メルボルンカップの優勝トロフィーは、時に競馬界のメインストリームへの道に繋がることがある。ロビー・ドーラン騎手も、その『道』へと一歩踏み出そうとしている者の一人だ。
2024年のトロフィーを手にした28歳のドーランは、2000年以降に20代でメルボルンカップを制した騎手のリストに、6人目として名前が加えられた。ケリン・マカヴォイ騎手、マイケル・ロッド騎手、ブレイク・シン騎手、ジェイ・マクニール騎手、そしてロビー・ドーラン騎手の6人だ。
これらの騎手は、いずれもその後世界の舞台へと飛躍を遂げており、マクニールを除く全員がオーストラリア国外でG1を制している。
ドーランも先駆者の後を追って海外進出を計画しているが、その候補は香港と日本だ。
「オーストラリアの全騎手にとって、メルボルンカップ優勝は夢です」とドーランはIdol Horseの取材に対して話す。
「この国で騎手として働き始めた時点で、メルボルンカップはもちろん夢の舞台になりました。その夢が実現した今、自分にとっての新しい目標は、海外で騎乗して新たな良い経験を積むことです。日本と香港の競馬はよく観ているので、実際に乗れたら最高ですね」
「日本は最有力候補です。私にとっては畏れ多い舞台です。文化も競馬も好きですし、実際に体験してみたいんです。今後1年以内に、ぜひ日本で短期免許を取りたいと思っています。日本の競馬ファンの皆さんは自分のキャラを気に入ってくれると思いますし、私はそれ以上に皆さんのことが大好きですから!」
日本の競馬ファンに好評を博しそうな外国人騎手がいるとしたら、この金髪が似合うアイルランド人騎手はピッタリだろう。彼は騎手としてだけでなく、面白い経歴を持っている。競馬とは真逆の世界、リアリティ番組の『ザ・ボイス』での歌唱を機に歌手としても成功を収めている。
伏兵のナイツチョイスに騎乗してメルボルンカップで番狂わせを起こすというシンデレラストーリーは、国内外での知名度の向上に繋がった。レース史に残る大激戦の末に菅原明良騎手の追撃を抑え込んだことで、日本でもその名が知られることになった。
ドーランの日本競馬への愛着は並大抵ではない。語り始めれば、日本の名馬の名前とその勝ち鞍が止まらない。特に好きだというのが、キタサンブラックだ。馬主で演歌界の大御所、北島三郎氏がレース後にファンの前で歌を披露することが恒例だった。
「もしかしたらですが、レース後にコンサートをする最初の騎手になれるかもしれませんね!ジャパンカップは1年後ですから、それまでに日本語の歌を覚えないといけないですね」
「ジャパンカップには乗りたいですね。自分にとって、乗ってみたいレースの中で一番大きい舞台なのではないでしょうか。ここ10年ほどずっと見てきましたが、毎年毎年盛り上がりが高まっています。もしそれが叶うとしても、実際に自分があのレースに乗れるなんて信じられないですね」
来年の11月、ドーランのジャパンカップでの騎乗馬はナイツチョイスになるかもしれない。シーラ・ラクソン調教師は海外遠征の可能性を示唆しており、来日はジャパンカップより前に実現するかもしれない。その候補の一つが、4月28日のG1・天皇賞春(3200m)だ。
「まだ、完全に未定です。ですが、候補は色々ありますよね。マカイビーディーヴァのローテーションを踏襲して、日本で前哨戦を使う可能性もあります。また、ドバイへの招待状も届いているそうです。当然、国内だってありますよね。どんな舞台でも、彼なら才能を証明してくれると思います」
2016年にオーストラリアに拠点を移す前、ドーランは母国のアイルランドで3勝、スコットランドで2勝を挙げていた。以降、2018年にはフランスのシャンティイで行われた見習い騎手招待競走のフューチャースターズレースに1回出場、今年初めのカラカミリオンデーではニュージーランド初騎乗が実現した。
2025年、ドーランは世界的に忙しい一年を過ごすことになりそうだ。アスコットで8月に開催されるシャーガーカップ、札幌のWASJ、来年12月に香港のハッピーバレーで行われるIJC、様々な騎手招待競走に参戦する可能性がある。
長期的には、自身の原点、故郷アイルランドのキルデアに凱旋したいという。
「いつの日か、母国のアイルランドに戻って少しの間競馬に乗ることも、頭の片隅にはあります。1年以内とかいう話ではないですが、いつかは実現させたいですね」
「愛ダービーには乗ってみたいです。子供の頃からビッグイベントでしたから。ただ、乗りたいと思って乗れるレースでもないので。努力して、その結果として依頼が舞い込んでくるものですからね」
「母国でビッグレースに乗れたら最高でしょうね。ここ数週間、まだまだどんなチャンスも残されていると分かりましたから」