競馬界を去った名トレーナー、角居勝彦元調教師が「珠洲で描く未来」引退馬と向き合う第二の人生
メルボルンカップを制し、日本競馬を代表する名馬を送り出した角居勝彦元調教師。競馬界を去った名伯楽はいま、能登半島地震の傷跡が残る珠洲市で、引退馬と地域が支え合う未来を見つめている。
競馬界を去った名トレーナー、角居勝彦元調教師が「珠洲で描く未来」引退馬と向き合う第二の人生
メルボルンカップを制し、日本競馬を代表する名馬を送り出した角居勝彦元調教師。競馬界を去った名伯楽はいま、能登半島地震の傷跡が残る珠洲市で、引退馬と地域が支え合う未来を見つめている。
2026 06 22壁には亀裂が走り、壁紙は細長く剥がれている。建物も周囲の牧草地も、地震と時間が刻んだ傷跡を残している。珠洲ホースパークの事務所で、元調教師の角居勝彦氏は椅子に静かに腰かけ、貴重なインタビューに応じていた。メディア対応に消極的というわけではない。ただ、会いに行くのが難しい場所にいる人物なのだ。
珠洲は平時でも遠い。町と道路を大きく傷つけた地震の後は、なおさらここへ来ることが難しくなった。
近くのサイドボードには、かつて角居氏が管理した名牝ウオッカのポスターが立てかけられている。過去の栄光を静かに思い起こさせる一枚だ。
2021年2月、角居元調教師は頂点にいるまま競馬界を去った。日本の大レースを制し、世界の大舞台でもその手腕を示していた。それでも、日本の地方社会にも深く根づく天理教で、亡き母の仕事を継ぐために引退を選んだ。その決断が角居氏を珠洲へ戻し、そこで馬とともに歩む第二の人生が始まった。
角居氏が手放したものの大きさは、あらためて見ても圧倒的だ。20年の調教師生活で24頭のG1馬を送り出し、JRAの最多賞金獲得調教師に5度輝き、調教師部門賞の3部門でJRA賞を受賞した。世界を股にかけた先駆者であり、日本競馬の発展を物語る数々の場面の中心にいた。
シーザリオは2005年のアメリカンオークスを4馬身差で制し、日本調教馬として初めて米国のG1を勝った。デルタブルースとポップロックは2006年のメルボルンカップでワンツーを決めた。
ウオッカは2007年、日本ダービーを牝馬として64年ぶりに制し、その後2度年度代表馬に選ばれた。カネヒキリはダート界を支配した。
ヴィクトワールピサは日本馬として初めてドバイワールドカップを勝った。エピファネイアは2014年のジャパンカップで他馬を圧倒し、いまでは日本を代表する種牡馬の一頭となっている。
サートゥルナーリアも同じく種牡馬として名を残す存在だ。キセキは、台風の影響を受けた菊花賞を勝ち切った。
そして、角居氏にとって最後のG1馬となったロジャーバローズは、2019年の日本ダービーを制して世間を驚かせた。今では、角居厩舎ゆかりの6頭が、若い世代に競馬を広げた社会現象『ウマ娘』のキャラクターとして生き続けている。角居氏の名は、彼が競馬場を去った後も残り続けている。
「引退してからは、競馬を見る時間が少なくなりました」と角居氏は言う。「ただ、後からG1の結果を見ると、『ああ、うちの厩舎にいた人がG1を勝ったんだな』とか、『G1馬を管理するようになったんだな』と思うことがあります」
「エピファネイアやサートゥルナーリアも種牡馬として存在感を出してくれていますし、それも本当にうれしいです」
角居氏にとって、それは穏やかな引退生活になるはずだった。56歳での早い引退ではあったが、静かな日々が待っているはずだった。しかし、珠洲へ戻った角居氏の生活は、災害によって大きく変わった。
角居氏が調教師を辞めて珠洲ホースパークへ来た時、施設はすでに以前の地震で被害を受けていた。修復がようやく終わったばかりの頃、能登半島を再び災害が襲った。
2024年1月1日、マグニチュード7.6の地震とそれに伴う津波が、珠洲市を含む能登半島に甚大な被害をもたらした。死者は600人を超え、負傷者は約1,400人にのぼり、20万棟を超える建物が被害を受けた。


その後に残されたのは、高齢化が進み、若者が将来を描きにくいことで、すでに衰退の途上にあった地域が、さらに忘れ去られていくような感覚だった。その空白が、角居氏と馬たちに新たな使命を与えた。
「その頃から、災害時に馬が何かの役に立てるのではないかと考えていました」と角居氏は言う。「例えば、馬車を使ってがれきを運ぶことができるかもしれませんし、この地域を離れられない高齢者や障がいのある方々に、心理的な支えを届けることもできるかもしれません」
「そうした取り組みを始めようとしていたのですが、残念ながら、地震の後この場所は孤立してしまいました。家を失い、能登を離れた人も多く、施設として本格的に動くことはまだ難しい状況です」
「ですから、いま私たちにできるのは、まだここに残っている人たちに馬を見に来てもらい、心の傷を癒す手助けをすることです」
ここでは毎日、被災した人々が馬に慰めを見いだしている。
「高齢の方や障害のある方、精神的なつらさを抱える地域の方々がたくさんいます。そういう方々がこの牧場を訪れ、笑顔で帰っていく姿を毎日見ています。将来的に、地域の中にこうした場所がもっと増えれば、馬も助かり、地域も助かる。そういう形をつくれるのではないかと私は思っています」
珠洲という町そのものも、すでに脆さを抱えた地域だった。
「ここ珠洲市は、人口1万2,000人の町です」と角居氏は説明する。「地震がなかったとしても、10年から15年後にはこの地域の行政機能は成り立たなくなり、コミュニティそのものが維持できなくなっていたと思います。今回の地震によって、人々は故郷を離れざるを得なくなり、人口減少はさらに加速しています」
「一方で、毎年およそ5,000頭の競走馬が行き場を失っています。そうした行き場のないサラブレッドたちは、このような過疎化が進む地域で、余生を送る場所を見つけられるのではないかと思っています」
角居氏は、自身の取り組みが馬を救うだけでなく、競馬そのものを守ることにもつながると考えている。
「いまは引退馬のアフターケアや動物福祉、動物の権利という考え方が重視される時代です。だからこそ、馬産業を守るためには、引退馬のための計画をつくらなければなりません」
「馬はレースや輝かしい瞬間だけに目を向けられる存在であってはいけません。人間は、馬の一生を通じてどう守っていくべきかを考える必要があります。それが馬産業を守るうえで極めて重要になります」
動物を守れなかった競技がどうなるのか、角居氏は目の当たりにしたことがある。英国へ研修に行った際、グレイハウンドレースが急速に姿を消していった現実を知った。
「英国で勉強していた時、かつてはグレイハウンドレースが行われていましたが、急速に姿を消していく事例を目の当たりにしました」
「それを見て、馬の産業にとっても、馬の競走生活後をどう守るかは大きなテーマになると考えるようになりました」
「近年は、欧州でも北米でもオーストラリアでも、引退競走馬への関心が高まっています。一方で、日本は世界で最も大きな馬券売上を持つ国です。だからこそ、日本が引退競走馬支援の先頭に立つべきだと思っています」
角居氏は、JRAの巨大な馬券売上を、引退馬支援事業へ本格的に還元すべきだと考えている。
「日本には、JRAの馬券売上を社会へ還元していく仕組みがあります。JRAは国庫納付金を通じて国にも大きく貢献しており、その循環の中で、引退競走馬も地域社会に貢献することができます。この収益循環の仕組みによって、競馬産業は国や地域社会に貢献でき、結果として競馬産業そのものにも利益が戻ってきます」
「日本の競馬は、そうした循環の仕組みの上に成り立っています。持続可能で、とても良い仕組みだと思いますし、理想を言えば、この取り組みが世界各国で採用されるモデルになってほしいと思っています」
いまでは遠い昔のことのようにも思えるが、角居氏が日本の引退競走馬の行く末を初めて考えたのは、調教師時代のことだった。
「私は2001年に調教師になりましたが、それ以前、馬の世界に入った頃から、日本では引退競走馬の未来は明るくないと聞かされていました」
「当時は、その話をすること自体がタブーのように見なされていました。2006年に調教師として大きな成功を収め、キャリアが安定してきたことで、引退競走馬にどのような選択肢があるのかを探り始めました」
角居氏にとっては、最大級の勝利でさえ、祝福よりも省察の中で語られる。
2024年に亡くなった2019年の日本ダービー馬、ロジャーバローズについて、角居氏はこう話す。「種牡馬としてようやく活躍馬が出始めたところでしたから、本当にもったいないことだと思いましたし、寂しさもありました」
「ダービーを勝った馬ではありますが、調教師としては、もう少し丁寧に馬をつくれたのではないかという心残りもあります。ですから、ロジャーバローズには申し訳ない気持ちがあります」
ロジャーバローズが、日本ダービーで同じ厩舎の有力馬、サートゥルナーリアを破った日のことを思い出すと、角居氏は少し苦笑いを浮かべる。
「競馬は本当に分からないものだと感じました。サートゥルナーリアが1番人気に応えられなかったので、オーナーにも、生産者にも、ファンにも、本当に申し訳ない気持ちがありました」
「ただ、その後、ロジャーバローズのオーナーとは、少人数でささやかに祝いました。競馬では、良いことと悪いことが同時に起こるのだと、あの出来事はいつも思い出させてくれます」
この日の角居氏がなかなか笑顔を見せないのは、あの日の表彰式での複雑な感情に通じるものがあるのかもしれない。
「そうですね。ダービー後のインタビューでは、私はまったく笑っていなかったんです。それで後から別の調教師に、『もっと笑ってもいいよ』と言われました」と角居氏は笑って振り返る。

では、激しい競争の世界から遠く離れたいま、角居氏は成功の秘訣を明かしてくれるのだろうか。その答えが、どこか精神性を帯びるのは意外ではない。
「馬と同じように、人間にもそれぞれ性格があります」
「大切なのは、馬を愛することです。馬に尽くせば、その思いはいずれ返ってきます。どれほど難しい性格の馬でも、いつかはこちらの愛情に応えてくれます」
「一対一でその馬を理解できない場合は、その馬が自分自身や周囲の人を危険にさらさなくなるまで、2人、3人で世話をします。安全を確認できたら、1人が1頭の馬に寄り添い、支えながら良い関係を築いていく。誰にも馬と争ってほしくありません」
「だから、厩舎全体がチームとして協力し、互いに支え合っていました。そういう仕組みをつくれたことが、成功には重要だったと思います」
角居氏は、馬の本能を理解することの大切さも強調する。
「馬との関係を築き、大切に世話をすることはとても重要だと思います。ただ、馬は草食動物で、人間は肉食動物です。考え方は同じではありません」
「馬にはレースで勝ってほしいと思っていますが、馬に愛情をかけすぎると、厳しい調教を課せなくなることもあります。担当する厩務員は愛情を注ぐ一方で、調教する側、管理する側は、馬との距離感やルールを守る必要があると思っていました」
角居氏は牝馬での抜群の実績でも知られていた。そして、牝馬には牡馬と違う接し方をしており、優しく愛情を注ぎ、女王のように扱う意識があったことを明かす。
「時には、厳しい調教をすれば心を折ってしまうことがあります」
「調教師として、牝馬にはみな良い状態で繁殖へ上がってほしいと思っていました。ですから、牝馬を心が折れるところまで追い込んだことはないと思います」
「そのために本来の能力を出し切れなかった馬がいた可能性はありますが、それでもそうしてきました」
さらに踏み込んで、思いやりや常識だけではない成功の核心を尋ねると、角居氏はこう言った。
「秘密にしてきたことは、あまりなかったと思います。同じ馬にも、同じスタッフにも、二度と出会えるわけではありません。同じ調教パターンを教えたとしても、そのまま真似できるものはほとんどないと思います」
「馬は馬から学びます。そして人間は、馬がほかの馬から学んだことを感じ取り、自分たちの知識に変えていきます。人は人から学ぶというより、馬から学ぶ。馬もまた、馬からしか学ばない。新しい乗り手も、初めて馬に乗った時に、馬の背中から何をすべきかを学んでいくのです。これが私の考え方です」

角居氏にとって、サラブレッドを一流の競走馬たらしめる繊細さや反応の鋭さは、引退後に新たな役割を担ううえでも強みになるものなのかもしれない。
「サラブレッドは、レースに勝つことを目的に配合されてきた馬です。だから性格が強く、血統的にも物事への反応がとても速いのです」と角居氏は話す。「そのため、単なるホースセラピーだけでなく、メンタルケアにも向いていると思います」
地震の後、角居氏はもう一つのことに気づいた。人間が崩れゆく建物の中で混乱する一方で、馬たちは壊れた景色にほとんどすぐ適応したのだ。
「馬たちは壊れた人工物を怖がることはあります。でも、地面の亀裂の上は、何もないかのように歩いていきます。その姿を見て、馬には災害救援に貢献できる可能性があると考えるようになりました」
角居氏は希望を失っていない。ここで引退馬が果たしている役割は、心の支えにとどまらないという。角居氏は、人口減少によって取り残された土地を再生するための実用的な力としても、馬を見ている。
「最近の研究では、馬は草原だけでなく森の中でも暮らせることが分かってきています。ですから、森の草を食べて、人が間伐に入るための道を開く手助けができます。こうした土地で馬に草を食べてもらうことで、農業の価値を見直して再びこの地へ戻ってくる人たちを迎えるための土地を整えることができるのです」
角居氏にとってこれは、単なる地域支援にとどまらない。日本馬が世界で通用している現在の生産規模を守るためにも、行き先を失う馬たちの次のステージを整える必要があるという考えがある。
「競馬の本来の考え方は、最も速く、最も強い馬を選ぶことでした。でも、遅い馬というのは、気性が穏やかな馬だという意味でもあります」
角居氏にとって、そうした馬たちはいま、競馬場の外に自分たちの役割を見つけようとしている。放棄された土地の再生を助けるだけでなく、傷ついた地域社会の心の回復も支えているのだ。
「将来的に、地域の中にこうした場所がもっと増えれば」と角居は言う。「馬と地域社会は互いを救い合えると、私は信じています」
ウオッカのポスターは、世界を制し、その後に自ら競馬界を去った調教師の歩みを思い起こさせる。角居氏は、いま勝利を別の尺度で測っている。彼にとっての勝利とは、忘れ去られまいとする地域に、馬たちが希望を運んでいくことなのだ。