ロマンチックウォリアーは、セクレタリアト、カウントフリート、ミルリーフ、アレッジド、ジョンヘンリー、サンデーサイレンス、シガー、ドバイミレニアム、カーリン、カリフォルニアクローム、アロゲートといった歴史的名馬が名を連ねる最高峰のグループに加わるべく、土曜日のG1・サウジカップ(リヤド・1800m・総賞金2,000万米ドル)に挑む。
これらの馬はいずれも、過去100年の間にその年の『世界最高賞金レース』を制しており、この称号は6ヶ国・15の異なるレースが分かち合ってきた。
100年前、世界最高賞金レースの座にあったのは英ダービーだった。1925年の覇者マンナの馬主で、上海の貴金属ブローカーであったヘンリー・E・モリスは、1着賞金として1万1,095ポンド(約10万8,700香港ドル)を受け取った。この額は現在の価値で約86万2,000ポンド(約845万香港ドル・約1億6,300万円)に相当する。
これは当時の英国の年間平均給与約260ポンドの約43倍にあたる。一方、サウジCの1着賞金は1,200万米ドル(約9,330万香港ドル、約18億円)で、現在の英国の平均年間給与3万7,430ポンド(約36万6,250香港ドル、約700万円)の250倍以上に相当する。

ダービーがサラブレッド競馬の基準とされてきたことを考えれば、その賞金と名声の両面で世界最高峰であったことも当然の成り行きだろう。そして、その地位が低下した過程は、大英帝国の経済的・政治的衰退と、競馬界の中心が大西洋を越えて移動していった流れと見事に重なっている。
1930年にはメキシコ・ティフアナのアグアカリエンテハンデキャップが一時的に世界最高賞金レースとなった。しかし、この地位も1932年には、オーストラリアから遠征した名馬ファーラップの勝利とともに終焉を迎えた。1935年から1951年にかけては、米国カリフォルニア州のサンタアニタハンデキャップ、ハリウッドゴールドカップ、サンタアニタフューチュリティが、それぞれ世界最高賞金レースの座に就いていた。
意外なことに、過去には2歳戦が『世界最高賞金レース』の座を獲得した例もある。ニューヨークのベルモントフューチュリティステークスは1928年と1929年にこの称号を保持し、1931年には再び最高賞金に返り咲き4年間その座を維持した。1953年にはニュージャージー州のガーデンステートステークスが世界最高賞金レースとなり、その地位は1962年にイリノイ州でアーリントンワシントンフューチュリティが創設されるまで続いた。
1970年代は再びフランスの最高峰レースであるG1・凱旋門賞が君臨したが、その後アメリカが再び競馬界の主役に返り咲く。1981年には、世界初の総賞金100万米ドルレースであるアーリントンミリオンがシカゴで行われ、ジョンヘンリーがその栄冠を手にした。そして1984年、ブリーダーズカップとその目玉レースであるクラシックが、巨額の賞金を掲げて創設された。
1990年代後半にはドバイワールドカップが登場し、1999年の第4回開催から世界最高賞金レースのトップに躍り出た。これにより、競馬界は新たな時代を迎え、2017年と2018年の初回ペガサスワールドカップを除けば、それ以降は中東が『世界最高賞金レース』の舞台となっている。
この流れを決定的にしたのが、2020年に創設されたサウジカップである。為替レートの影響により、2025年の『世界最高賞金レース』ランキングは、1位がサウジC、2位がオーストラリアのジ・エベレスト、3位がドバイワールドCとなる見込みだ。
もしロマンチックウォリアーが勝利すれば、通算獲得賞金で歴代世界最高額を記録し、2位のゴールデンシックスティを1億香港ドル以上引き離すことになる。これに挑む可能性があるとすれば、ケンタッキーダービーを制し、その後ブリーダーズCクラシック、サウジC、ドバイワールドCを勝つ馬だろう。だが、それを達成するのは至難の業である。

特筆すべきは、歴代獲得賞金ランキングのトップ2が香港馬であるという点だ。香港は他の競馬大国ほど高額賞金のレースを提供しているわけではないにもかかわらず、この快挙を成し遂げている。
もっとも、ゴールデンシックスティは生涯にわたってシャティン競馬場のみで走り、ロマンチックウォリアーもこれまでの獲得賞金の85%を香港で稼いでいる。しかし、もし彼が土曜のサウジCを制すれば、その比率は大きく変わることになる。それはまた、香港競馬史に新たな1ページを刻む瞬間となるだろう。