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「主役」への決意、リスポリ騎手がジャーナリズムでケンタッキーダービーの頂点へ

少年時代から変わらぬ夢は、世界最高峰のレースで勝つこと。Netflixの番組で注目を集めたウンベルト・リスポリ騎手は、全米の主役まで一歩手前の位置に立っている。相棒はジャーナリズム、決戦の地はチャーチルダウンズだ。

「主役」への決意、リスポリ騎手がジャーナリズムでケンタッキーダービーの頂点へ

少年時代から変わらぬ夢は、世界最高峰のレースで勝つこと。Netflixの番組で注目を集めたウンベルト・リスポリ騎手は、全米の主役まで一歩手前の位置に立っている。相棒はジャーナリズム、決戦の地はチャーチルダウンズだ。

画面に映ったのはほんの一瞬だった。黒髪が印象的な女性が黒のドレスに銀のネックレスをまとい、青いスーツに身を包んだ幼い2人の息子たちを連れている。弟はどこか気を取られた様子で視線を逸らし、兄は力いっぱい「がんばれ、パパ!」と叫ぶ。

この場面は、Netflixが配信を開始した最新のスポーツドキュメンタリーシリーズ『レース・フォー・ザ・クラウン: 華麗なる王たちのスポーツ』の冒頭23秒あたりに登場する。

「パパ」と呼ばれたのは、ウンベルト・リスポリ騎手。土曜日に行われるG1・ケンタッキーダービー、『ラン・フォー・ザ・ローゼス』とも呼ばれるアメリカ最大のレースで、1番人気が想定されるジャーナリズムに騎乗する予定だ。

リスポリにとって、このようなチャンスはようやく巡ってきたものだ。最高峰のレースは決して初めてではない。キャリアを通じ、義父のジェラルド・モッセ騎手をはじめとする世界中のトップジョッキーたちと共にビッグレースを肌で感じてきた。しかしリスポリは、同じNetflixの番組の中でこうも語っている。

「私の目標は、世界最高の騎手の一人になることです」

それは本心からの言葉だ。

全米の頂点へ

36歳というキャリアの絶頂期。南カリフォルニアを拠点に、家族とともに5年を過ごし、安定した成功を収めてきたリスポリにとって、ジャーナリズムとのケンタッキーダービー挑戦は、長年望んできた飛躍のチャンス、そして存在を広く知らしめる絶好の機会となるかもしれない。

少年時代から憧れ、今は打ち破るべき存在と見据えるレジェンド、50代に差し掛かったジョン・ヴェラスケス騎手や親友でもあるフランキー・デットーリ騎手、そして同世代のイラッド・オルティス、ホセ・オルティス、フラビアン・プラといった実力者の騎手たち。その影を越え、名を刻むために。

2024年のケンタッキーダービーを制したブライアン・ヘルナンデス・ジュニア騎手は、2023年勝利ジョッキーのルイス・サエス騎手との会話の中で、ダービー制覇の重みをこう表現していた。

「本当に実感なんて湧かないんです。ここにいても、あれは本当に起こったことなのかな、って思います」

リスポリも、その実感を味わいたいと思っている。このような実感できないほどの夢を現実にしたいと。

イタリア生まれのリスポリは、頂点を目指す飽くなき情熱に突き動かされるままヨーロッパから香港へ、さらに日本でのG1初勝利を経てフランスへ、再び香港へと渡り、そして未知の世界へと踏み出してきた。

それはシャティン競馬場でのレース後、2019年6月26日深夜のことだった。キャリアのどん底にいると感じていたリスポリは、ベッドの端に座りながら泣き崩れていた。そんなリスポリのもとに1本の電話が入った。それが、カリフォルニアでの新たな人生への扉を開くことになる。

「私はどん底にいました」と、リスポリはIdol Horseに語った。

その年の後半にアメリカ西海岸へ移ったことが、リスポリの復活をもたらす。香港時代は、減少する騎乗機会に悩まされ、不遇の日々を送っていた。

香港時代のリスポリは、ハングリーで野心的な若手騎手だった。髪型に合わせたきっちり仕立てたスーツとマーベリックのようなパイロット用アビエーターサングラス、満面の笑みと自信満々で陽気なキャラクターを身にまといながらも、ジョアン・モレイラ、ザカリー・パートン、ダグラス・ホワイトといったレジェンドたちの陰に隠れた脇役として扱われていた。

しかし、カリフォルニアでは違った。リスポリはトップクラスの騎手として自信を持って騎乗し、その経験を心から楽しんでいる。現在、6シーズン目を迎え、アメリカでは通算607勝、4,600万米ドル超の賞金を獲得している。G1勝利は8回を数え、今年はジャーナリズムでサンタアニタダービーを制した。

ヨハネス、アニセット、フォーミダブルマンといった有力馬とのコンビ、そして過去2年間支えてきたエージェント、マット・ナカタニ氏の存在が、リスポリの存在感をさらに引き上げてきた。

サンタアニタ競馬場やデルマー競馬場では、リスポリ一家もレースの日の風物詩となっている。息子であるヘイデンとアラミスは、母キンバリーがコーディネートする洒落た装いで、まるでジュニア版ファッションリーダーだ。

「僕がやってるわけじゃないんですよ」と、リスポリは笑う。

「去年のブリーダーズカップでは、土曜日に紫と白のシャツでブリーダーズカップカラーに着飾らせたんです。ちょうど僕がヨハネスに乗っていて、勝負服にも紫が入っていましたからね」

「サンタアニタでジャーナリズムに乗ったときは、オレンジ色のスーツでした。あれは馬が付けていたドンアルベルト・ステーブルの色に合わせたんです。(共同馬主でエクリプス・サラブレッド・パートナーズ代表の)アロン・ウェルマン氏がそれを望んでいて、気に入ってくれました」

「『君の子供たちがビッグレース用にお洒落してるのを見るのが大好きなんだ』と言ってくれて。褒め言葉をもらって僕も嬉しいです。あの小さな子たちが揃ってお洒落して歩いている姿を見たら、誰だって微笑ましくなるだでしょうね。妻のキンバリーもすごく楽しんでいますよ。あちこち走り回って衣装を探してくるのが上手なんです。ケンタッキーダービーでも、きっと素敵に着飾らせますよ」

プレッシャーとの闘い

しかしそれは家族からのプレッシャーにもつながっている。

「弟のほうが言ったんです。『パパ、僕がスーツを着たんだから絶対に勝ってね!』って。競馬は僕たち家族の原動力なんです。僕のエンジンが回れば、家族みんながうまく回るんです」

Umberto Rispoli with this family at the Breeders' Cup
Umberto, Kimberley, Hayden & Aramis Rispoli / Breeders’ Cup Meeting // Del Mar /// 2024 //// Photo supplied

とはいえ、カリフォルニアでは確固たる地位を築いたリスポリも、まだスター中のスターとはいえず、いまだ世界のビッグレースでの勝利を追い求めている。

サンタアニタのリーディング争いではファン・ヘルナンデス騎手に次ぐ2位か3位につけ、ブリーダーズカップではこれまで3度の2着、とりわけ昨年11月、デルマーで行われたブリーダーズカップマイルでヨハネスが僅差で敗れた悔しさ、それらすべてが、リスポリの内に燃える渇望をさらに強くしている。

「ケンタッキーダービーはメジャーレースです。ゴルフでいう『マスターズ』です」とリスポリは言う。

「子どものころからずっと夢見てきました。このチャンスを得たからには『正攻法』で掴まないと」

彼の言う『正攻法』とは、プレッシャーを受け入れ、それを楽しむことだ。チャーチルダウンズ競馬場で迎えるダービー当日、その重圧は計り知れないものになるだろう。それでもリスポリは前を向く。

「『これが唯一のチャンスだから絶対にミスできない』なんて思っちゃダメです。レースに出て、その瞬間を楽しむんです」

「レースの日にプレッシャーを感じないなんて言ったら、それは嘘になります。プレッシャーを感じなきゃいけないし、雰囲気を感じなきゃいけません。アドレナリンを感じなきゃいけません。感じなかったら、僕たちはロボットになってしまいます。でも、僕たちは人間なんです」

「サッカー選手がワールドカップ決勝やチャンピオンズリーグ決勝で最後のPKを蹴るようなものだと思います。ピッチの中央からペナルティースポットまで歩いていく。あれは人生で一番長く感じる歩みになるはずです」

熱心なサッカーファンであるリスポリらしい例えだが、今置かれている状況を考えれば、それでもやや控えめな表現だろう。20頭の馬がひしめき合い、スピードに乗ってコースを駆け抜けるプレッシャーは、ボールに向かって走り寄り蹴ることとは比較できない緊張感があるだろう。

「でも、ビッグレースでも結局やることは毎日と同じなんです」とリスポリは続ける。

「特別なことをする必要はないし、考えすぎる必要もありません。自分の仕事をするためにレースに臨むんです。ただ、その仕事を、自分にとって一番いい日に出せる最高の形でやらなきゃいけません」

「感情をうまくコントロールすることが大事だと思います。頭をクリアにして、怖がることなく、恐れることなく、ただ情熱を持って、そして自分のルーツを思い出すように、そこに向かうんです」

ルーラーシップのその先へ

リスポリは、厳しい環境からやって来た。ナポリ北部のスカンピア地区、白壁が連なるヴェレ・ディ・スカンピアという集合住宅で育った。ここは『カモッラ』と呼ばれるナポリのマフィア組織が牛耳ることで悪名高く、テレビドラマ『ゴモラ』で広く知られることになった場所だ。

父ガエターノは厩舎で調教助手の仕事をしていた。リスポリは7歳で馬にまたがり、10歳になる頃にはすでに調教を手伝っていた。その後、リスポリは若くして頭角を現し、見習い騎手時代から圧倒的な勝利数を積み重ね、2年連続でリーディングに輝く。2009年には21歳にして年間245勝を挙げ、ジャンフランコ・デットーリ騎手(フランキー・デットーリ騎手の父)が持っていたイタリア年間最多勝記録229勝を塗り替えた。

さらに1年余り後には、日本でG1・高松宮記念をキンシャサノキセキで制覇。フランスを拠点にしたのち、2012年には香港へ移籍。序盤は苦戦したものの、同年4月に日本馬ルーラーシップとのコンビでG1・クイーンエリザベス2世カップを制し、キャリアの大きな一歩を刻んだ。

長らくルーラーシップとのその勝利が、リスポリのキャリアにおける最高峰とされてきた。だが、ジャーナリズムとの挑戦は、それをさらに遥か高みへと押し上げるかもしれない。

Rulership and Umberto Rispoli
RULERSHIP, UMBERTO RISPOLI / G1 QEII Cup // Sha Tin /// 2012 //// Photo by Kenneth Chan
Journalism and Umberto Rispoli prepare for the Kentucky Derby
JOURNALISM, UMBERTO RISPOLI / Churchill Downs // 2025 /// Photo by Andy Lyons

「千載一遇」

マイケル・マッカーシー厩舎に所属するジャーナリズムは、2023年ファシグティプトン・サラトガセールで82万5,000米ドルで落札された逸材だ。リスポリは昨夏の時点でこの馬に惚れ込み、ぜひ自分の馬にしたいと願っていた。

秋のデビュー戦ではリスポリが騎乗するも3着。ジャーナリズムは次走で初勝利を挙げるも、彼自身は別の馬に騎乗していた。後ろから力強く突き抜けるリカルド・ゴンザレス騎手のジャーナリズムを、リスポリは騎乗していた3着馬のブラザートニーから眺めるしかなかった。

これは、馬主サイドの事情によるもので、リスポリがすでにブラザートニーに騎乗する契約をしていたためだった。リスポリは「ジャーナリズムに乗りたい」と懇願したが、ブラザートニー陣営は契約を順守する方針を譲らなかったのである。

リスポリは、馬主側の立場は理解しているとしながらも、「これはG1を狙える素質馬なんです」と必死に説得を試みたこと、そして最終的に拒否されたときには「怒りを覚えました」と振り返る。

人生最大のチャンスが指の間からすり抜けてしまうかもしれない、そんな恐怖があったのだ。

「朝の調教でもう分かっていたんです。この馬は他とは違っていました。人生では大きなチャンスを目の前で失うことがあります。馬を失って、二度と戻ってこないことだってあります」

「でも、運良くまた乗ることができました。夏の間ずっと調教を手伝って、デビュー戦でも乗りました。砂のキックバックにも慣れさせたし、初出走前には舞台裏でたくさんの準備をしてきたんです。そして、色々あったけれど、今はすべて過去の話です。今はいい状況です」

その後、リスポリはジャーナリズムでG2・ロスアラミトスフューチュリティ、G2・サンフェリペステークス、そしてサンタアニタダービーを立て続けに制した。特にサンタアニタダービーは少頭数で行われ、レースは混戦となった。

「5頭立てのレースはいつだってジョッキーの駆け引きになります。混沌としたレースです。みんなラチ沿いに閉じ込めて外へ出さないようにと狙ってきます。ダート戦で一番避けたいのは、馬がリズムに乗りかけたところでブレーキをかけることです」

「だから、3ハロンの標識あたりで大きく手綱を引かなきゃいけなかったときは、本当にきつかったです。たいていの馬はあそこで止まったら二度と加速できませんが、この馬は違いました」

「僕は内ラチ沿いから外へ持ち出しました。あのコーナーはごちゃついていましたけど、なんとか抜け出してあとは馬が上手に運んでくれました。いい馬っていうのはそういうものです。走りながら先行馬を追いかけて、差し切ってくれるんです」

リスポリは、サンタアニタでの激しいぶつかり合いが、20頭立てのケンタッキーダービーでも役立つはずだと信じている。初めての大勢の観衆、未知の馬場も含め、すべてが試練となるだろう。
もちろん、それは他の出走馬たちも同じだ。

「この馬は本当に賢くて頭のいい馬なんです。そして、初めて体験するのがあの15万人の大観衆、パドックからの入場行進、そしてスタンドからの大きな声援や歌声です」

「賢い馬なので、うまく対応してくれるかもしれません。一方で、気に入らないものを見たらカッとなるタイプでもあります。ただ、今はすでに強く逞しくなりました」

「僕たちは持てるカードをすべて揃えて向かいます。あとは、最高のゲームをするだけです」

あの夜、香港・シャティンでの失意から、もうすぐ6年。リスポリにとって土曜日は、キャリア最高の瞬間となるか、あるいは最大の失望となるか、そのどちらかだ。

もし勝てば、2025年の三冠戦線を追うレース・フォー・ザ・クラウンの続編では、物語の主役の座が待っているだろう。たとえ敗れても、物語はまだ終わらない。

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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