中国とモンゴルの国境に位置する、ゴビ砂漠。ここに人口120人ほどの小さな集落、泉脳子村(Quannaozi Village)がある。新時代の競馬王国の原点がここにあると言われても、すぐに納得できる人はほぼいないだろう。
およそ千年前、チンギス・ハンやマルコ・ポーロも踏みしめたモンゴルの広大な草原地帯は、泉脳子村出身の張月勝(チャン・ユエション)氏の起点となった。彼が率いる『ユーロン』は今や、クールモアやゴドルフィンに匹敵するような、国際的な巨大組織に育ちつつある。
今週初め、北米のトップ牝馬3頭がオーストラリアに移籍すると報じられた。フルカウントフェリシア、アニゼット、そしてカナダ年度代表馬のモイラの3頭だ。世界最高峰の牝馬・ヴィアシスティーナ、成長著しい3歳馬・グローイングエンパイアと共に、ユーロンを構成する精鋭軍団の一員に加わる予定となっている。
張氏が中国でユーロングループを設立してからわずか17年、彼は競馬界を代表する世界的なオーナーブリーダーにまでのし上がった。非居住者ながら香港ジョッキークラブの会員資格(馬主ライセンス)も得ており、2022年に南アフリカの大御所であるメアリー・スラック氏と共に認可された。
その後も非在住者への資格発行は続いているが、ドイツのアンドレアス・ヤコブス氏、ニュージーランドのサー・ピーター・ヴェラ氏など、認められたのは限られた数人のみとなっている。
55歳の張氏はこれまでに香港で3頭の競走馬を所有しており、すべてマーク・ニューナム調教師に預けている。1頭目はハッピーバレー競馬場で勝ち上がったショーリスペクト、2頭目は香港マイル出走馬のラマダン、そしてオーストラリアでリステッド入着の実績があるアルソンソの3頭だ。アルソンソは今週日曜日のシャティン開催に出走予定でもある。
一代で財を成した中国の大富豪としては、あまりに急速とも言える台頭だ。では、その原点はどこにあるのだろうか?

張氏の故郷は泉脳子、中国の卓資県にある村だ。ここでは生活に馬が密接に関わっており、スポーツ用の乗用馬としてではなく、日々の農業や交通手段に欠かせない存在だった。18歳になった張は村を出て大同市に移り住み、そこでしばらくはタクシー運転手として働き、その後石炭を輸送する仕事に転職した。
2000年前後には石炭採掘の会社を立ち上げ、それを基盤に再生エネルギー、不動産、石油化学など、合わせて14の事業を手がける大企業に成長した。彼が率いるコングロマリットは、西遊記にも登場する中国神話の『玉龍』に因んで、ユーロン(Yulong)を名乗るようになっていった。
やがて、張氏はかつての故郷でも動き出す。2008年、大同市のすぐ西、泉脳子村にも程近い右玉県に玉龍馬園(Yulong Horse Park)を設立。そこを拠点として、ユーロンホースグループが始まった。その2年後、最初の海外での所有馬を購入する。アイルランドのエドワード・ライナム厩舎に所属する、ユーロンバオジュという牝馬だった。
しかし、彼が世界進出を心に決めたのは2013年、フィオレンテが制したメルボルンカップを現地で観戦したことだったという。
白と緑で彩られたユーロンの勝負服はそれ以来、世界の競馬シーンでお馴染みの存在となっている。この特徴的なジェイドグリーンは、中国語で『玉』が翡翠を意味することから用いられている。そして、ユーロンが最もインパクトを与えているのはオーストラリア競馬だ。昨年、ヴィアシスティーナはコックスプレートを圧巻の走りで制し、頂点を極めた。

この勝利はオーストラリアでの転換点となった。わずか5年前には、ユーロンに対する見方は「大金を投じて走らない馬を買う馬主」だった。他の富豪馬主と同様に、いつかは張氏の関心も失せ、撤退していくだけだろうと見られていた。
ところが、今ではユーロンはヴィクトリア州を代表する牧場となり、世界有数の豪華な繁殖牝馬と、どの牧場にも引けを取らない種牡馬ラインナップを取り揃えている。トロフィーを飾る棚は日々更新されていき、競馬界での存在感はますます高まっている。
肝心なのは、張氏が競馬のグローバル化を推し進め、世界との距離をグッと縮めていることだ。かつて、ヴィアシスティーナやモイラのような名牝がオーストラリアに移籍したり、現地で繁殖入りしたことはあっただろうか。国際的な良血馬の導入、そして血脈の融合は競馬産業の将来にとって、大きなプラスになるはずだ。
チンギス・ハンのような世界征服と比べれば、まだその規模は及ばないかもしれない。しかし、張氏の野望は世界の競馬界を確実に変えつつある。