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ついに、その時が来たようだ。競馬史で最も偉大な騎手であるフランキー・デットーリ(本名:ランフランコ・デットーリ)騎手が、土曜日のブリーダーズカップを最後に引退する。

現時点のアメリカでの最後の騎乗は、BCマイルでの中内田充正調教師が管理するアルジーヌとなる予定だ。デットーリはこのレースを過去2度制しており、そのうち1994年のバラシアでの勝利が、自身にとってブリーダーズカップ初制覇であった。

「土曜日のブリーダーズカップの後、私は米国でのレース騎乗から引退し、ずっとやりたいと思っていた南米での数回の騎乗をもって、キャリアを終えるつもりです」と、彼はX(旧Twitter)での声明で述べた。

「40年以上にわたり、このスポーツの最高レベルで競い合えたことは名誉でした」と彼は続け、家族と彼を支えてくれたすべての人々に感謝を述べた。

Idol Horseの取材によれば、54歳のデットーリは有力な馬主組織での役職に就く予定であり、自身と妻のキャサリン・デットーリ氏がアメリカから、栄光を築き上げたイギリスへと再び拠点を移す可能性もあるという。

2年前、デットーリは12ヶ月間の引退ツアーを開始してから、10ヶ月後に引退を撤回するという、電撃 “続行” があった。結果、彼はブーツを脱ぐ代わりにスーツケースに詰め、米国へと移住。有名な『フライング・ディスマウント』は、まず南カリフォルニアへ、そして東海岸のケンタッキーやニューヨークで披露されていった。

その引退撤回は、競馬ファンにとっては喜びであり、競馬界全体にとっては、その貴重な財産が失われずに済んだという安堵感をもって迎えられた。

しかし、今、本当にその時が来た。

競馬の社会的な存在意義と人気がますます後退しているように見える世界において、日本以外で(おそらく)最後の、真に有名なジョッキーとなるかもしれない男が、その鞍上での卓越した技術と勝利の際のはじけるような歓喜の姿でファンを魅了することは、もうなくなるのだ。

デットーリが2023年後半に米国へ移籍したことで、英国競馬界はすでに唯一無二の真のスターを失っていた。

彼が英国の一般大衆にその名を知らしめたのは、1996年9月、1日で7レース全勝という『マグニフィセント・セブン』を達成した時だった。この結果はブックメーカーに大打撃を与え、国内外の注目を集めた。これほどの大注目を集めた英国の騎手は、おそらく彼が最後だろう。

翌年、デットーリは芸能界にも進出し、ITVのプライムタイム番組『This Is Your Life』の題材となった。2000年代初頭の2年間は、BBCの人気スポーツクイズ番組『A Question of Sport』でチームキャプテンを務めた。

2013年には『Celebrity Big Brother』に出演し、2年前には『I’m a Celebrity, Get Me Out of Here(有名人ですが、ここから出して!)』の出場者として、ジャングルで約2週間のサバイバル生活を過ごした。2001年には “競馬界への貢献” が認められ、エリザベス2世女王から名誉MBE(大英勲章)を授与されたほどだった。

しかし、2000年にニューマーケットで起きた飛行機墜落事故の恐怖と悲劇もあった。この事故ではパイロットのパトリック・マッケイ氏が亡くなり、デットーリの同僚だったレイ・コクレーン元騎手は九死に一生を得た。

この出来事は当時の一般紙の見出しを飾り、2012年にフランスの裁決委員によって下された薬物検査失格による不名誉な6ヶ月間の騎乗停止処分や、同年10月のゴドルフィンとの契約解除も同様に大きく報じられた。

最近では、2025年、英国歳入関税庁(HMRC)との租税回避スキームを巡る法廷闘争で合意に至らず、英国で破産を申請したというニュースが報じられた。

イタリアのチャンピオンジョッキー、ジャンフランコ・デットーリ騎手の息子として生まれた彼は、10代でイギリスに渡り、ニューマーケットのルカ・クマーニ調教師のもとで見習騎手となった。

1989年に19歳で見習騎手チャンピオンに輝き、1990年のG1・クイーンエリザベス2世ステークスでマークオブディスティンクションに騎乗してG1初勝利。その後、1990年代初頭にかけてジョン・ゴスデン調教師とのパートナーシップを築き、モハメド殿下との強固な関係を確立し、新たに設立されたゴドルフィンの主戦騎手に任命された。

デットーリはゴドルフィンの青い勝負服を纏うと、その勢いはほぼ誰にも止められず、組織のグローバルなアプローチによって彼の名声は世界中に広がった。

彼はそのキャリアで3度英国のチャンピオンジョッキーに輝き、競馬史に残る名馬たちの鞍上を務めた。特に有名なのは、ドバイミレニアム、シャマーダル、ラムタラ、スウェイン、ファンタスティックライト、デイラミ、ホーリング、シングスピール、ロックソング、サキー、ウィジャボード、ドバウィ、ゴールデンホーン、ストラディバリウス、そしてエネイブルだ。

彼はイギリスクラシック競走で23勝を挙げ、その中には2007年と2015年の英ダービーも含まれる。凱旋門賞を6回、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを7回制覇。ジャパンカップは3回、ドバイワールドカップは4回勝利している。

さらに、ブリーダーズカップでの14勝を含め、キャリア通算で200を超えるG1勝利を挙げている。

デットーリは競馬史に残る偉大な騎手の一人として引退する。しかし、競馬界が失うのは、単なる崇高な技術を持つ騎手や傑出したアスリートではない。一般大衆と競馬界とを繋ぐ、重要な架け橋をも失うことになるのだ。

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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