リスポリとフレス、アメリカのイタリア人騎手が語る「フランキーおじさん」デットーリとの出会い

2023年冬、フランキー・デットーリが南カリフォルニア州に拠点を移した。イタリア人騎手のウンベルト・リスポリとアントニオ・フレスにとっては願ってもない幸運であり、そこから学べることは多かった。そして、彼らが『おじさん』と呼ぶフランキーの人柄とは…。

リスポリとフレス、アメリカのイタリア人騎手が語る「フランキーおじさん」デットーリとの出会い

2023年冬、フランキー・デットーリが南カリフォルニア州に拠点を移した。イタリア人騎手のウンベルト・リスポリとアントニオ・フレスにとっては願ってもない幸運であり、そこから学べることは多かった。そして、彼らが『おじさん』と呼ぶフランキーの人柄とは…。

フランキーことランフランコ・デットーリ騎手はこの日、サンタアニタパーク競馬場のジョッキールームにいた。

この部屋の一角には『イタリアンコーナー』と呼ばれるイタリア人騎手のたまり場がある。ここ数ヶ月、ウンベルト・リスポリ騎手やアントニオ・フレス騎手と共に、ほぼ毎レースをここで過ごしてきた。

しかし、この日は違った。フレスは微笑みながら、思い出を語る。

「彼のロッカーを占領してしまって…」

フランキーおじさんへの親しみと尊敬

これは2024年6月の初旬、サンタアニタの冬春シーズンが終わりかけていた頃の話だ。数日前からペンシルベニア州のペンナショナル競馬場に遠征していたデットーリは、重賞勝利を手土産に遙か遠くの東海岸から西海岸のカリフォルニア州に戻ってきたばかりだった。

「彼は言ったんです。『僕のロッカーどこ行った?頼むよ、年長者をもっと敬ってくれよ』って」

「すると、私はこう返しました。『おっと!ジオ、もう戻ってきたの?ここは俺の場所だよ、移動するつもりはないね!またどっか行くかもしれないし、引退するかもしれないでしょ!』と」

「もう、みんな大爆笑でした」

ジオ(Zio)はイタリア語で『おじさん』という意味だ。この親しみと軽い冗談を込めた愛称の裏には、深い尊敬の念が隠れている。

「彼は競馬界のタイガー・ウッズであり、ミハエル・シューマッハであり、バレンティーノ・ロッシであり、メッシでもクリスティアーノ・ロナウドでもあるんです」

Frankie Dettori Colour Vision at Royal Ascot
FRANKIE DETTORI, COLOUR VISION / G1 Ascot Gold Cup // Ascot /// 2012 //// Photo by Alan Crowhurst

そう語るのはもう一人のイタリア人騎手、ウンベルト・リスポリだ。

53歳を迎えたデットーリは、史上最高クラスの騎手だ。世界を股にかける最高の騎手であり、ビッグレースでの勝利は数えれば百を超える。フレスとリスポリにとっては、意外な形で同僚となる遙か前から、特別な存在として尊敬のまなざしで彼を見ていた。

「イタリア人の競馬関係者にとって、フランキーは神のような存在です」とフレスは語る。

イタリアの競馬界で幼少期を過ごしたフレスとリスポリは、幼少期からデットーリを崇拝していた。

「いつも、『なあ、ロイヤルアスコットでフランキーが5勝したの見た?』とか『フランキーがサンダウンで勝ったの見た?』って話をしていました」

デットーリが母国を離れてニューマーケットに移り、イタリア人調教師のルカ・クマーニに師事していた頃、彼らはまだ生まれていなかった。

デットーリがラムタラに乗って凱旋門賞を初めて勝った頃、リスポリは7歳、フレスはまだ幼稚園児だった。デットーリがアスコットで『マグニフィセントセブン(1日全レース勝利)』の偉業を達成した頃、リスポリは9歳、フレスは5歳だった。

彼らは幼少期に見た、ゴドルフィンブルーのフランキーが競馬界を牛耳る姿が脳裏に焼き付いている。

「私が子供の頃、フランキーはあらゆる良い馬に騎乗していました」

リスポリは幼少期の思い出を明かしてくれた。

「今の子供はクリロナやメッシのポスターを貼っているかもしれませんが、自分の部屋はフランキー・デットーリ一色でした」

唐突に発表された、アメリカへの移籍

フランキーの父であるジャンフランコ・デットーリ騎手はイタリアのシーズン最多勝記録を持っていたが、それを初めて上回ったのはこのリスポリだ。これまでに日本・香港・イタリア・フランス・アメリカでG1レースを勝っている。数年間香港で騎乗した後、2019年にアメリカの南カリフォルニア州に移住した。

フレスはイタリア、ドバイ、アメリカでビッグレースを制し、特にUAEで好成績を収めていた。2023年の夏の終わり、カリフォルニアに拠点を移した。

Antoniu Fresu and Zenden win G1 Golden Shaheen
ANTONIO FRESU, ZENDEN / G1 Dubai Golden Shaheen // Meydan /// 2021 //// Photo by Francois Nel

ご存じの通り、デットーリは2023年限りで騎手を引退する予定だった。2022年の12月に引退が発表されると競馬界に激震が走り、1年をかけて世界中を回る引退ツアーが用意された。

しかし、引退は延期されることになった。

フランキーと妻のキャサリンさんはカリフォルニアに移住し、12月から6月のサンタアニタ開催で騎乗することになった。

「引退が発表されたとき、少し悲しかったです」とフレスは語る。

「彼がアメリカに移籍すると発表されたとき、そして早速冬から乗り始めると発表されたとき、本当に嬉しかったのを覚えています。もっと一緒に乗りたかったですから!」

サンタアニタで意気投合した3人は、この開催でG1を勝ちまくっていた。

デットーリはサンタアニタハンデキャップとジェニーワイリーSの2勝、フレスはサンタアニタダービー、リスポリはアメリカンオークスとゲイムリーS、そしてシューメイカーマイルSの3勝を挙げた。

特に、G1・シューメイカーマイルSはリスポリにとって最高のレースだった。デットーリが騎乗した単勝12倍のファンタスティックアゲインが押し切ろうとしたところ、単勝3.2倍のヨハネスがそこに強襲した。勝ったのはヨハネス、鞍上はリスポリだった。

「最高の気分でした。レース後、フランキーとこんなことを話しました。『あなたに勝ってG1も勝ったぞ!』って。私がどれだけ尊敬しているか、どれだけ好きかを彼も知っているので、もちろん悪い意味じゃないとは分かってくれています。お互いにリスペクトしている仲なんです。フランキーは私が生まれる前から両親のことを知っていたくらいの間柄です」

JOHANNES / G1 Shoemaker Mile Stakes // Santa Anita Park /// 2024

フランキーから学べること

この2人が同じレースに騎乗する機会は、これが初めてではない。リスポリが初めてG1を勝った、イタリアのリディアテシオ賞。このレースで、デットーリは2着だった。

「ただ、着差は3馬身ほどありました」と、リスポリは若い頃を思い出しながら語り始める。

「今回は自身初の同日G1・2勝でしたし、フランキーの馬とは半馬身差の大接戦でした。彼が乗っていたのは穴馬で、危うく持って行かれるところでした」

「真っ向勝負で向き合いました。信じてください。私はレースに集中していたのですが、ゴール板を超えた辺りで周りを見ると彼はまだ食らいついていました。決して諦めず、食らいついていました」

「彼が走りながらどれだけ叫んでいたか、信じられません。だからレース後に言ったんです。『凱旋門賞やドバイワールドカップを勝った騎手なのに、こんなに叫ぶんですか』って。この年齢でこのレベルを維持するメンタリティが、これなんです」

リスポリとフレスは以前もジョッキールームでデットーリといたことがあるが、今回は意味合いが違った。長期間共に過ごしただけでなく、異国の地で同じ言語や文化を共有し、より絆が深まったのだ。この年のサンタアニタ開催は、リスポリとフレスが少年時代の英雄と共にレースに乗り、話し、笑い、同じ日々を過ごした毎日だった。

時には冗談を言い合って、からかって、ロッカーにいたずらを仕掛けて。そんな日々の中で、見て、聞いて、そして学んだ。

デットーリがカリフォルニアに拠点を移すと報道されたとき、何人かの騎手は騎乗機会が失われると心配していたとリスポリは明かした。

しかし、ナポリ流の情熱がトレードマークの彼は、熱く反論する。

「私は彼らに言いました。『いいや、むしろ最高の機会だ』ってね。最高峰の人々と競い合うとき、それが自分の技術を上達させる唯一の方法です。自分自身を鍛えてくれるのが、デットーリという存在なのです。彼がキャリアのこの段階で来てくれたことを、喜ばなくてはいけません」

「フランキーと一緒に過ごせるなんて、私にとっては夢が叶ったも同然です。それで自分自身を見直し、自分のレベルを上げようと決意しました。フランキーが来るんです、準備をしなくちゃいけない」

Jockey Umberto Rispoli
UMBERTO RISPOLI / Del Mar // 2022 /// Photo by Grant Courtney

フレスも同様の意見を持っていた。

「フランキーが逃げるなら追いかけるべきだし、後方に控えるなら追い込みを警戒しなくちゃいけない。そういう存在なんです。フランキーを相手にするときは、クレバーに乗らないといけない。もっと上手く乗らないといけない。最高の相手と戦うとき、自分も最高じゃないといけないんです」

デットーリの模範的な態度は、ジョッキールームの内外に落ち着きをもたらしてくれると2人は考えている。かつては活発だった彼も、今では落ち着いたリーダーだ。

「私たちとは違ったタイプの方です」とリスポリは言う。

「私はいつも燃料満タンで、やる気満々、緊張の糸が張り詰めているタイプです。フランキーはそんなとき私のところに来て、『ウンビ(ウンベルトの愛称)、そんなに焦るなって。落ち着いて、リラックスしていこう』と声をかけてくれます」

「彼の話は黙って聞くのみです。フランキーのような人がアドバイスをくれたら、それを黙って受け入れるだけです。騎乗を批判されることもありますが、彼はすぐ切り替えて、過去のこととして捉えています」

「それは簡単なことではありません。もしかしたら勝てていたかもしれないと思って、リプレイを何度も見てしまうかもしれない。しかし、彼は『いいか、何度見直したって結果は変わらないんだ。気にせず、前に進もう』と語りかけてくれるんです。最高のメンターです」

Frankie Dettori and Queen's Trust, Santa Anita
FRANKIE DETTORI, QUEEN’S TRUST / G1 Breeders’ Cup Filly and Mare Turf // Santa Anita Park /// 2016 //// Photo by Mark Ralston

イタリアンコーナーの思い出

今となっては、良き友人でもある。フレスとリスポリはこの機会を幸運だと感じている。フレスは以下のように語る。

「私たちは良き友人関係であり、競馬場の外でも同様です。競馬となると、勝つためにベストを尽くします」

「ジョッキールームに戻ったらすぐに切り替えて、次のレースに集中します」

「フランキーは本当にポジティブな人柄で、暗い雰囲気が嫌いです。常にポジティブでありたいと行動し、いつも笑顔で、みんなを元気づけたいと思っています。素晴らしい人です」

そして、それが楽しい会話、冗談、いたずらに繋がっている。

「エドウィン・マルドナード騎手やケント・デザーモ騎手にとっては、ちょっと可哀想な話です。私たちの冗談やいたずらの犠牲になってしまいますから」

リスポリは笑みを浮かべながら、語り始める。

「そして、アントニオやフランキーと一緒にイタリアンコーナーで大笑いします」

リスポリはとある『研究結果』を話してくれた。ベテランの『ジオ』はいつもパドックに一足早く出てくるという。16、17分も前にパドックに向かってしまうこともあり、これもネタの一つだ。しかし、元チャンピオンのプロ意識と仕事への集中力に対する、賞賛と尊敬の念が込められたネタであることも忘れてはならない。

「19分前くらいになったら『遅いよ!急げ!』って冗談を飛ばし合うんです」

そして、デットーリがまだ貪欲に成功を追い求めており、勝利の興奮を求め続けていると彼らは見ている。引退後は味わえない、ジョッキールームの仲間意識も楽しんでいるに違いない。

サンタアニタの開催期間は6月でほぼ終わったため、デットーリは東海岸のサラトガに拠点を移した。ロイヤルアスコットを観客の一人として楽しんだ後、彼はデルマーに戻るかもしれないし、秋にはサンタアニタに帰ってくるかもしれない。

しかし、リスポリとフレスは、彼の栄光に満ちたキャリアもいつか終わる日が来ることを知っている。

それまでの間、彼と一緒にいる全てのひとときを味わいつくし、彼から学べることは学びつくし、少年時代の英雄と過ごせる予期せぬ『ボーナスタイム』を楽しみつくすことだろう。

「彼は私の憧れでしたし、今でも私の憧れです」

フレスのこの言葉に、リスポリも同意する。

「彼は私にとって、永遠の憧れです」

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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