ジェームズ・カミングスの最新ニュース

11/07/2025
香港競馬を変えた2001年の衝撃、ジョン・サイズ調教師が13度目の戴冠へ
香港競馬の革命児、ジョン・サイズ調教師がまたひとつ栄冠を手にしようとしている今、伝説の始まりとなった2001年の衝撃を改めて振り返る。
マイケル・コックス

11/06/2025
オーストラリアから香港に大型移籍、ジェームズ・カミングス調教師が26/27シーズンから香港へ
ゴドルフィンからの独立を発表してからわずか1ヶ月、オーストラリアのトップ調教師が香港への移籍を決断。HKJCにとっては大きな引き抜きとなった。
アダム・ペンギリー

30/04/2025
ゴドルフィン新戦略の波紋、ジェームズ・カミングス調教師が専属契約解除で独立へ
バート、アンソニー、エドワードと調教師一家に生まれたジェームズ・カミングス調教師が、ゴドルフィンとの専属契約を離れ、ランドウィックの名門厩舎・レイラニロッジ調教場を引き継ぐ。両者にとって大きな転換点となりそうだ。
アダム・ペンギリー

04/04/2025
競馬界を離れたアンソニー・カミングス調教師、厩舎を追われた現在の日々について心境を吐露
困難な時期を乗り越えたアンソニー・カミングス調教師が、ライセンス剥奪とレイラニロッジ喪失について初めて語った。
アダム・ペンギリー

07/03/2025
ゴドルフィンの将来は? オーストラリア部門の危機的状況、世界的帝国の未来とは
ジェームズ・カミングス調教師の契約問題、管理馬の減少、そしてユーロンによる買収の噂……。アダム・ペンギリー記者が、モハメド殿下のオーストラリア競馬帝国の現状を分析する。
アダム・ペンギリー
ジェームズ・カミングスのプロフィール
ジェームズ・カミングス調教師は、「オーストラリアで最も有名なトレーナー」バート・カミングス元調教師の孫であり、同国を代表するトップトレーナーの一人である。
また、ゴドルフィン・オーストラリアの専属調教師として、2010年代から2020年代にかけて多くの名馬を管理。ロイヤルブルー軍団の躍進を支えたことでも知られている。
ジェームズ・カミングスの生い立ち
競馬界の名門家、カミングス家は代々続くオーストラリアの調教師一族である。
曽祖父のジム・カミングス氏は1900年代初頭、ノーザンテリトリーのアリススプリングスで調教を開始。叔父の牧場で馬の世話や騎乗を学んだ後、1920年代初頭にアリススプリングスからアデレードまで1500kmを旅し、南オーストラリア州に厩舎を構えた。
1928年にはオペラクイーンでVRCオークスを制し、1950年にはコミックコートでメルボルンカップを制覇。しかも、当時のレコードタイムを叩き出しての勝利だった。
ジムの息子、バート・カミングス元調教師は馬や干し草にアレルギーを持つ体質ながら、父と同じ道を志し、10代で厩舎入り。20代前半にはコミックコートの帯同厩務員として、メルボルンカップ制覇を経験した。
以後は生涯を通じてこのレースに情熱を注ぎ、1965年から2008年にかけて史上最多となる12勝のメルボルンカップ制覇を達成。G1勝利数は通算246勝に及び、ライトフィンガーズ、ガリリー、レイラニ、シンクビッグ、メイビーマハル、ボーザム、レッツイロープ、セイントリー、そしてソーユーシンクなど名馬を数多く手掛けた。

バートの息子、そしてジェームズの父であるアンソニー・カミングス氏は、1990年代初頭からシドニーで調教師として活動。1歳馬の相馬眼に優れ、メルボルンカップ・コーフィールドカップ・コックスプレートの三冠を制したマイトアンドパワーを見抜いたことで知られる。
さらには香港の名馬・ビューティージェネレーションの父ロードトゥロックを手掛け、2022年にはシーズエクストリームでVRCオークスを制し、一族3世代にわたるG1制覇を達成した。
ジェームズはまず父の下で厩務員として働き、後に祖父が営むレイラニロッジの厩舎に移籍。2013年にはバートとの共同調教師となり、2014年のゴールデンローズ、2015年のランドウィックギニーをハロウドクラウンで制覇。これがバートの最後のG1勝利であり、ジェームズのG1初勝利でもあった。
2017年5月、ジェームズはゴドルフィン・オーストラリアの専属調教師に就任。同年9月にはアリーゼーで初のG1勝利を挙げ、その後ゴドルフィン軍団(ブルーアーミー)の一員として48のG1タイトルを積み重ねている。
兄のエドワードもG1トレーナーとして知られている。調教師としてデュアイスを輩出しており、同馬はこれまでにG1レースを3勝している。
ジェームズ・カミングスの妻
ジェームズ・カミングスは2014年、妻のモニカさんと結婚。同氏はフィリピンの大富豪、故エドゥアルド・コファンコの孫娘として知られている。
夫妻の間にはアデリン、ミア、ハーヴィー、オリヴァーの4人の子供がいる。
ジェームズ・カミングスの香港移籍
2025年、ドバイのモハメド殿下が率いるゴドルフィン・オーストラリアで8年間指揮を執った後、カミングスは専属契約の終了を発表。ゴドルフィンは専属厩舎システムを廃止し、所属馬は複数の有力厩舎に分散されることとなった。
当初はシドニーとメルボルンを拠点とする厩舎を立ち上げ、レイラニロッジの厩舎を家族の手に残す計画だったが、同年6月に香港ジョッキークラブが香港への移籍について正式発表。カミングスは2026年半ばから、香港のシャティン競馬場に厩舎を構えることとなった。
ジェームズ・カミングスの調教哲学
祖父と同じく優秀な人材を集める手腕を発揮し、シドニーの2拠点とフレミントン、さらにNSW州とヴィクトリア州のダーレースタッドを活用し、大規模な体制を築いてきた。
血統馬を将来の種牡馬や繁殖牝馬へと育成する一方で、ステイヤーを手掛けても結果を出しており、忍耐強さと的確なローテーションで知られている。

ジェームズ・カミングス厩舎の代表馬
ゴドルフィンの使命は、将来有力な種牡馬となる馬を育成することだ。その象徴がアナモーである。
2歳時にATCサイアーズプロデュースステークスを勝ち、3歳でコーフィールドギニーとローズヒルギニーを制覇。4歳時には破竹の勢いでコックスプレートを含む6つのG1を勝利し、2026年末には待望の初年度産駒がデビュー予定となっている。

また、ハートネルもカミングス厩舎を代表する一頭だ。1400mから3200mまで幅広く活躍し、ジョン・オシェア厩舎から転厩後もC.F.オーアステークスやエプソムハンデキャップを制し、8歳まで一線級で走り続けた。
ジェームズ・カミングス、最大の偉業
ジェームズ・カミングスは2024年9月、ブロードサイディングでゴールデンローズステークスを制し、36歳260日の若さでG1・50勝に到達。オーストラリア競馬史上最年少記録を更新した。
この記録を上回ったのは世界的に見ても、エイダン・オブライエン(32歳4日)とジェイミー・リチャーズ(32歳87日)のみである。
ご存知でしたか?
ジェームズ・カミングスは祖父バート、父アンソニーに続き、親子三代で香港・シャティン競馬場にて管理馬を出走させたことがある。
バートは1997年の香港ボウル(現・香港マイル)をカタランオープニングで制し、アンソニーはカジノプリンスで2007年のチャンピオンズマイル(9着)に挑戦した。