Idol Horseトップ5: 最も印象的な『キングジョージ』勝ち馬5選

アスコットの夏といえば、伝統の『キングジョージ』。歴代の勝ち馬にはチャンピオンたちの名前が並び、数多くの名レースが生まれたキングジョージだが、その中でも最も「凄い!」と思わせた勝ち馬は一体誰なのか?

Idol Horseトップ5: 最も印象的な『キングジョージ』勝ち馬5選

アスコットの夏といえば、伝統の『キングジョージ』。歴代の勝ち馬にはチャンピオンたちの名前が並び、数多くの名レースが生まれたキングジョージだが、その中でも最も「凄い!」と思わせた勝ち馬は一体誰なのか?

1951年に開催された博覧会、フェスティバル・オブ・ブリテン。その一環として初めて開催されたキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスはそれ以来、ヨーロッパ夏競馬の『ダイヤモンド』として君臨している。夏季シーズン最高峰の年齢別斤量競走であり、フランスが誇る秋の凱旋門賞と並ぶレースだった。

しかし、正直に言うと、近年のレースはその地位を維持することに苦労している。その伝統に相応しい質の高さの維持、そして有力馬の関心を集めることに苦戦しているようだ。過去の名レースと比較すると、近年は見劣りするレースが多く、凱旋門賞の後塵を拝する存在となっている。

とはいえ、毎年レベルが低いというわけではなく、昔のレースも毎年ハイレベルだったというわけでもない。例を挙げるとすれば、エネイブルのキングジョージ3勝という偉業は素晴らしいものだった。しかし、誰もが「凄い!」と思うような見事なレースは久しぶりに思える。そこで、今回は栄光の歴史を回顧し、印象的な「凄いと思わせた」馬を5頭紹介しようと思う。

まず、いくつかのルールを明確化しておきたい。第一に、主観的な基準に基づくため、キングジョージを勝った史上最高の馬や、最もレートが高い馬を並べているわけではない。レーティングが評価の全てではないが、興味深い要素の一つではある。いずれにせよ、優秀な馬は上位に入る。

視覚的な強さ、つまり着差やどれだけ楽勝したかが重要な要素となり、次に対戦相手の強さも評価基準となる。そして、次に決定的な要素になるのが、馬齢別の斤量だ。3歳馬として楽勝したのか、それとも斤量が不利な古馬でありながら3歳馬に勝ったのか、という点だ。

5 ミルリーフ, 1971年

Mill Reef wins G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes
MILL REEF, GEOFF LEWIS / G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes // Ascot /// 1971 //// Photo by PA Images

この小柄な馬のことは、改めて紹介する必要もないだろう。2歳時から圧倒的な存在だったミルリーフは、2000ギニーで同じくレジェンド的存在のブリガディアジェラードに敗れたものの、英ダービーではライバルを圧倒。続くエクリプスステークスを4馬身差の圧勝で制して、アスコットのキングジョージに臨んだ。

9頭立てだが、ミルリーフに敵う馬はこの中にいなかった。愛ダービー馬のアイリッシュボール、ハードウィックステークスを8馬身差で制したオルティスが出走馬の中にいたが、出走しなかった方がマシだったかもしれない。ミルリーフは1ハロンを残した時点でオルティスを交わし、6馬身差の大楽勝。鞍上のジェフ・ルイス騎手は持ったまま、当時のレコードタイムを叩きだした。

秋には凱旋門賞を勝ち、4歳時にはガネー賞とコロネーションカップを勝利。しかし、その後は骨折により引退に追い込まれた。

4 リボー, 1956年

リボーがキングジョージに初挑戦したとき、彼は無敗の13連勝中だった。前年の凱旋門賞は3馬身差の快勝、すでにヨーロッパのチャンピオンホースとしての地位は確立していた。

Ribot wins G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes
RIBOT / Ascot // 1956 /// Photo by Evening Standard/Hulton Archive

4歳シーズンは既に4勝を挙げており、その内容は4馬身、8馬身、12馬身、8馬身とどれも圧巻の競馬。アスコットでも9頭立ての1番人気、1.4倍のオッズが付けられた。ライバルも強力な馬が揃っており、2000ギニー2着のシャンテルシー、英ダービー3着馬のロイスター、ベルギーダービー馬のトッドライ。そして、女王陛下の所有馬でケンプトンの2000ギニートライアルとサースクのクラシックトライアルを勝った、3歳馬のハイヴェルトが含まれていた。

リボーはその戦績通りの強さを見せ、直線に入ると楽にハイヴェルトを交わし去った。エンリコ・カミーチ騎手のアクションに応えて重馬場の中で突き抜け、ハイヴェルトに5馬身差をつける勝利を挙げた。

3 ジェネラス, 1991年

ミルリーフから20年後、美しい尾花栗毛のジェネラスが真夏のヨーロッパで衝撃の走りを見せつけた。彼の外見とその衝撃を考えると、この年のキングジョージほど派手なレースはなかなか無いと言える。

ジェネラスはポール・コール厩舎の管理馬。2歳時は浮き沈みの激しいシーズンを送り、G1・デューハーストステークスを単勝51倍の人気薄で制す波乱を巻き起こした。翌年、2000ギニー4着から始まると、3歳の中距離路線では圧倒的な走りを見せる。英ダービーではマージュを相手に5馬身差、愛ダービーは3馬身の快勝。ここでは仏ダービー馬のスワーヴダンサーを突き放し、英仏のダービー馬対決を制した。

Generous wins G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes
GENEROUS / G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes // Ascot /// 1991 //// Photo by S&G

アスコットのキングジョージでは初の古馬対決。前年の仏ダービーを勝ったサングラモア、強豪古馬のロックホッパー、テリモン、サピエンス、そして後にG1馬となるサドラーズホールら、9頭のライバルと対戦した。

最終コーナーでサドラーズホールを抜いて早々と先頭に立ち、アラン・ムンロ騎手に追われるとその差をどんどんと広げる。残り50メートルはもはや流す余裕を見せ、追いすがるサングラモアに7馬身の着差をつける衝撃の走りを見せつけた。

2 ニジンスキー, 1970年

レスター・ピゴット騎手がアスコットの直線でニジンスキーと共に上がってくる姿は、50年経った今でも、見る度に背筋が震える。ヴィンセント・オブライエン調教師が育てたこの馬は、無敗の2歳チャンピオンになった後、グラッドネスステークス、2000ギニー、英ダービー、愛ダービーを連勝してここに臨んだ。もはや、無敵の存在だった。

Nijinsky and Lester Piggot win G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes
NIJINSKY, LESTER PIGGOT / G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes // Ascot /// 1970 //// Photo by Leonard Burt

キングジョージでのライバルは僅か4頭だったが、超一流馬たちが揃っていた。前年の英ダービー馬、ブレイクニー。ワシントンDCインターナショナル馬のカラバス。前年の仏オークス馬、クレペラナ。そして、ちょうど1ヶ月前にコロネーションカップを制したカリバンだ。

ニジンスキーはまさに圧倒的な競馬で、ピゴットの合図に応えて加速し、持ったままで走りきった。ライバルを楽々と交わし去り、騎手が左右を見渡しても脅威は存在せず、3/4程度の力で勝ったように見えた。2着のブレイクニーに対しては2馬身差だったが、それ以上離れていてもおかしくなく、3着以下とは4馬身の差が開いていた。

1 モンジュー, 2000年

はたして、ニジンスキーを超えることは可能なのか。圧倒的な楽勝に加えて、斤量差を考慮すると、この馬が1位なのではないかと考える。ニジンスキーは3歳馬で、斤量が1ストーン(6.35キロ)重かった古馬のブレイクニーを相手に圧勝した。一方、当時4歳だったモンジューは、ファンタスティックライトやコロネーションカップ勝ち馬のダリアプールと同じ斤量を背負って対戦し、持ったままの楽勝で彼らを圧倒した。

Montjeu wins G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes
MONTJEU / G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes // Ascot /// 2000 //// Photo by Julian Herbert

フランスチャンピオンのモンジューは、前年の仏ダービーを4馬身差、続く愛ダービーを5馬身差で勝利。凱旋門賞では信じられないような凄まじい末脚を繰り出し、勝利を勝ち取っていた。

7月を迎えてアスコットに遠征したモンジューだが、4歳シーズンはタタソールズゴールドカップとサンクルー大賞という2つのG1を楽勝し、古馬になってもその強さに陰りは見られなかった。しかし、同じ『楽勝』と言っても、キングジョージはこれら2つとは比べものにはならない。

ミック・キネーン騎手が直線で外に持ち出し、5番手から一気に先頭に立ったとき、モンジューはまだ馬なりだった。残り1ハロン半で先頭に立った後も鞍上の手は微動だにせず、追われるダリアプールを尻目に持ったままで走り続けた。結局、モンジューはほぼ追われずにゴールし、ファンタスティックライトに1馬身3/4差、ダリアプールに3馬身半差をつける完勝を見せた。

もし、キネーンが本気で追っていたなら、モンジューはさらに数馬身突き放していたに違いない。この日のモンジューは、まさに無敵の強さに見えた。

惜しくも選外

偉大な牝馬、ダリアを選外とするのは間違いのように感じるが、惜しくもランキング外となった。ダリアはキングジョージを連覇した史上初の馬であり、その2勝も特筆すべきものがある。

最初の勝利は1974年、ビル・パイアーズ騎手を鞍上に迎えての勝利だった。3歳牝馬なので古馬とは17ポンド(7.7キロ)の斤量差があったが、後に凱旋門賞を勝つことになるラインゴールドを相手に6馬身差の勝利を挙げた。古馬で迎えた2度目は、逆に3歳牝馬と14ポンド(6.3キロ)の斤量差がある不利な立場だったが、1000ギニーと仏オークスを制した女王陛下のハイクレアを2馬身半差で退けた。

また、エネイブルも偉大な牝馬であり、このレースを3勝した史上唯一の馬だ。2017年のキングジョージでは、フランキー・デットーリ騎手の合図に応えて素晴らしい伸びを見せ、ユリシーズに4馬身の着差を付けて勝利した。しかし、エネイブルが得意な稍重というコンディションだったこと、ユリシーズは10ハロンの方が得意ということ、そして追われての勝利だったことを考慮し、トップ5からは選外とした。

Enable wins the G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes
ENABLE, FRANKIE DETTORI / G1 The King George VI And Queen Elizabeth Stakes // Ascot /// 2017 //// Photo by Alan Crowhurst

1986年のキングジョージを勝ったダンシングブレーヴも、卓越した3歳馬だった。最後の直線では電光石火の末脚を繰り出したが、パット・エデリー騎手の仕掛けのせいか最後は失速し、1歳年上のシャルダリに3/4差まで詰め寄られた。3着のトリプティクとは4馬身離れていたが、最高級の印象的な走りとは言えなかった。

ヴィンセント・オブライエン厩舎のバリーモスは、名牝アルメリアを3馬身差で破り、1958年のキングジョージを制した。英ダービー馬のハードリドンも出走していたが、6着に沈んでいる。この年は続けて凱旋門賞も勝利し、シーズンを締めくくった。

初版の記事でハービンジャーを紹介しなかったことは、今振り返ると判断が厳しすぎたかもしれない。ハービンジャーファンの怒りの声を聞いて考え直し、11馬身差の勝利を改めて紹介することにする。

サー・マイケル・スタウト調教師が管理したこの牡馬は、才能開花が遅く、怪我から復帰した4歳シーズンから4連勝の快進撃が始まった。最初にして最後のG1勝利となったキングジョージでは、愛ダービー馬のケープブランコ、善戦マンのユームザイン、そして英ダービー馬のワークフォースらを大きく突き放す、圧巻のレコード勝ちを見せた。ワークフォースはその後休養を挟んで凱旋門賞を勝つことになるが、ハービンジャーはこれを最後に引退した。

セントジョヴァイトは1992年、スティーヴン・クレイン騎手と共に、ライバルを圧倒する走りを見せた。前走の愛ダービーでは12馬身差の圧勝、今回もサドラーズホールを6馬身差で下した。そして、3着馬は後にキングジョージを勝つオペラハウスだった。しかし、モンジューのように持ったまま楽勝した馬と比べてしまうと、それを上回る走りとは言い難い。

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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