31戦にわたる輝かしいキャリア、その全てで鞍上を務めたのがヴィンセント・ホー騎手。4歳クラシック三冠の完全制覇、そしてG1・10勝。香港競馬史に名を刻んだセン馬、ゴールデンシックスティとともに歩んだ道のりは、ホーを世界規模の知名度へと押し上げ、馬と人との強い絆を築き上げた。
その絆が、怪我と闘うホーを今も支えている。
ゴールデンシックスティは2024年4月を最後にターフを去り、同年9月に正式に現役を引退。現在は、豪州での検疫期間を経て、北海道のノーザンホースパークで暮らしている。そこでは、米国産のクォーターホース『ジョン』という新たな相棒を得て、穏やかな日々を過ごしている。
一方、ホーはというと、今年2月9日のシャティン第11レースでオールドタウンから落馬。脳挫傷と脳内出血を含む重傷を負って以降、香港国内でリハビリに専念してきた。ようやく5月には医師から航空機での渡航許可が下りた。
そして最初に向かったのが日本。ゴールデンシックスティと “再会” するためだった。
その後もホーは5月中に2度、北海道を訪問。旧友との絆を再確認しただけでなく、『学び』をそこに見出していた。
「馬房の設備がしっかり整っているか、ちゃんと快適に過ごせているか確認したかったんです」と、ホーは語る。Idol Horseの取材に電話で応じてくれた。その日はジムに向かう途中で、これからトレーニングに入るところだった。
「彼は長年の友人みたいな存在ですからね。でもそれだけじゃなくて、怪我をしてからずっと馬に触れていないなかで、心から信頼できる唯一の馬なんです。どんな時でも、この馬なら私を大切に扱ってくれると分かっているんです」
ノーザンホースパークの施設にも感銘を受けており、香港競馬の伝説となった名馬にふさわしい余生が用意されたことに、ホーはノーザンファームの吉田勝己氏ら関係者への感謝を口にした。馬主であるスタンレー・チャン氏も1度、ホーとともに現地を訪れている。
「ゴールデンシックスティが香港、そして私たちにもたらしてくれたものを考えれば、最高の待遇を受ける資格があるんです。コロナ禍で苦しんだ2020年、2021年、そしてその後の時期、彼は街に希望を与えてくれましたから」
現役時代、勝利後にはよくフランシス・ルイ厩舎の馬房を訪ね、ニンジンを手土産にゴールデンシックスティへ感謝の気持ちを伝えていたホー。気が強く、“縄張り意識”を持つ馬に対しては、いつも慎重に愛情を注いでいた。
そして今回、久々の再会でも、あの独特の気性は健在だった。ただし、そこには新たな一面も見えてきた。
「とても落ち着いて、穏やかになっていました。でも、私のことをちゃんと覚えてくれていて、あの頃のゴールデンシックスティの面影も確かにありました」とホーは言う。
「馬房の中では相変わらず自分の縄張りを守ろうとするんです。周りの人たちは『随分と落ち着いた』とか『変わった』と言ってましたが、私にとっては彼はやっぱりあのまま。性格そのものは変わっていません」
「ただ、昼間に放牧で外に出られて、隣に別の馬もいる生活になったことで、神経質な面が少し変わってリラックスできるようになったと思います。でも、少しのことでスイッチが入るのは相変わらずで、完全に引退馬になったわけではありません。まだ自分のことを競走馬だと思っているんです」


ホーは、ノーザンホースパークの丸馬場でゴールデンシックスティを軽く駆けさせ、馬が放牧地での引退生活へ移行し、他の馬とコミュニケーションを取る手助けをしたという。
「私にとっても、非常に良い勉強になりました」とホーは語る。
「将来的に調教師の仕事に興味を持ったとき、こうしたこともその一部になると思います。香港のジョッキーは基本的に降りてから馬と関わる時間が少ないですが、本当はこういう触れ合いこそが、馬とのコミュニケーションや感覚を養う上で大切なんだと感じています。これは本当に良い体験でした」
「正直なところ、自分が本当に調教師になりたいのかはまだ分かりません。でも、これはホースマンシップの一環。自分がよく知っている馬からでも、まだまだ学ぶことはあります。こうした馬との対話が、将来的にジョッキーとして上達するための糧になるはずです」
ゴールデンシックスティは、ノーザンホースパークで訪問客に囲まれながらも新しい生活を楽しんでいるようだ。
「人がそばにいるのが好きなんですよ。見学エリアはいつも賑わっていますけど、彼はもうしっかり適応していて、みんなに注目されるのを楽しんでいるようでした」
「私が訪ねた日も、毎回のように香港から来た人たちが彼を見に来ていて……とても嬉しい光景でした。彼がオーストラリアで引退していたら、ファンにとってはもっと距離を感じてしまっていたかもしれません。でも何より大切なのは、彼が元気で幸せに過ごしていること。隣の馬房には34歳(ウインドインハーヘア)と27歳(ジョン)の馬がいて、どちらも元気で幸せそうでした」

自身の体の回復も、ホーは焦らず着実に進めている。今回の落馬は、1年半の間で4度目の大怪我だった。だからこそ、彼は当初から「時間をかける」と心に決めていた。
「今のところ経過は順調です。数週間以内にスイスのスポーツ専門クリニックで再検査を受ける予定です。そこで良い結果が出れば、調教騎乗を再開して、まずは馬にまたがる感覚や、追い切りのリズムに慣れることから始めていきたい。その後、バリアトライアルでの騎乗も検討して、最終的には心身ともに完全な状態になってから、レースに復帰するつもりです」
「無理に急ぐことはできません。特に脳のことに関しては絶対に無理は禁物です。100%の状態になるまでは、慎重にいきます」
いつでも前向きに物事を捉えるホーは、この時間をチャンスとして捉えている。通常なら週2回の開催での騎乗に加え、毎朝の調教とバリアトライアル、そんなスケジュールに追われる中では取り組めなかった、自身のフィジカル面の課題と向き合っているのだ。
「今はちゃんとリハビリができる時間があります。脳へのダメージや認知機能、身体的な回復もあって大変ではありますが、少なくとも今は本格的なリハビリに集中できます」
「騎手をしていると、特定の筋肉を鍛えたいと思っても、時間が足りないんです。でも今は違います。もしかすると、以前より良いパフォーマンスで戻れるかもしれません。今こそ、そのための準備をする時だと思ってポジティブに捉えています」
「ここ数ヶ月は本当にストレスも大きかったですが、今の生活は朝から夕方までがトレーニングで、夜は理学療法士のところへ通います。以前と似てますが、ただしこれは『騎手として』ではなくて『リハビリのための毎日』ですけどね」と笑う。
キャリア最大の試練に立ち向かいながらも、鞍上への復帰に向けて一歩ずつ進んでいるホー。その背中をそっと押してくれる存在が、北海道の地にいる。
「今でも放牧地ではリーダー的存在です」とホーは愛馬について語る。
「でも、隣にいるジョンはとても穏やかな馬で、一緒に放牧地で穏やかに過ごす姿からは、満足そうな様子が伝わってきました。ゴールデンシックスティも友達ができましたし、今ではちゃんと“馬” らしく過ごせています。本当に感謝しています」