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ゴールデンシックスティ「3/4同血馬」が上場、キーンランドと香港が誇る名馬の物語を紐解く

オーストラリアで生まれ、香港競馬の英雄となったゴールデンシックスティ。その牝系から新たに誕生した3/4同血の甥が、2025年のキーンランド・セプテンバーセールでは争奪戦となりそうだ。

ゴールデンシックスティ「3/4同血馬」が上場、キーンランドと香港が誇る名馬の物語を紐解く

オーストラリアで生まれ、香港競馬の英雄となったゴールデンシックスティ。その牝系から新たに誕生した3/4同血の甥が、2025年のキーンランド・セプテンバーセールでは争奪戦となりそうだ。

20年前、キーンランドのセールリング(競り場)で、この時代を代表する国際的な物語が幕を開けた。その続編が、今年のキーンランド・セプテンバーイヤリングセールで披露される。香港の名馬、ゴールデンシックスティと3/4同血の甥が、上場番号345番として登場するのだ。

ゴールデンシックスティは香港競馬の殿堂に名を刻む存在だ。香港年度代表馬3回、G1・10勝(香港マイル3勝、チャンピオンズマイル3連覇を含む)、沙田での通算31戦26勝。香港4歳三冠を制した2頭のうちの1頭であり、2020年の香港ダービー制覇は記憶にも残る一戦となった。

さらに2024年の引退時には、世界史上最高の獲得賞金馬となった(後にロマンチックウォリアーが更新)。

このオーストラリア出身の騸馬は世界的名馬として称えられているが、見落とされがちなのはその血統背景だ。ブラックタイプにはアメリカの活躍馬の名が数多く刻まれている。その物語の原点は、 “ブルーグラスの中心地” ケンタッキー、数々の伝説を生み出してきたキーンランドのセール会場にある。

その中核、セールリングには幾多の伝説の名馬が1歳時に登場してきた。米三冠馬のジャスティファイ、歴史的名馬のスペクタキュラービッド、アリシーバ、ゼニヤッタ、ビホルダー。さらに種牡馬界に大きな足跡を残したミスタープロスペクター、サンデーサイレンス、エーピーインディ、ベターザンオナー、タピット、そしてカーリンもそうだ。

伝説の始まり

2005年のキーンランド・セプテンバーセール、第6セッションの終盤に登場した小柄で目立たない牝馬が、のちに歴史に名を刻むと予想した者はほとんどいなかっただろう。その名はガウデアムス。後にゴールデンシックスティの母として名を残すこととなる。

上場番号2121番としてカタログに載ったガウデアムスは、種牡馬として最盛期を迎えていたディストーテッドヒューモアの娘であり、母はステークス入着馬のレオズラッキーレディという血統。レオズラッキーレディもまた、キーンランドのセールリングで脚光を浴びた1頭だった。

レオズラッキーレディは米三冠馬・シアトルスルーの娘であり、1976年の英1000ギニー2着に入ったコナファを母に持つ。1988年のキーンランド・ジュライセレクトイヤリングセールにて、マンガナロステーブルズが72万5000ドルで落札している。

「当時、私は大学を出て数年でしたが、父のジョンと叔父のフランクとともに馬探しに関わっていました」と落札者のポール・マンガナロ氏はIdol Horseに振り返る。

「我々はシアトルスルーの牝馬を狙っていましたが、人気になることは分かっていましたので、入札合戦になりました。最終的に72万5000ドルで落札できました。彼女は条件戦クラスの馬として走り、リステッド競走でも好走しました」

「我々は生産を第一にしていたので、戦績に関わらず繁殖入りさせる予定でした。レオズラッキーレディは2008年に亡くなるまでに11頭を産んでくれました。その10番目の仔が、ディストーテッドヒューモアの牝馬、ガウデアムスだったのです」

わずか10カ月前の1987年、レオズラッキーレディの半姉で仏G3勝ち馬のコルヴェヤが、キーンランド・ノベンバーセールにおいて700万ドルで落札された。これは当時、繁殖牝馬として北米の最高額タイとなる記録だった。

一方、ガウデアムスは5月末生まれと成長の遅い仔で、同世代の平均的な完成度を下回っていた。2005年のキーンランド・セプテンバーセールでの落札額は、同じ年に取引されたディストーテッドヒューモア産駒の平均価格19万ドルを大きく下回る6万ドルに過ぎなかった。

「ディストーテッドヒューモアは本当に評価していた種牡馬で、供用されていたウインスターファームにも信頼を寄せていました」とマンガナロ氏は当時を振り返る。

「レオズラッキーレディは年齢を重ねていたので、ディストーテッドヒューモアを試してみたんです。ガウデアムスは馬体は素晴らしかったですが、前駆のつくりが理想的ではありませんでした。それが価格を抑えてしまったと思います」

「今振り返れば、ゴールデンシックスティの存在を抜きにしても、お買い得でした。レオズラッキーレディの血統表はコピー機の紙が何枚も必要なほどの厚みがある。こうした名牝系は必ず再び輝くと、私はいつも信じていました」

その後、リチャード・ガルピン氏のニューマーケット・インターナショナル社を通じて、ジャッキー・ボルジャー氏とジョン・コーコラン氏の名義で落札されたこの牝馬は、ラテン語で『喜びを分かち合おう』を意味するガウデアムスと名付けられた。

ジム・ボルジャー(ジャッキーの夫)調教師のもとに入厩した当時、厩舎はまさに全盛期。僚馬にはテオフィロやニューアプローチといった全欧2歳王者、さらにアレクサンダーゴールドラン、フィンスケールビオ、ラッシュラッシーズ、クレカドール、サーシャアブーといったG1馬が並んでいた。

ガウデアムスは2歳時にレパーズタウンでG2・デビュタントステークスを制覇。その後、豪州のブラッドストックエージェント、シェイマス・ミルズ氏が初めて手掛けた牝馬として、オーナーブリーダーのボブ・スカーボロー氏のために購入された。

ゴールデンシックスティの誕生

ガウデアムスはピヴォタルを受胎した状態で豪州に渡り、ヴィクトリア州のスカーボロー氏が所有するウッドヌークファームで5頭の仔を産んだ。そして2015年、スカーボロー氏が牧場を売却する際、メダグリアドーロを受胎したまま繁殖牝馬セールに上場された。

Golden Sixty wins G1 Stewards' Cup
GOLDEN SIXTY, CALIFORNIA SPANGLE, ROMANTIC WARRIOR / G1 Stewards’ Cup // Sha Tin /// 2023 /// Photo by Lo Chun Kit
GAUDEAMUS / Element Hill // 2024 /// Photo by Magic Millions

そこで落札したのがジョシュ・ハッチンス氏。オーストラリア年度代表馬のタイフーントレーシーを生産した牧場、クイーンズランド州にあるエレメントヒルの代理人として購入に携わった。

やがて時が経ち、誕生したメダグリアドーロの仔、エレメントヒルに移ってから初めて生まれた産駒こそが、後に豪州からニュージーランド、そして香港へと渡り、後にゴールデンシックスティと名付けられる仔馬である。

ガウデアムスが2005年にキーンランドで上場番号2121番として登場したあの日から年月を経て、ゴールデンシックスティは史上初めて通算獲得賞金2100万米ドルを突破したサラブレッドとなった。それでも、香港で迎えた最後のレースでは、前人未踏の重賞21勝目にあと一歩届かなかった。

「ゴールデンシックスティは、香港だけでなく世界の競馬ファンの心をつかんだ偉大な競走馬でした。香港調教馬として、彼は香港の誇りの象徴となりました」と語るのは、香港ジョッキークラブのウインフリート・エンゲルブレヒト=ブレスゲスCEOだ。

全妹・ゴールデンシスターの物語

沙田で次々と勝利を重ねていたゴールデンシックスティの一方で、母のガウデアムスはクイーンズランド州で引き続き繁殖生活を送り、2年後にはステークス入着歴があるレインボーコネクションを送り出した。

その後に生まれたのがゴールデンシスター。全豪最優秀2歳馬・キャピタリストの牝駒で、2021年のマジックミリオンズ・ゴールドコースト・イヤリングセールにおいて、香港拠点のオーナー集団オールウィナーズ・サラブレッズが42万5000豪ドル(約4000万円)で落札した。

コロナ禍で国際的な購買者が現地に集まりにくい状況下での取引だったが、アジア市場で長年バイヤーを務めてきたケンタッキー州のエージェントである吉田マリ氏は、当時の厳しいホテル隔離を経てオーストラリア入りし、1月のセールに臨んでいた。

「当時、私は顧客のハワード・リャン氏のために現地にいて、実際にゴールデンシスターもその場で見ました」と吉田氏はIdol Horseに語る。

「ちょうどゴールデンシックスティが初めて香港マイルを制した1カ月後で、注目が集まり始めていた時期でした。歴史的には、香港での活躍がセリ市場に大きな影響を与えることはありません。例えばフェアリーキングプローンが全盛期にあった頃でも、同じ母の産駒を求めて殺到するようなことはありませんでした。ただ、ゴールデンシックスティは違いました。半妹には非常に多くの注目が集まっていたのです」

「ただ、私たちはトップ種牡馬の産駒を重視しており、キャピタリストはまだ新しい種牡馬でした。その2歳産駒がようやくデビューしたばかりで、まだ評価が固まっていなかった。馬体は気に入っていましたが、当時は見送ることにしました。ただ、その後も彼女の動向を追い続けていて、名前も素敵だと思いましたし、今振り返れば大変お買い得な一頭だったと感じています」

ゴールデンシスター自身は競走馬として走ることはなかったが、オーナーはさらに野心的な計画を描いていた。同馬を米ケンタッキーに送り、すでにオーストラリアへのシャトル種牡馬を終了していたメダグリアドーロとの配合を試みたのである。

こうして誕生したのが、ゴールデンシックスティの3/4同血にあたる1頭。吉田氏が経営するウィンチェスターファームで育成されてきた。

「数年前から、オーナーはメダグリアドーロとの配合を検討していましたが、どう動けばいいか分からず、私たちに相談を持ちかけてきました」と吉田氏は経緯を説明する。

「そこで拠点をこちらに置きたいと依頼され、私たちは常に海外オーナーをサポートする立場を取っているので喜んで受け入れました。同馬はまだ3歳になったばかりでしたが、無事に繁殖入りすることができました」

「2023年初め、メダグリアドーロの種付け料は10万米ドル(約1500万円)と決して安くはありませんでしたが、ダーレー・アメリカさんの協力もあり、受胎に成功。無事に優れた牡駒が誕生し、その1歳馬がキーンランドに上場されることになりました」

「8月5日、ゴールデンシスターはメダグリアドーロの牡馬をもう一頭出産しました。今回は南半球時間での配合です。数週間後にも再度、南半球時間での種付けができればと願っています。ダーレー・アメリカには心から感謝しています。あちらは供用を続ける義務はないのに、それを可能にしてくれているのです」

「この3/4同血の甥は、世界中どこにいても北半球の購買者にとって非常に貴重な存在です。メダグリアドーロ産駒の牡馬は希少な存在、しかもこれほどの血統背景を持つ良血馬はほとんどいません」

こうして、ガウデアムスの物語は20年を経て一巡する。2025年の9月9日、上場番号345番として登場する1頭に、世界の注目と激しい競り合いが集まるのは必至だ。

HIP 345 – MEDAGLIA D’ORO x GOLDEN SISTER COLT / 2025 // Photo by Eaton Sales/Yellow Horse Marketing
HIP 345 – MEDAGLIA D’ORO x GOLDEN SISTER COLT / 2025 // Video by Eaton Sales/Yellow Horse Marketing

果たして、行き先はどこになるのか。アメリカの大物バイヤーが世界のライバルを退けるのか。日本が血統の国際化をさらに進めるのか。それとも香港へ渡り、ゴールデンシックスティの足跡を追うのか。

「アメリカの購買者が種牡馬候補として手に入れたいと考えるのは間違いないでしょう」と吉田氏。「日本からも関心があるかもしれませんし、香港の馬主も目を向けるはず。どこへ行ってもおかしくない、そう思わせる馬体をしています」

香港と米国産馬の歴史

実際、アメリカ生産馬は香港の競走馬人口のわずか1%未満に過ぎない。8月中旬時点でも、総数1300頭超のうち米国産は10頭しかいなかった。

それでも米国血統は特にマイル路線で大きな存在感を示してきた。2001/02年シーズンから2008/09年シーズンにかけて、香港のチャンピオンマイラーはアメリカ産馬が独占。さらに豪州産ながら血統的には米国色の濃いゴールデンシックスティが、その系譜を強く印象づけた。

21世紀初頭、香港競馬の今世紀最初の英雄がエレクトロニックユニコーンだった。1997年キーンランド・セプテンバーセールで当時のリーディングトレーナー、ジョン・ムーア師が購買し、デビュー前にリッキー・イウ厩舎へ移籍。2001/02年の年度代表馬に輝き、2003年のチャンピオンズマイルを含む香港G1を4勝した。

また、ガウデアムスがキーンランドで落札される数カ月前、米国産のブリッシュラックが香港のファンを驚かせた。G1・チャンピオンズマイルで地元の英雄サイレントウィットネスを破り、無敗記録を止めたのである。

ブリッシュラックは香港G1を4勝、日本では安田記念制覇、さらに2007年ドバイワールドカップではインヴァソールの3着に入り、香港調教馬として唯一の同レース入着馬となった。

そしてその後、香港のチャンピオンマイラーの座を引き継いだのがグッドババだった。彼もまたキーンランドの卒業生だ。キャッシュ・アスムッセン氏が香港ジョッキークラブの代理で購買し、オーナーのジョン・ユエンに譲渡された。

香港の新馬戦(グリフィン戦)からキャリアをスタートさせ、着実に頭角を現すと、G1・香港マイルで史上初の3勝を成し遂げた。2023年にゴールデンシックスティが3勝目を挙げるまで、その偉業は長らく唯一の記録として輝き続けた。

香港国際競走のもう一つの象徴的存在がカリフォルニアメモリーだ。2007年にキーンランドで取引されたこの芦毛馬は、G1・香港カップを史上初めて2勝した馬として名を刻み、後に世界最高獲得賞金馬となったロマンチックウォリアーがその仲間入りを果たすまで、唯一の複数勝利馬だった。

皮肉にも、カリフォルニアメモリーの3代母は、ゴールデンシックスティやゴールデンシスターと同じコナファである。そしてその馬をオーナーのリャン氏のために購買したのが、他ならぬ吉田マリ氏だった。

「とても素敵な巡り合わせです」と吉田氏。「こうした牝系はまさに宝物のような存在で、コナファのファミリーが世界中でどんな成功を収めているかを見ると、特別なものを感じます」

ヨシダ氏のウィンチェスターファームだけでなく、米国拠点の有力生産者や馬主たちもこの仔の上場を注視している。

レキシントンに隣接するマウントブリリアントファームは昨年、ゴールデンシックスティとゴールデンシスターの半妹にあたるソーシャルグレイシス(父ウートンバセット)を、マジックミリオンズで100万豪ドル(約9600万円)で落札。

現在はオーストラリアでガイ・ウォーターハウス&エイドリアン・ボット厩舎に預けられている。

この壮大な国際的血統物語の次章は、9月9日、キーンランドのセールリングで明らかになるだろう。

アンドリュー・ホーキンス、Idol Horseの副編集長。世界の競馬に対して深い情熱を持っており、5年間拠点としていた香港を含め、世界中各地で取材を行っている。これまで寄稿したメディアには、サウス・チャイナ・モーニング・ポスト、ANZブラッドストックニュース、スカイ・レーシング・オーストラリア、ワールド・ホース・レーシングが含まれ、香港ジョッキークラブやヴィクトリアレーシングクラブ(VRC)とも協力して仕事を行ってきた。また、競馬以外の分野では、ナイン・ネットワークでオリンピック・パラリンピックのリサーチャーも務めた。

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