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「質の高い馬は自分の目で発掘」香港競馬の大物輸入馬黄金期はどこへ?

世界の一流馬を香港へと導いてきた名伯楽、ジョン・ムーア調教師。そんな彼が築いた“輸入黄金期”と比べても、2025年の香港ダービーは様変わりした。出走馬の顔ぶれは、かつての質よりもコスパを意識した新時代のリアルを映している。

「質の高い馬は自分の目で発掘」香港競馬の大物輸入馬黄金期はどこへ?

世界の一流馬を香港へと導いてきた名伯楽、ジョン・ムーア調教師。そんな彼が築いた“輸入黄金期”と比べても、2025年の香港ダービーは様変わりした。出走馬の顔ぶれは、かつての質よりもコスパを意識した新時代のリアルを映している。

ジョン・ムーア元調教師の記憶には、いつまでも色褪せない馬たちがいる。アートトレーダーもその一頭だった。

イギリス・グロリアスグッドウッド開催で10ハロンの3歳ハンデ戦を勝ち、ジョニー・ムルタ騎手が騎乗していたあの夏の日。アートトレーダーは4戦で2勝を挙げ、重賞競走を狙える有望株として注目された。

そして、何よりも香港ダービー向きだった。ムーアの『買付リスト』にしっかり名を連ねたのも当然だった。当時のムーアは、オフシーズンの多くを費やし、ヨーロッパ中の高速道路や田舎道を巡って、次なるダービー馬の候補を探し回っていた。

「パリで観光して、ロンドンでショーを観て、アイルランドで少しゴルフもしましたよ。いつも忙しくしていたというわけじゃなかったですが……まあ、ほとんどは馬探しだったと思います」ムーアはIdol Horseにそう語る。

あのグッドウッドの勝利から半年後、アートトレーダーはハッピーバレーの2番枠に入っていた。馬主デヴィッド・ボームの白黒斜め縞に赤白縞帽の勝負服で臨んだ一戦。シャティンでのデビュー戦は9着とまずまずだったが、レーティング84のこの馬を香港ダービーに出走させるには、時間が残されていなかった。

「とにかく、出走資格を得なければならなかったんです。でも間に合いませんでした。ハッピーバレーでスミヨン騎手が良くない騎乗をしてしましてね。届かなかったんです」

2005年2月の粗いアーカイブ映像には、ゲートから飛び出す騎手と馬の姿がぼんやりと映っているが、デヴィッド・ラファエル氏によるレース実況の声は鮮明だ。

「アートトレーダー、出遅れました。6馬身後ろです」

アートトレーダーは2週間半後、再びハッピーバレーに戻り、マイケル・ロッド騎手を背にクラス2を勝ち上がる。だが、それは一歩遅かった。

迎えた3月中旬、ダービーデーに彼は出走していた。だがダービー本番ではなく、その後に行われた1800メートルのクラス2ハンデ戦に出走し、着外に終わった。

この一連の出来事は、ヨーロッパの夏を駆け抜けた3歳馬が、香港の地でわずか数ヶ月で適応し、3月のダービーに間に合わせることの難しさを示す証拠のひとつにすぎない。カギとなるのは「順応」と「運」である。

レーティング制度の変化

しかし、ムーアが真に強調したいのは、アートトレーダーの当時のレーティングが91にまで上がっていたにもかかわらず、ダービー出走には届かなかったという事実だ。そして20年後の今、2025年香港ダービーまで数日を残すなか、こう語る。

「今年の出走馬には、レーティング78や76の馬もいるんですからね」

2022年の香港ダービーには、レーティングわずか64のノルディックスカイが出走していたことも忘れてはならない。

これは、香港ジョッキークラブのハンデキャッパーが近年採用している新たな方針、すなわち、高額輸入馬にはあえて低めの初期レーティングを与え、早期に適応させやすくするというアプローチの一端を示している。

とはいえ、アートトレーダーが出走できなかった2005年の香港ダービーには、最終的にヴェンジェンスオブレインを筆頭とする強豪が揃い、出走に必要な最低レーティングは96だった。

仮にアートトレーダーが今週日曜日のダービーを目指すとすれば、単純な比較で言えばレーティング91の彼は、出走馬の中で4番目に高い評価となり、間違いなく出走資格を満たしていたことになる。

John Moore's Art Trader
ART TRADER / Chairman’s Trophy // Sha Tin /// 2006 //// Photo by Kenneth Chan

ムーアは、香港での調教師キャリアを終えてから間もなく5年を迎える今、オーナーたちの購買力と志向の変化により、香港ダービーのレース構成そのものが変化してきたと指摘する。

「今ではクラス3の馬がダービーに出てくる時代です。私の意見では、レースの質そのものが落ちています。層の厚みもです」

もっとも、彼は決して香港ダービーを貶めようとしているわけではない。そのレースが香港競馬界にとっていかに重要かについては、誰よりも理解している。

ゴールデンシックスティやロマンチックウォリアーといった、過去5年で現れた傑出したチャンピオンたちの存在ももちろん認めている。だが同時に、レースの構成が変化していること、そしてその背景には時代の経済的要請があることを見て取っている。

昔とは違う馬選び

かつてムーアが他陣営に先駆けて探し出し、購入し、そして香港で素早く順応させてきたPP(出走歴のある輸入馬)たち。その輸入馬の質は、かつてほどではなくなってきている。予算の縮小や価格の高騰も理由のひとつだが、ムーアは「多くの調教師が現場を離れエージェント任せになっている」ことにも問題があると見る。

「今の調教師たちは、オフシーズンに自分の足で馬を見に行くことをしない」とムーアは指摘する。「代わりにインターネット時代の今はエージェントに頼ってばかりです」

「香港にいる中国人エージェントが、ヨーロッパのエージェントと連絡を取り合い、その相手がさらに別のエージェントとつながって……気づけば馬一頭に対して2人、3人がコミッションを取っています。これは調教師側の怠慢だと思います」

「単にイヤリングセールに顔を出して満足してしまうような調教師もいますが、それだけでは意味がありません。ただの無料旅行です。質の高い馬を手に入れたければ、自ら動くしかありません」

「最初に少しコストをかけてでも足を運べば、運が良ければオーナーが次も送り出してくれて遠征費も出してくれるかもしれない。そうすれば、他の馬の買い付けにもつながります」

ムーアがかつて欧州での馬選びに成功した背景には、アラステア・ドナルド氏のような有能なエージェントの存在があった。さらに以前には、エージェントのジョン・フット氏とともに、オセアニアや南米、アメリカからも馬を買い付けていた。

言うまでもなく、彼が代理人に否定的というわけではない。実際、彼自身も今ではその立場にある。ただし彼は「実際に調教師が馬を見て、その馬体を自分の目で判断することに代わるものはない」と強調する。

「アラステア・ドナルドに『気に入った馬の写真を送ってくれ』と頼むこともありましたが、馬の体つきを正確に把握するには写真では不十分です。だから私は常に『自分で現地に行って見るべきだ』と言っていました」

「私は資金を持っていたし、それも大金でした。結果を求められていましたし、それに応える自信もありました。でも、だからこそ自分の目で見ることが重要だったんです」とムーアは語る。

香港に居住するムーアは、香港の経済状況やハンセン指数、株式市場で利益を上げている人々について言及したうえで、こう付け加えた。「香港企業の多くは実は借金を抱えていて、競走馬のオーナーたちは、ダービー用の馬にどれだけ費用をかけられるかを慎重に見極めているんです」

実績馬 vs 未出走馬

コロナ禍後の香港経済の減速もあり、高額なPP(出走歴のある輸入馬)から、より手ごろなPPG(未出走の輸入馬)への移行が進んでいる。

PPGはイヤリングセールやトレーニングセール、あるいはオーストラリアやニュージーランドのバリアトライアルの内容を見て買われる未出走馬で、香港に入厩してから初めて実戦に出るタイプである。

2000年代以降、PPがダービー出走馬の主流を占めてきた。2000年から2019年までの間に、PPがダービーを15回制し、PPGは5勝にとどまっていた。しかし近年はその傾向に変化が見られ、2020年以降はPPGおよびISG(香港国際セール出身馬)が4勝を挙げ、PPの勝利は1回だけとなっている。

とはいえ、依然としてダービー出走馬の大半はPPである。2019年には出走14頭すべてがPP、2021年にはキャスパー・ファウンズ厩舎のスカイダーシーが唯一のPPGだった。

しかし2023年には出走馬14頭のうちPP・8頭、PPG・6頭という構成となり、バランスが変化した。2024年には再びPP・11頭、PPG・3頭という従来通りの構成に戻ったものの、今年はPPとPPG(またはISG)が7頭ずつと、完全な拮抗状態になっている。

2023年にPPGのヴォイッジバブルでダービーを制したリッキー・イウ調教師も、依然としてダービー用の馬を探すうえではPPが第一選択であると認めつつ、「オーナーたちはコストを抑えやすいPPGに現実的な選択肢としてシフトせざるを得ない状況だ」と語る。

「経済の落ち込みを肌で感じている人が多いので、競走馬を持ちたいという気持ちは変わらなくても、PPからPPGに切り替えているんです」

「それに、今では良いPPを買うのが非常に難しくなってきていますし、値段も非常に高いのです」

ムーアが現役時代に欧州やオーストラリアから一線級のダービー候補を手に入れるには、おおよそ80万ポンドもしくは100万豪ドルを要した。その結果として彼は、ヴィヴァパタカ、コレクション、エクステンション、ミリタリーアタック、デザインズオンローム、ダンエクセル、ヘレンパラゴン、ワーザー、ラッパードラゴン、ビューティージェネレーションといったG1馬を多数送り出してきた。

しかし今では、オーストラリアでG1実績のある3歳馬の中で将来性を評価された馬には、200万豪ドル(約2億円)以上、時には300万豪ドル(約3億円)以上の値が付けられることもある。そうした現状を受けて、ムーア自身「最近オーダーが来るのは、たいていバリアトライアルを走ったばかりの未出走馬ばかりです」と語る。

「普通に考えれば、PPはPPGよりも高くつくはずです」とファウンズ調教師は言うが、最近ではPPGの価格も上がってきていると指摘する。

「今では、オーストラリアやニュージーランドのトライアルで目を引くような若駒には、馬主側も信じられないような金額を提示されます。なぜなら、もしオーストラリアに残って走らせれば、賞金がたっぷり得られることが分かっているからです」

オーストラリアによる欧州での購買力も、香港オーナーたちが高品質なダービー向きPPを確保しにくくなっている理由のひとつとして、しばしば指摘されている。

「多少の競合はあるものの、欧州から香港への輸出は非常に特殊なマーケットです」と語るのは、ブランフォードブラッドストック社のエージェント、スチュアート・ボーマン氏。「香港が求めるのは、ダービー用の馬。それはかなり特殊なタイプなんです。一方でオーストラリアは何でも買いますし、もう少し長距離をこなせる馬を狙っていることも多いですね」

「英国やアイルランドのトレーニングセール市場には新規参入者が多く、中東の投資家やアメリカ勢も活発です。だからこの市場は決してオーストラリアだけのものではありません。とても競争の激しい世界なんです」

時代に沿った制度変更

香港ジョッキークラブも、オーナーの負担を減らすべく制度変更を行ってきた。PPG(未出走の輸入馬)の輸入許可枠を拡大し、PP(出走歴のある輸入馬)の許可枠を縮小している。

2020年には合計440件のオーナー許可のうち、PPが150、PPGが290だったが、2022年には合計が400件に削減され、PP枠は90まで減少。2024年は再び440枠に戻されたが、PP許可はわずか100件にとどまっている。

PPGはデビュー時のレーティングが52に設定され、そこから成績に応じて加算されていく。一方でPPは、過去の実績に基づいたレーティングで輸入される。たとえば、アートトレーダーは84で香港にやって来た。

ムーア厩舎のダービー馬デザインズオンロームは、G1で好走歴がある2歳馬だったため、3歳で香港入りした時点でレーティングは92。もう1頭のムーア厩舎のダービー馬ワーザーは、4歳で89の評価を受けていた。

Tommy Berry and John Moore after Designs On Rome's Hong Kong Derby win
JOHN MOORE, TOMMY BERRY, DESIGNS ON ROME / Hong Kong Derby // Sha Tin /// 2014 //// Photo by Lo Chun Kit

現在では、PPの最低輸入レーティングは62まで引き下げられており、それによって比較的安価なPPも購入可能になった。さらに、ボーナス制度も用意されており、輸入時にレーティング70以上のPPがクラス3で勝利すると、150万香港ドルの報奨金が与えられる。

「これはPPのために必要なバランスです」とファウンズは言う。「本国では同世代と戦っていた馬が、香港に来た途端、格上の馬たちとのハンデ戦に放り込まれる。それは本当に厳しい挑戦なんです」

彼は、今年のダービーに見られた「PPとPPGが半々」という構成が理想的なバランスだと考えている。PPGはレーティング52から始まり、時間をかけて地道に成長できる点が魅力だ。

ムーアが手掛けたラッパードラゴンやデザインズオンロームも、デビューした年に1シーズン使って地盤を築き、翌年のダービーへと進んでいった。

また、PPGの育成においては、12度のリーディングトレーナーに輝くジョン・サイズの手腕が長年にわたり指標となってきた。加えて、デヴィッド・ヘイズ厩舎のように、自身の家族が経営するオーストラリアのリンジーパーク調教場から若く未出走の素質馬を輸入する形態をとる厩舎もある。

一方でムーアは、香港の上位戦線、特にレーティング90台後半から100超えの一線級を維持するためには、より質の高いPPが必要だと考えている。その一方で、オーナーの経済的な制約も十分に理解している。

彼は昨年のイングリス・イースターイヤリングセールで、ダービーを制したワーザーの半弟を30万豪ドルで購入した。というのも、ワーザーと同等のレース実績を持つPPを香港用に購入しようとすれば、それ以上の金額が必要になることを分かっていたからだ。

「ワーザーを買えないなら、その弟を買って、あとは運を天に任せるしかないですね」とムーアは陽気に語った。

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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