一般的な認識では、競馬は高齢層の観客ばかりを惹きつけ、若い世代からは支持を失いつつあると考えられている。だが、現実は一枚岩ではない。
1981年から1996年生まれと定義される、Y世代のど真ん中にいる私にとって、自分が競馬ファンであることは、同世代の中で年々「少数派」であると実感させられるものになっている。オーストラリアでは、その事実は毎年11月のメルボルンカップの時期に、嫌でも浮き彫りになる。
一緒に育ってきた多くの仲間は、今や「#NupToTheCup」という反対運動の側にしっかり回っている。彼らにとっては、動物福祉への懸念や、競馬とギャンブルの結びつきが、受け入れがたい一線になっている。
さらに多くは、ただの無関心だ。メルボルンカップが“先週”行われたことすら覚えていないかもしれないし、勝ち馬の名前となればなおさらだろう。彼らは、競馬が視界にすら入っていない「失われた世代」であり、このスポーツが届いていない層だ。
しかし、今まさに台頭してきている世代、10代後半から20代前半のいわゆるZ世代は、この物語には当てはまらない。彼らは「当然」として競馬に触れる存在ではないかもしれないが、それでも競馬界にとって「チャンス」となり得る。
Z世代は、これまでの世代以上に倫理観に敏感で、視覚的な体験に強く惹かれ、「本物」であることに鋭い感度を持つ世代だとされる。
調査結果でも、競馬というスポーツそのものに対して倫理的な異議を唱える比率は高いとされる一方で、重要なのはそこから先だ。適切な物語、ヒーロー、文化的な入口さえ提示されれば、「関わってみてもよい」と考える潜在層の割合も、他の世代より高いのである。
彼らは無関心なのではない。ただ、「心を動かされるきっかけ」を待っているのだ。
10月、カーインライジングがG1・ジ・エベレストを制した際、ひとつの数字が強い印象を残した。ランドウィック競馬場に集まった50,167人の観客のうち、約6割が26歳未満だったのである。
その流れはメルボルンカップウィークにも続いた。スタンド周辺で目につくマレットヘア(刈り上げと長髪を組み合わせた髪型)の数だけでも、観客の平均年齢が下がっていることは明らかだった。
さらに、G1・VRCチャンピオンズステークスでヴィアシスティーナが勝利した直後の光景は印象的だった。南極のような寒風と激しい雨が降る中、若い男性たちが声を枯らして後押しするような声援を送っていた姿は、ひとたび「行く」と決めたときの彼らが、全身全霊の熱量をもって競馬場に集うことを物語っていた。

今の若い世代には、これまで存在しなかった文化的な「入口」も用意されている。
日本発のマルチメディア作品『ウマ娘』は、実在の名馬たちをモチーフにしたキャラクターたちを通じて、ライバル関係や試練、栄光といった物語を描き出し、その世界観に何百万人ものファンを引き込んでいる。
伝統的な競馬ファンには奇妙に映るかもしれないが、Z世代にとってはごく自然だ。彼らにとっては「キャラクターを起点にして、これまで触れたことのなかった現実の競馬の世界へ入っていく」という、ごく直感的なアプローチなのである。
アメリカでも似た動きが起きている。先週、26歳のインフルエンサー、グリフィン・ジョンソン氏が、業界団体から『新人馬主賞』に選出され、大きな議論を呼んだ。
ジョンソン氏は、後にG1・アーカンソーダービーを制するサンドマンの持ち分を贈られ、自身の持つ合計1,500万人近いフォロワーに向けて、その歩みをSNSで発信してきた。
批判する側は、彼が「本当の馬主ではない」と主張し、さらに、フォーエバーヤングよりもサンドマンの方が「世界で最も有名な馬だ」と語ったことを、視野の狭さを示すものだと批判した。
しかし、それでも変わらない事実がある。競馬のことを何も知らない18歳の姪が、彼のおかげでサンドマンの名前を知っている、ということだ。認知があって初めて親近感が生まれ、親近感があって初めて「競馬ファンになる」という次の段階が訪れる。
すでに競馬界の世界的スターとなっているフォーエバーヤングも、まもなく『ウマ娘』に登場する予定だ。それが実現した時、知名度の心配は不要になる。問われるのは、その注目と関心を競馬がどう生かすかという点だけである。
現時点で、Z世代との接点は「継続的な関わり」ではなく、「瞬間」で測られている。彼らはジ・エベレストでカーインライジングを応援し、冷たい雨をものともせずヴィアシスティーナに声援を送り、TikTokでサンドマンの物語を追いかけるだろう。
しかし、5年後になっても、どれだけの人がこの世界に残っているだろうか。どれだけが、ただの観客から一歩踏み出し、馬主、生産者、馬券購入者、運営側、そして物語を紡ぐ語り手へと進んでいくだろうか。
競馬は、彼ら全員を振り向かせる必要はない。ただ、その一部でも本気で惹きつけることができれば、このスポーツは十分に「勝ち」を手にすることができる。