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「オクタゴナルは諦めない」豪州黄金世代の4強対決、1996年オーストラリアンダービーを“激闘の証言”から紐解く

30年前、オクタゴナル、セイントリー、ナッシンライカデイン、フィラントが激闘を演じた世紀のダービー。豪州競馬の黄金期を象徴する4頭が火花を散らした一戦を、関係者たちの証言を元に振り返る。

「オクタゴナルは諦めない」豪州黄金世代の4強対決、1996年オーストラリアンダービーを“激闘の証言”から紐解く

30年前、オクタゴナル、セイントリー、ナッシンライカデイン、フィラントが激闘を演じた世紀のダービー。豪州競馬の黄金期を象徴する4頭が火花を散らした一戦を、関係者たちの証言を元に振り返る。

「“ビッグO”ことオクタゴナルが最後の伸び脚を見せる。フィラント、セイントリー、オクタゴナル、この3頭がナッシンライカデインを引き離した。セイントリーとオクタゴナルの戦いだ。オクタゴナルのビードマンが必死で追う!届くのか!届いた!オクタゴナルがダービーを制覇!」

実況アナのジョン・タップ氏が長い実況人生で残した、何千ものレース実況の中でも、1996年のオーストラリアンダービーほど記憶に残るものはそう多くない。

当時はオーストラリア競馬の黄金期だった。ビードマン、ダイ、ディットマンといった名騎手は誰もが知る存在。鶏肉事業で財を成した馬主のボブ・インガム氏とジャック・インガム氏が巨費を投じて名馬を送り出し、バート・カミングス調教師は全盛期、そしてゲイ・ウォーターハウス調教師の旋風が吹き始めていた。

オーストラリアの首相たちでさえ、政治以上に馬券に心を奪われた時代だった。

このレースが特別だった理由は、もうひとつある。1995/96年の3歳世代だ。

元競馬記者のケン・カランダーは「私が見てきた中で最高の3歳世代でした」と断言する。

オクタゴナルがオーストラリアンダービーを勝ってから30年になる。後方から渾身の末脚で追い込み、ゴール寸前でセイントリーを差し切ったあの勝利は、1か月足らずで4度目のG1制覇という離れ業でもあった。あの日、その場で見た者は決して忘れない。

ダレン・ビードマン、ラリー・キャシディ、ミック・ディットマン、シェーン・ダイの4騎手に加え、殿堂入りトレーナーのゲイ・ウォーターハウス調教師、名物解説者のケン・カランダー記者、そして実況アナのジョン・タップ氏。彼らの視点で、ダービー史に刻まれた名勝負を振り返る。

「ナッシンライカデインの方が上だった」

1995年春のナッシンライカデインの戦歴を今の誰かに話したら、正気を疑われてもおかしくない。

8月20日に平凡な未勝利戦でデビューしたばかりの馬を、ゲイ・ウォーターハウス師は3か月も経たないうちにはヴィクトリアダービー馬へと育て上げた。しかも不利はあったがオクタゴナルを退けての勝利だ。

さらにその3日後には、極悪馬場のメルボルンカップでドリエマスの2着に入っている。その間にオクタゴナルは、シェーン・ダイ騎手を背に豪州の定量戦最高峰ともいえるコックスプレートを制していた。では、ヴィクトリアダービーでシェーン・ダイはどちらに乗るのか。

シェーン・ダイ騎手(ナッシンライカデイン):
「信じてもらえないかもしれないけれど、あの春は実際、オクタゴナルよりナッシンライカデインの方が上でした」

「春はオクタゴナルに乗っていましたが、ナッシンライカデインは急速に力をつけてきました。8月20日に初勝利を挙げた馬が、そのシーズンのうちにヴィクトリアダービーを勝ち、メルボルンカップで2着に入ったんですからね」

「ヴィクトリアダービーの前週にコックスプレートを勝ったあと、サイモン・マーシャルに『ダービーでもオクタゴナルに乗るのか?』と聞かれて、私は即座に『まさか。ナッシンライカデインに乗るし、あれが勝ちますよ』と答えました。それくらい自信がありました」

「もちろん、オクタゴナルはヴィクトリアダービーで不利があったと言う人もいるし、実際そうでした。それでも私は、もしオクタゴナルがあそこでもっと迫っていたとしても、ナッシンライカデインが勝っていたと思っています」

「当時は本当にそれほど良かった。あの馬はスーパースターになると思っていましたよ」

ゲイ・ウォーターハウス調教師(ナッシンライカデイン):
「1歳の時から大きくて力強く、いかにも大将格の馬でした。本当に気に入っていました。マジックミリオンズ社のセールで初めて見た時から好きでした。力強さが目に見える馬で、本当にいい馬でした」

「当時は3歳馬でもメルボルンカップに出られましたし、あの頃のダービーは今よりずっと人々を熱くしたものでした。筋金入りの競馬ファンなら、ああいうレースを心から愛するものです」

ジョン・タップ氏(実況アナ):
「ナッシンライカデインは、本当に過小評価されていた馬でした。初勝利は私が実況したワーウィックファームの日曜開催でのレースでした。たしか二桁人気だったと思います。それが10週間後には、メルボルンカップでドリエマスの2着に来たんですからね」

「この馬はいつもゴール板の位置を分かっているようだった」

秋になると、主役候補は“ビッグO”ことオクタゴナルとナッシンライカデインだけではなかった。成長はゆっくりだが穏やかな気性を持つ、バート・カミングス厩舎の3歳馬が現れた。

後に「天から贈られる馬」と呼ばれるセイントリーである。

さらに、ベテラントレーナーのジャック・デナム調教師が手がけるフィラントもいた。フィラントは2歳時に2戦しただけで、3歳春シーズンをまるごと休んだが、1996年にはカンタベリーギニー、ローズヒルギニー、オーストラリアンダービーの三冠戦線へ挑む態勢が整っていた。

まず先手を取ったのは、ナッシンライカデインだった。ホバートヴィルステークスでオクタゴナルとフィラントを破ったあと、メルボルンへ遠征し、オーストラリアンカップでは完敗を喫した。

シェーン・ダイ騎手(ナッシンライカデイン):
「メルボルンカップが馬を壊した、と思っている人が多いですが、それは全くの見当違いです。そんなことはありませんでした。ナッシンライカデインは復帰初戦でオクタゴナルを正々堂々と破りました」

「あの馬の方が上でした。調教でも乗っていましたし、初戦でも乗って、『これは全部勝つな』と思ったくらいです」

「ナッシンライカデインが狂い始めたのは、ここからでした。オクタゴナルはシドニーに残って三冠路線を勝ち抜いたのに対して、ナッシンライカデインはメルボルンへ行ってオーストラリアンカップで1番人気になり、そこで心を折られてしまった」

「あれ以降、別の馬になってしまいました。レースで以前のような感触は二度と戻ってきませんでした」

「こういうことは他の馬でも見てきました。たった一戦で心が折れてしまうことがあるのです。シドニーに戻ってきてからも、もう以前のナッシンライカデインではなかった。その時点では、オクタゴナルの方が上になっていました」

ダレン・ビードマン騎手(オクタゴナル):
「1900mのカンタベリーギニーを勝ちました。この馬の競馬ぶりや脚質を考えると、カンタベリーは決して向くコースではなかったですから、いつもより少し早めに動かしていく必要がありました。ゲートを出して、流れに乗せなければいけなかったんです」

「前につけられれば、あとは細かいことを全部きっちりやるだけでした。フィラントの近くにはいなければいけませんでした。カンタベリーでフィラントに離されると、あちらの切れの方が上ですからね」

「ローズヒルギニーでは厄介な枠でしたが、スッと外から行って理想的な位置を取れました。直線を向いた時には、前はきれいに開けていました。セイントリー、フィラント、ナッシンライカデインと、実に見応えのあるメンバーでしたからね」

「この馬はいつもゴールの場所を分かっているようでした。他馬との叩き合い、競り合いをとにかく好み、最後は力でねじ伏せてしまうんです」

「翌週には古馬相手のメルセデスクラシック(現在のタンクレッドステークス)にも使われましたが、ああいうローテーションは普通ではありませんでした。ジョン・ホークス調教師と、ジャック、ボブのインガム兄弟がそのローテーションを選んだんです。あの日はセイントリーが迫ってきましたが、オクタゴナルがほんの少しだけ強かったんです」

「ダービー前には少し不安もありました。3連勝はいずれも楽な勝ち方ではなかったですからね。もちろん他の馬たちも同じだったでしょうが、『まだどれだけ余力が残っているだろうか。ここまでの激戦で脚を使わされ、反応が鈍っていないか』と考えていました」

ジョン・タップ氏(実況アナ):
「(オクタゴナルの)ジョン・ホークスのような調教師の判断に疑問を投げかけるわけではありませんが、それでも古馬相手にあのレースを使ったことに驚いた人は多かったです。あれだけ見ても、いかに優れたホースマンだったかが分かります」

「世紀のダービー」

そのシーズン最後の激突となる豪華な3歳世代の対決を見ようと、オーストラリアンダービーの当日には、大観衆がロイヤルランドウィック競馬場を埋め尽くした。

パドックではビードマンとダイが視線を交わす。1番人気は“ビッグO”ことオクタゴナル。やや疲れが見えるナッシンライカデインがそれに続き、さらに少し離れてフィラントとセイントリーが、2400mの持久力勝負に挑んだ。

ジョン・タップ氏(実況アナ):
「ランドウィックの当日は本当に素晴らしかった。よく晴れた気持ちのいい日でね。記憶が正しければ、あの日は4万人くらい入っていたはずです。とてつもない観衆でした。あの世代の3歳馬がいたからこそ、あれだけ人が集まったのは間違いありません。その頃にはオクタゴナルは、頭一つ抜けた人気を集める存在になっていました」

ラリー・キャシディ騎手(セイントリー):
「ローズヒルギニーから当日まで、大きな盛り上がりでした。『世紀のダービー』になると言われていました。どの馬も本当にハイクラスで、いつも僅差で競り合い、力の差はほとんどありませんでした」

ゲイ・ウォーターハウス調教師(ナッシンライカデイン):
「夢のような顔ぶれでしたし、何より良かったのは、ライバル同士で何度もぶつかり合ったことです。ナッシンライカデインはキャリアのスタートが遅かった。今の馬たちが最上級ではないとは言いませんが、あの年は特に質が高かったですね」

ミック・ディットマン騎手(フィランテ):
「他の騎手たちへの敬意はとても大きかったですし、あれほどの4頭が同世代に揃うのは本当に珍しい。普通は距離が延びていくとどれか1頭が脱落するものですが、あの4頭はみな互角に見えました。レースを離れれば仲間でしたが、勝負になれば激しいライバルでした。みんな本気で勝ちたかった。キャシディも、ダイも、ビードマンも、どの時代でも通用する名手でしたよ」

ラリー・キャシディ騎手 (セイントリー):
「本当にいい世代でした。いつもあの馬たち同士で上位争いをしていましたからね。セイントリーは大柄で、優しい巨人のような馬だったのを覚えています。背が高くて、まだ線も細かった。3歳の時点ではまだ体が完成していませんでしたが、乗った馬の中でもとりわけ優しくて、美しい馬でした」

「最後は、より強く、よりタフな馬が生き残った」

大方の予想通り、オーストラリアンダービーはほぼ想定に近い形で流れた。ナッシンライカデインが素早く出て前へ行き、フィラントもそれほど離れていない位置を確保。セイントリーはラチから1頭分外の楽な中団につけ、そのすぐ後ろをオクタゴナルとビードマンがぴたりと追走した。

シェーン・ダイ騎手(ナッシンライカデイン):
「外枠から前へ行って2番手に収まりました。望んでいた通りの速い流れになりましたよ。ドリエマスの2着だったメルボルンカップを見ても、この馬なら最後は相手をスタミナでねじ伏せられると思っていました」

ミック・ディットマン騎手(フィランテ):
「絶好のポジションで理想的な競馬ができていました。コーナー前には外へ出してきれいな進路を取りに行く必要があると分かっていましたが、もう他馬がぴったり来ていました」

「少しでもスペースができればと思って乗りました。残り200mの地点ではまだ前にいましたが、そこから踏ん張り切れませんでした」

ラリー・キャシディ騎手(セイントリー):
「セイントリーはスタートが抜群で、真ん中の枠からのスタートでした。前へ行きましたが、内に2頭いましたので、スタンド前までは3頭分外を回る形になりました。記憶では、そのあと少し下げようとして、後ろで少しごちゃつく場面もありました」

「残り2000mのあたりで、無理なくラチから1頭外へ収まれました。残り1マイルを過ぎると流れが速くなって隊列が少しばらけましたが、その時も私は6番手でした。コーナーへ向かうところで再び馬群が固まり、そこへオクタゴナルが外から上がってきました」

「フィラントはナッシンライカデインの外へ進出していました。手応えよく運べていましたが、視界の端にはオクタゴナルが映っていました」

ダレン・ビードマン騎手(オクタゴナル):
「レース中ずっと納得の展開でした。セイントリーの後ろを取って、終始その馬をマークできていたからです」

「あの馬がちょうどいいところまで運んでくれたおかげで、オクタゴナルに余計な仕事をさせずに済みました。十分なところまで引っ張ってもらって、あとは最後に、より強く、よりタフな馬が生き残るだけでした。最後の150mは、まさにそういう勝負でした」

「私が見たレースの中でも、間違いなく上位4、5本に入る」

最後の1ハロン、ランドウィック名物の上り坂を越えたところで、外を進むセイントリーとオクタゴナルが、フィラントとナッシンライカデインに迫った。4頭はほとんど横一線の壁のようになり、それぞれの限界をさらに押し広げるように競り合った。観衆は総立ちになった。

シェーン・ダイ騎手(ナッシンライカデイン):
「直線の坂の頂上では、もう完全に脚が上がっていました。先頭に立ったと思った次の瞬間には、もう終わっていました。あれは疲れ切った馬でした。まるで別馬のようでした」

ミック・ディットマン騎手(フィランテ):
「残り1ハロンでは4頭が一線に並び、その後は本当に首の上げ下げでした。フィラントは2400メートル向きというよりマイラーでした。ダービーを持たせるように調整してきたのですから、あれは見事な仕上げだったと思います」

ラリー・キャシディ騎手(セイントリー):
「坂を上り切った時、『これで勝てる』と思いました。そこで鞭を入れたんです。内にいたナッシンライカデインとフィラントは、もうかなり苦しくなっていました。私はかなり最後まで鞭を待った方だったと思います」

「まさに『これでやったな』と思いましたよ。何発か入れると、馬はグンと前へ出ました。でもオクタゴナルは諦めないんです。たしかゴールの4完歩手前で先頭に立ったのに、最後の4完歩で差し返されました」

ダレン・ビードマン騎手(オクタゴナル):
「オクタゴナルは、本当に諦めることを知りませんでした。勝ち馬の資質そのものでしたよ。大人しい馬でもあったし、抜群の存在感がありました。この馬は必ず全力を出してくれる、という確信がありました。それ以上に騎手が望むものはありません」

「乗っていて、何段もギアを隠しているようなタイプではありませんでした。走りはかなりゆったりしていて、感触もそんな感じでした。だから追い比べでは、こちらが無理をしてでも前を捕まえに行かなければいけません」

「今の時代のように鞭の使用制限が厳しかったら、あれほど勝てたかどうかは分かりません。しっかり追ってこそ、良さが出るような馬でした」

ジョン・タップ氏(実況アナ):
「正直、(オクタゴナルが)届くのは厳しいと思っていました。相手は一線級のG1馬たちでしたからね。あれを勝つには、並外れた勝負根性を持つ馬でなければ無理だったでしょう。あの馬は持てるものをすべて出しました」

「オクタゴナルは、必要なことしかやらない賢い馬でしたが、同時に負けるのも嫌う馬でした。ゴール板の位置を正確に分かっていて、そこへ向かって身を投げ出し、ちょうど足りるだけのことをやるんです。ランドウィックでは多くのレースで、馬たちが止まる頃には向こう正面近くまで行っています」

「私は双眼鏡をもう一度上げてオクタゴナルを見ましたが、その時はっきり『これはもう完全に力を使い果たしている』と思いました。完全に止まった時には頭が下がり、ビードマンはほとんど歩かせるようにして引き揚げていました。本当に余力が残っていないように見えました。引き上げるには時間がかかり、頭は地面につきそうなくらい下がっていました」

ケン・カランダー記者(解説者):
「オクタゴナルは本当に勇敢で、素晴らしい馬でした。私の印象では、ダレン・ビードマンの騎乗も見事でした。とにかく強く、決して馬を負けさせなかった。あれは本当に特別なレースでしたね。私がこれまで見たレースの中で上位4、5本を挙げろと言われたら、間違いなく入れます。実に素晴らしいレースでした」

オクタゴナルは、セイントリーを僅差で退けてオーストラリアンダービーを制した。これで28日間に4度目のG1勝利。4戦の合計着差はわずか1.3馬身しかなく、いずれも首の上げ下げになる接戦だった。そのたびに勝ったのは“ビッグO”だった。

何より良かったのは、記憶に残るオーストラリアンダービーの後も、この4頭が走り続け、勝ち続けたことだ。オクタゴナルはその後、さらにG1を4勝。セイントリーは同年後半のコックスプレートで、オクタゴナルの主戦でもあったビードマンを鞍上に迎えてフィラントを退けた。

さらにその2週間足らず後には、セイントリーはビードマンとのコンビでメルボルンカップも制している。ラリー・キャシディは、香港からオーストラリアへ戻る途中で税務上の理由から足止めされ、滞在先のフィリピンでその勝利を見守っていた。

フィラントは1997年のコックスプレートでも2着に入った。ナッシンライカデインはというと、結局その後は1勝もできなかったが、それでもセイントリーが勝ったメルボルンカップで5着に入る力は残していた。

それぞれの名馬が、それぞれの形でスターだった。

馬主のインガム兄弟はオクタゴナルにすっかり魅せられ、オーストラリアンダービー制覇後にその絵をビードマンへ贈った。

ビードマンは言う。「家に飾ってある馬の絵は2枚だけです。オクタゴナルとロンロですよ」と。

だが、なぜ1996年世代のような黄金世代がもう現れないかを最も端的に語ったのは、ダイかもしれない。

「昔は、いい馬も、いい騎手も、もっとたくさんいました」

「結局、競馬を特別なものにするのは名馬なんです」

アダム・ペンギリー、ジャーナリスト。競馬を始めとする様々なスポーツで10年以上、速報ニュース、特集記事、コラム、分析、論説を執筆した実績を持つ。シドニー・モーニング・ヘラルドやイラワラ・マーキュリーなどの報道機関で勤務したほか、Sky RacingやSky Sports Radioのオンエアプレゼンターとしても活躍している。

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