋭いユーモアで国民に愛された、バート・カミングス氏。11月の第1火曜日、また一頭メルボルンカップの勝ち馬を迎えるため、フレミントン競馬場の階段を下りてくる姿は豪州の人々にとっておなじみだった。

一つの名前だけで世界中に通じる。それは、スポーツ界の頂点を極めたごく一握りの人物だけに許された特権だ。ベーブ、ジョーダン、タイガー、フェデラー、メッシ、ロナウド、ブレイディ、ボルト。豪州競馬界におけるバートも、まさにそういう存在だった。競馬界の知名度で彼に迫ったのは、おそらくゲイ・ウォーターハウス調教師くらいだろう。

バートの名言だけで、一冊の語録集が書けそうなほどだった。無駄な言葉は一つもなく、場違いな言葉も一つとしてなかった。

バートの管理馬でメルボルンカップを制した騎手の一人、ダレン・ビードマン氏が、牧師になるため騎手を引退すると表明し、競馬界を驚かせたことがある。その知らせを聞いたバートは、即座にこう切り返した。

「セカンドオピニオンを受けた方がいいと思うね」

保健衛生の検査官が厩舎を訪れ、敷地内にハエが多すぎると注意したときには、こう返した。

「では、何匹までならいいんだ?」

こうした逸話は、挙げればきりがない。

しかし、バートが何を語らなかったかも、同じくらい重要だった。息子のアンソニー、孫のジェームズとエドワードは、耳で聞くのではなく、目で見て学ばなければならなかった。バートが2015年に死去すると、シドニー中心部のセント・メアリー大聖堂で営まれた州葬で、アンソニー・カミングス氏が弔辞を読んだ。

「父は、私が知っていることをすべて教えてくれた。だが、父が知っていたことのすべてを教えてくれたわけではない」

Bart Cummings in 2002
BART CUMMINGS / 2002 // Photo by Mark Dadswell (Getty Images)

バートから学ぶ機会を誰よりも得たのが、ジェームズ・カミングスだ。大学で学位を取るより自分に合っていると思い、祖父の厩舎へ入った。ただし、まずは祖母のヴァルさんからお墨付きを得る必要があった。

バート・カミングス氏が築いた調教師の系譜は、その功績の中でも過小評価されている。彼が育てたのは競走馬だけではない。調教師も育てた。家族以外にも、レオン・コーステンス、ジョン・トンプソン、ジョン・オシェア、ナイジェル・ブラックストンらを鍛え上げた。

後に破綻する鉱山王ネイサン・ティンクラー氏の競馬事業、パティナックファーム。その運営を任されトンプソンが引き抜かれたことで、バートは後任を探すことになった。

「バートにとっては寝耳に水でした」とジェームズは話す。

「バートがジョン・トンプソン調教師に『それで、君の後任は誰が務めるんだ?』と聞くと、ジョンは『お孫さんのジェームズなら、いい仕事をすると思います』と答えました」

「バートは笑って、『ヴァルに聞いてみないとな』と言いました。家に帰って祖母にその話をすると、祖母も笑いました。歴史が少し繰り返されようとしているのが分かったのでしょう」

まさに、その通りになった。

「自分の仕事に関心を持つ孫がいたことを、祖父は喜んでいました。孫があまりにも多かったので、全員の名前を覚えていなかったのは間違いないと思います。でも厩舎の通路を歩きながら、馬の名前は覚えていました」とジェームズは振り返る。

「バートが永遠にいるわけではないと、そのときの私はきちんと分かっていました。仕事を得るために自分から売り込むようなまねは、本来の私らしくありません。それでも、私の方から祖父に『あなたの下で働きたいんです』と言わなければ、実現しないまま終わっていたかもしれません」

「振り返れば、あのとき行動して本当によかったと思います」

身内にとってさえ、バートは気圧されるような存在だった。

豪州競馬が一大エンターテインメントだった1980年代、1990年代、そして2000年代初頭。バートは、競馬界史上最大の有名人といっても過言ではなかった。ボブ・ホーク元豪首相は、彼を「偉大で善良なオーストラリア人」と評したほどだ。ホーク氏は、自らの閣僚の誰よりもバートを気に入っていた。

「威圧感のある人物だったと言っても、おそらくかなり控えめな表現でしょう」と、自身も豪州の2州に拠点を構えるエドワード・カミングス調教師は話す。

「個人的な話をすれば、運転手として祖父の下で働き始めた頃は、あれほど威圧感のある人と接することに緊張し、何をしても空回りしていました。すっかりしどろもどろになり、たちまち祖父をいら立たせる存在になってしまったんです」

「普通の友人と同じように接して、肩の力を抜かなければいけないと腹をくくってから、ようやくかなりうまく付き合えるようになりました」

「父と喧嘩をした後、祖父の下で働き始めました。自分が何をしたいのか、当時はよく分かっていませんでした。ですが祖父と過ごした時間で、その思いは固まりました。想像していた以上に、祖父は私を強く後押ししてくれました」

「父から『お前が何を言ったのかは知らないが、祖父はお前をとても高く評価しているよ』と言われたことさえあります」

JAMES (L) & EDWARD CUMMINGS / Flemington // 2022 /// Photo by Vince Caliguiri
ANTHONY & EDWARD CUMMINGS / Randwick // 2017 /// Photo by Martin King

ここでいう父とは、バートとヴァルの5人の子供の一人、元調教師のアンソニー・カミングス氏だ。

「学んでいると自覚するより先に、そこにいるだけですでに多くを学んでいたんです」とアンソニーは自身の経験を振り返る。

「14歳のときにニュージーランドへ連れていかれ、そこで初めて、馬を評価する目を養い始めました」

「馬のバランスとは何か、何がうまくいき、何がうまくいかないのかを考え始めました。どの馬についても、どこから来て、それまでどのような過程を経てきたのかを知ろうとしました」

「父は、そうやって自ら学ぶ手間を惜しみませんでした。牧場の端から端まで歩き、人々と会い、馬を理解しようとしました」

「当時、あれほどの熱意と決意を持つ人は極めて珍しかった。今でも、そうした人が珍しいことに大きな変わりはありません。そこまで徹底して経験すれば、自分が何を見ているのか分かるようになります」

「私の息子二人もそれを受け継ぎ、自分たちの道を進んでいきました」

豪州でバートが残した調教師としての功績、とりわけ「国を止めるレース」と呼ばれるメルボルンカップでの圧倒的な実績は、二度と並ばれることがないだろう。ステイヤーに関しては、その本質を誰よりも理解しているように見えた。

その一方で、シャティン競馬場で勝ち馬を送り出したという、香港競馬史に残る実績もある。

1997年の香港国際ボウルを制したカタランオープニングだ。バートはかねてより、香港競馬を高く評価していた。馬を第一に考える関係者の献身的な姿勢と、わずかな差が大きな結果を左右する緊張感に満ちた環境を好んでいた。

名門調教師一族に生まれ、端正な印象のジェームズは、病に苦しむ祖父と共同で厩舎を運営していた20代半ばに、初めてG1馬を送り出した。たとえ今回の経緯が異例だったとしても、いつの日か香港へたどり着くのは必然だったように思える。

29歳でゴドルフィン・オーストラリアのメイントレーナーに任命されたジェームズ・カミングスは、同組織を率いるモハメド殿下の専属調教師として、8年間に渡って成功を収めた。

しかし昨年、世界的な競馬組織であるゴドルフィンは従来の専属調教師体制を抜本的に見直し、外部調教師へ管理馬を預託する方式に転換した。現在、同組織の馬は豪州の複数の厩舎に分散しており、その中には豪州を代表するクリス・ウォーラー調教師とキアロン・マー調教師の厩舎も含まれる。

ジェームズはすぐに動き、2026/2027年シーズンから香港ジョッキークラブ(HKJC)の調教師陣に加わることで合意した。実際に馬を調教する仕事からほぼ1年離れ、その代わりに香港競馬の仕組みがどう動くのかを観察し、学んできた。初出走は9月になる。

「私が言わなくても分かるでしょうが、ジェームズは頭の切れる男です」と父のアンソニーは話す。

「香港へ渡り、何が機能するのかを見て、何が機能しないのかも感覚としてつかんでいます。シーズンの半分ほど実際の調教から離れるのは不利に見えましたが、むしろかなりプラスに働いたのではないでしょうか。状況を違う角度から見ることができました。とてもうまくやると思います」

James Cummings prepares for Hong Kong chapter
JAMES CUMMINGS, ANDREW HARDING / Sha Tin // 2025 /// Photo by Idol Horse

ジェームズ。カミングスが持つ情熱と知識への渇望は、少しも薄れていない。歴史を意識しながらも、それに縛られることはない。

熾烈な競争が繰り広げられる香港競馬界で何が必要かを理解するため、ジェームズはジョン・サイズ調教師、キャスパー・ファウンズ調教師、デヴィッド・ヘイズ調教師という3人の名トレーナーに助言を求めた。三者の手法は、それぞれ大きく異なる。

ジェームズはすでに、こうした制度や慣行の違いへの対応を始めている。豪州競馬では、調教師が自ら所有する馬に買い手がつかず、抱え込みすぎることが問題になり得る。一方、香港競馬では、そもそも調教師が馬を所有すること自体が認められていない。

「香港競馬で厩舎を運営するには、施設面でも運用面でも大きな制約があります。調教師による馬の所有が認められていないことも、その一つです」とジェームズは説明する。

「とても興味深いと思いました」

「ですから、私が好む調教の基本理念、つまり私のスタイル自体は、それほど変わらないと思います。ただし、広い視野を持ち、変える必要があるところは変えるつもりです。ここしばらくの間だけでも、香港で重要になる違いについて、すでにいくつか学びました。詳しくは話しませんが、適応しなければならないことはあります」

ジェームズ・カミングスは、新シーズン序盤の重要な数カ月へ向け、すでに管理馬を集め始めた。その数は30頭近くに達しており、今後さらに増える。かつて祖父が仕立屋でスーツを売っていたように、馬主たちに夢を売り込んでいるのだ。

「人がさまざまな形で技術を身につけていくのは面白いものです。祖父が1歳馬を売り込むのがうまかったのは、もともと服地を売っていたからでしょう」とジェームズは話す。

では、香港競馬での最初のシーズンに何を期待しているのだろう。元日にも競馬場へ足を運んでいた少年は今、いつかたどり着く運命にあった香港で、調教師として第一歩を踏み出す日を指折り数えている。

「長い道のりです」

「辛抱強くなければいけません。こんなことを私から言うべきではないのかもしれませんが、厳しいシーズンの中でも本当に冷静さを保ち、長期的な視点で取り組まなければならないと感じています」

「大切なのは最初のシーズンだけではありません。私の成功も失敗も、最初の1シーズンだけで決まるわけではないんです」

「香港競馬を熟知する多くの経験豊富な人たちは、2年目と3年目の方が、将来ここで調教師としてどこまでやれるかを測る材料になると指摘しています。それはとても興味深く、そうした見方の筋道も理解できます」

「ですが、それと矛盾するようでいて、香港競馬で成功するには好スタートを切らなければいけません。9月にすべての管理馬を出走させる必要はありませんが、出走させる以上、その馬たちには良い滑り出しを見せてもらわなければなりません」

街中が眠る元日、バートとともに歩み始めたジェームズ自身と同じように、管理馬たちも早々にスタートを切ることができれば、もう後ろを振り返る必要はない。

マイケル・コックス、Idol Horseの編集長。オーストラリアのニューカッスルやハンターバレー地域でハーネスレース(繋駕速歩競走)に携わる一家に生まれ、競馬記者として19年以上の活動経験を持っている。香港競馬の取材に定評があり、これまで寄稿したメディアにはサウス・チャイナ・モーニング・ポスト、ジ・エイジ、ヘラルド・サン、AAP通信、アジアン・レーシング・レポート、イラワラ・マーキュリーなどが含まれる。

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