他者の不運が思わぬ好機をもたらすことはある。リチャード・キングスコート騎手にとって、先週末のシャティン競馬場での落馬事故と負傷した4人の騎手の離脱は、香港競馬名物のスピード感溢れるレースを体験できる機会となる。
「香港の競馬はタイトで接戦で、スタートからスピードがある。それは自分の好きなスタイルでもあるのでうまく適応できればと思っている。楽しみだよ」とキングスコート騎手はIdol Horseに語った。
彼の冷静沈着な態度とは裏腹に、ハイパワーバイクを乗りこなすことへの情熱はよく知られている。しかし、香港ジョッキークラブからの騎乗オファーを受けた今、バイクレースの計画は後回しになった。
「実は来週、バイクのレーシングライセンスを取る予定で、3月頭のレースにも出るつもりだったんです。でも、それは当然キャンセルしました。今は香港が最優先ですね」と語る。
38歳のキングスコートと、もう一人招集された45歳のデクラン・マクドノー騎手は、イギリス・アイルランドの競馬界で豊富な経験を持つベテラン騎手だ。香港ジョッキークラブは短期間のライセンスを与えるにあたり、その成熟した騎乗技術を評価した形だ。
彼らは、ライアン・ムーア、ホリー・ドイル、トム・マーカンドといった一流騎手の後を追う形で香港に到着し、クイーンズランドを拠点とするジェームズ・オーマン騎手と同じタイミングで加わる予定だ。
ドイルとマーカンドは騎手不足を補うため今週日曜と来週水曜の2日間のみの短期参戦となるが、キングスコート、マクドノー、オーマンの3人は4月初旬まで香港で騎乗する予定だ。

キングスコート騎手にとって、来週初めに香港国際空港に降り立つのは初めてのこととなる。しかし、彼には十分な海外経験がある。実際、今から約20年前に彼は故郷イギリスを離れ、冬の間の騎乗経験を積むためにオーストラリアへと渡った。
彼は以前はケンブラグランジ競馬場で勝利を挙げたものの、その後は長年、イギリスのオールウェザートラックの競馬で冬季の騎乗をすることが多かった。しかし、2023年初頭にフロリダでの騎乗を経験し、昨年の冬には日本中央競馬会(JRA)の短期免許を取得する機会を得た。
「香港はずっと行ってみたい場所の一つだったけれど、これまで縁がなかった。今回の話をもらえたのは素晴らしい機会です」とキングスコートは語る。
「先日の事故で急遽、騎手を探していたところに自分の名前が挙がったんです。それでオファーを受けた時は当然興味を持ったし、双方にとって良いタイミングだったと思いますよ」
「20年間騎手をやってきたけれど、オーストラリアで見習い騎手をやっていた頃を除けば、冬の海外遠征を本格的に始めたのはここ数年のこと。でも、オーストラリアに戻って、あのメルボルンカップに乗れたのは本当に素晴らしい経験でした。自分はあまり目立つタイプじゃないけれど、黙々と努力を積み重ねてきたとは思います」

その地道な努力が実を結び、キングスコート騎手はイギリスの騎手にとって最高のレースであるエプソムダービーを制した。そして、彼の名を広めることとなった馬、ブラウンパンサーに騎乗し、フレミントンでのメルボルンCにも挑戦した。ブラウンパンサーは元サッカー選手のマイケル・オーウェン氏が共同所有し、キングスコート騎手の長年の後援者であったトム・ダスコム調教師が管理していた。
「ブラウンパンサーは、上のクラスで長く活躍できたことが自分のキャリアにとって本当に大きかった。6ヶ国で彼に乗ったと思うし、当時の自分はまだ若かったから、本当に素晴らしい存在だった。キャリアの土台を作ってくれた馬です」とキングスコート騎手は語る。
約10年前、彼はこの粘り強いステイヤーでG1・愛セントレジャー、G2・ドバイゴールドカップ、G2・グッドウッドカップといったタイトルを獲得。その活躍が注目を集め、内向的な性格だと自認する彼が本来得られなかったかもしれない評価を得るきっかけとなった。
その後、カール・バーク調教師がG1・フライングファイブステークスのハヴァナグレイの鞍上に彼を指名。2018年にそのタイトルを手にし、以降は着実に評価を高めていった。
「サー・マイケル(スタウト調教師)のような人が自分を乗せてくれるようになって、そこから雪だるま式に流れができたんだ」と振り返る。
競馬界の名伯楽として歴史に名を刻むスタウト調教師は、ダービー馬デザートクラウンの手綱をキングスコートに託した。スタウト調教師のその他のダービー馬を導いたのはライアン・ムーア、キーレン・ファロン、ウォルター・スウィンバーンといった名手たち。キングスコート騎手もまた、そうした偉大な騎手たちと肩を並べることとなった。G2・ダンテステークスとダービーをデザートクラウンと共に制し、将来のチャンピオン候補と目されたが、故障によりその夢は潰えた。
「ダービーを勝つなんて、自分にとってはまったく想像もしていなかったことだった。本当にスーパースターになれる馬だったと思うしそう信じていた。だからこそ故障は残念だったけど、これが競馬なんだなと」
さらに、G1・チャンピオンステークスではベイブリッジと共に勝利。スタウト調教師のもとでの大きな成功を収めたが、その名伯楽はすでに引退。現在、フリーの騎手としての選択肢を広げるべく、新たな有力厩舎との関係構築を模索している。
「夏が来たらいろんなところで騎乗するつもりです。でも、ラルフ・ベケット調教師から連絡をもらったし、週に2~3日はそこで乗れるようにしたい。今ではとても強力な厩舎だから、優先的に考えたいと思っています」

イギリス競馬の最高峰であるダービーを制し、名だたるG1厩舎の主戦を務めるまでの道のりは、競馬とは無縁の家庭に生まれたキングスコート騎手にとって決して平坦なものではなかった。海沿いの町ウェストン・スーパー・メアで育った彼が競馬の道に進むきっかけとなったのは、12歳の時に母親が購入したポニーだった。兄弟で共に乗馬を習い始め、スピードの魅力に惹かれて騎手になりたいと思うようになったという。
やがて、ブリティッシュレーシングスクール(英国競馬学校)に進み、クラシック制覇の実績を持つロジャー・チャールトン調教師のもとで見習い騎手としてのキャリアをスタート。さらに、オーウェン氏が所有するチェシャーの厩舎でダスコム調教師の下に移ると、キングスコート騎手は勤勉で忠実な主戦騎手としての評価を確立し、特にチェスター競馬場の小回りコースでの騎乗技術を武器に頭角を現した。
この経験は、香港のハッピーバレー競馬場やシャティン競馬場でのレースにも生かされるはずだ。しかし、未知の環境に飛び込むにあたり、事前に周囲にアドバイスも求めている。
「ライアン(ムーア)と少し話をしましたよ。施設や1日の流れというよりも、騎乗に関することを聞いたんだ。香港のレースは競争が激しく展開もかなりタイトだし、裁決の仕組みもイギリスとは違うからね。そこは慣れる必要があるけど、いろんな国で騎乗してきたし適応できると思う」と語る。
「香港のレースはテレビで少し見たことがあるし、ハリー(ベントレー)やアンドレア(アッゼニ)がイギリスから香港に行っているから、向こうの競馬により関心を持つようになりました」
キングスコート騎手はこれまでにフランス、アイルランド、カナダ、バーレーン、トルコ、スウェーデン、サウジアラビア、ドイツ、イタリアなど約15か国で騎乗経験を積んできた。昨年のJRA短期免許も今回への良い準備となった。日本では最初は苦戦したものの、7週間で71鞍に騎乗し5勝を挙げた。
「日本での経験は本当に素晴らしかった。最初はスロースタートだったし、人と知り合うのに時間がかかったけど、徐々に馴染めたし、競馬の運営面でも驚くほどしっかりしている場所だった」と振り返る。
そして今、香港での挑戦が始まる。キャリアの充実期にあるキングスコート騎手は、この機会への準備はできていると感じている。
「騎手歴は長くなったけど、まだ体は健康だし、大きな怪我もなくやってこられたのは幸運だった。体重も問題ないし、香港向けに少し絞るつもりだけど、普段からうまく管理できているよ」
「コンディションは万全だし、自分のベストを尽くすつもりだ。このチャンスをものにしたいね」