オーストラリア競馬が強い理由、「競争社会」が生み出す進化の原動力に迫る
豪州出身のニューナム調教師は、香港競馬に「馬主との丁寧なコミュニケーション」を取り入れ、好評を博している。しかし、これは母国の競争社会が生み出した「当然のこと」だという。
オーストラリア競馬が強い理由、「競争社会」が生み出す進化の原動力に迫る
豪州出身のニューナム調教師は、香港競馬に「馬主との丁寧なコミュニケーション」を取り入れ、好評を博している。しかし、これは母国の競争社会が生み出した「当然のこと」だという。
2025 12 10ニューナム調教師は語る。私が香港でやっていることは、何も新しいことではない。豪州競馬で生き残るには当然のことだ、と。
オーストラリア出身、マーク・ニューナム調教師は、香港競馬界で早くも大きな存在感を示している。競馬場での成績も目を見張るものがあるが、彼の影響力が最も大きく表れているのは、馬主とのコミュニケーションの取り方だ。
ニューナムは毎週、担当馬の近況を複数回にわたって発信している。自ら解説を付けた短い編集動画や調教の報告、背景情報など、そうした近況報告がオーナーのスマートフォンに直接届く仕組みになっている。
香港では、こうした情報共有が「新鮮で、風通しの良い取り組みだ」と高く評価されている。
だが、ニューナム師自身は、自分がしているのは「オーストラリア競馬で成功している調教師なら誰も当たり前にやっていることなんです」と説明する。
「オーストラリア競馬では、オーナーと一年を通してコミュニケーションと透明性を保てなければ、オーナーをつなぎとめておくことはできません。それだけ競争が激しいんです」
ニューナムがこうした基準を学んだのは、シドニーのゲイ・ウォーターハウス厩舎だった。ウォーターハウスは、オーナーとの関係づくりを一変させた存在として知られる調教師だ。
この「コミュニケーションの文化」は、オーストラリア競馬では特別なことではなく、むしろ当たり前のことであり、オーストラリア競馬の根幹にある、より深い真実を映し出している。つまり、あらゆる場所に競争があり、その絶え間ないプレッシャーが産業全体のレベルを押し上げ続けているのだ。
「面倒見の良さ」は競争力
オーストラリア競馬は、人々の参加の上に成り立っている。登録された馬主の数は14万人以上にのぼり、世界でも有数の規模だ。人口およそ2700万人の国で、約191人に1人が1頭の馬の持分を持つ計算になる。競馬は一部の特権階級だけの娯楽ではなく、日常生活の一部なのだ。
これだけ多くの馬主がいれば、当然ながら期待の水準も高い。自分の馬がどこにいて、どのように調教を積み、今後どんなプランで使われるのか、人々はそれを知りたがる。そうした情報を、定期的かつ誠実に提供しない調教師は、すぐさま提供している調教師に後れを取ってしまう。
もはや「馬を扱う腕前が良い」だけでは不十分で、「プレゼン力」にも優れていなければならない。
だからこそ、ニューナム師のやり方は香港でも効果を発揮している。動画や詳細なレポートの仕組みを、アジア向けに特別に用意したのではない。オーナーに選択肢がいくつもあり、調教師同士がその支持を巡って絶えず競い合っている母国の環境で生き残るために培ってきたものだ。
その意味で、香港のオーナーたちは今、オーストラリアの馬主たちが当然のこととしてきた水準を経験し始めていると言える。

競争の源は多方面から
オーストラリア競馬の競争力は、まず賞金から始まる。1レースあたりの平均賞金はおよそ5万4000豪ドル(約550万円)に達しており、年間のレース数の多さを考えれば驚くべき数字だ。
さらにその上に、賞金総額100万豪ドル(約1億円)以上のレースが今や100競走を超えて存在し、平均すれば3日に1回のペースでどこかの競馬場で、いわゆる『ミリオンレース』が行われていることになる。
ジ・エベレスト、メルボルンカップ、ゴールデンイーグル、コックスプレート、コーフィールドカップ、ゴールデンスリッパーといった大レースが番組の頂点に位置しているが、その下の層も強力な賞金水準が支えている。
過去10年で、総賞金と1レースあたりの平均賞金はいずれも、主要な競馬国の中で最も速いペースで伸びてきた。その資金がオーナー、調教師、騎手、生産者に還元され、さらなる投資とレベルアップを促している。
重要なのは、こうした仕組みが一つの競馬場や一つの主催者に集中しているわけではないという点だ。各州がそれぞれ独自の番組と明確な野心を掲げている。中でもニューサウスウェールズ州とヴィクトリア州は互いを刺激し合い、新設重賞を打ち出し、開催を充実させ、施設を整備して、一流の馬と人材を惹きつけてきた。
その他の州も、自前のボーナス制度やプロモーション、新たなアイデアで応戦している。取り残されたい州など一つもない。
その熾烈さはセリ会場でも同じだ。1歳馬セールは国中で行われ、セール会社はより魅力的なカタログを編成し、購買者向けに充実したセール出身馬限定のシリーズ競走やボーナスを用意しようと競い合う。生産者は、こうした厳しい市場の中で一歩抜きん出る馬を送り出そうと努力を重ねる。
調教師もまた、狙ったタイミングで狙いの馬を確保しなければ、ライバルが一気に先行していくのをただ見ているしかなくなると理解している。
オーナーにとっては、この競争がむしろチャンスを生み出している。賞金は従来にも増して、より広い層の馬たちに行き渡るようになった。
ここ数シーズンで見れば、オーストラリアの現役馬のおよそ43頭に1頭が生涯獲得賞金50万豪ドル(約5000万円)超を稼いでおり、およそ132頭に1頭が100万豪ドル(約1億円)の大台に到達している。他の主要競馬国と比べても際立った数字だ。
スプリンターの国、そしてその先へ
世界の舞台で、オーストラリアは長らく『短距離王国』として知られてきた。
過去20年の大半のシーズンで、豪州産馬が世界最高レートのスプリンターに選ばれており、今季も世界で複数のG1スプリントを制した4頭のうち3頭がオーストラリア産だった。ゴールデンスリッパーやクールモアスタッドステークスのようなレースは、世界中の生産者がこぞって求めるトップクラスのスピードホースを、途切れることなく送り出してきた。
2025年はスプリント女王、アスフォーラの活躍、その評価を改めて裏付けた。ヨーロッパ遠征に打って出たアスフォーラは、カルティエ賞で欧州チャンピオンスプリンターに選出され、ブラックキャビア、スタースパングルドバナーに続き、このタイトルを手にした3頭目のオーストラリア産馬となった。
その成功は、オーストラリアの『スピード力』が世界最高峰の舞台でも通用し、勝ち切れることを改めて示した。
しかし、今のオーストラリア産馬は、もはや純粋なスピードだけの存在ではない。2025年シーズンには、ステイヤーとして歴史的なパフォーマンスも生まれた。24頭立てで行われたメルボルンカップで唯一の豪州生まれの出走馬だったハーフユアーズが、同じ年にコーフィールドカップとメルボルンカップを連勝したのだ。
オーストラリア産馬がこの有名なダブルを達成したのは1939年以来であり、メルボルンカップ自体も2年連続で豪州産馬の手に渡ったことになる。
こうした結果が示しているメッセージは明快だ。オーストラリアで育成され、オーストラリア式の調教・馬主システムのもとで鍛えられた馬たちは、日本や欧州をはじめとする世界の一流どころと、さまざまな距離で互角以上に渡り合う力を備えている。

オーストラリア競馬の原動力
現代のオーストラリア競馬を動かしている原動力は、実にシンプルな考え方だ。賞金が競争を生み、その競争がレベルアップを生み出し、そのレベルアップがさらに多くの人と資金を呼び込む。この好循環がいったん回り始めれば、止めるのは容易ではない。
このことはオーナーたちも肌で感じている。次のスター候補を巡る争奪戦は熾烈で、有望な1歳馬の出資枠はあっという間に売り切れてしまうことがあるからだ。
調教師もまた、そうしたオーナーを引きつけ、つなぎとめるために戦わなければならず、長い目で見れば、求められるのは単なる結果だけではない。信頼と明快なコミュニケーションを継続的に届けることが欠かせないのである。
このエネルギーには、一般のファンも組み込まれている。ジ・エベレストやメルボルンカップカーニバルのような一大イベントには、若い世代のファンが次々と足を運ぶ。彼らを惹きつけているのは、ショーとしての華やかさや会場の雰囲気、そして現代的でワクワクするイベントの一部になれるという感覚だ。
新しいファンが流入する以上、競馬側もその期待に応えるために、進化を止めるわけにはいかない。
こうした絶え間ない前進への圧力こそが、オーストラリア競馬が今や世界の『トップ100・G1競走』の開催数で他国を上回る理由であり、豪州生まれの馬が国内外で成功を収め続けている理由でもある。
そしてそれこそが、香港、日本、欧州、中東のオーナーや投資家たちが次の一手を考えるとき、オーストラリアにより強く目を向けるようになっている背景でもある。
未来を見据えて
オーストラリア競馬が機能しているのは、決して立ち止まらないからだ。競争は産業の隅々にまで浸透している。州境を越え、セリ会社の間で、生産牧場の馬房から、調教師や厩舎スタッフの日々の業務に至るまで、あらゆる場所に競争がある。
その結果として、オーストラリアには、層が厚く、打たれ強い競馬の仕組みが築かれた。高い賞金水準、遠征しても戦える馬づくり、そして馬主を長期的なパートナーとして扱う文化だ。
マーク・ニューナム師の香港での経験は、その一つの小さな例にすぎない。彼が持ち込んだ基準は、目新しさや奇抜さを狙ったものではなく、あくまで母国で生き残るために身につけざるを得なかった“習慣”なのだ。
ハーフユアーズとアスフォーラは、まったく違うタイプの馬でありながら、その環境が何を生み出し得るのかを体現してみせた。1年でコーフィールドカップとメルボルンカップを制するだけのタフさを備えたステイヤーと、ヨーロッパでG1スプリントを勝ち切る鋭さを持ったスプリンター。
この二頭は、日本や欧州など、各国の厳しいシステムをくぐり抜けてきた多くのチャンピオンたちと肩を並べる存在になっている。
世界のオーナーや生産者にとって、オーストラリアはそうした伝統に取って代わる存在ではない。あくまで新たな選択肢の一つである。競争力のある開かれた市場、規模が大きく熱心な馬主層、そして海外からの投資家とのパートナーシップを歓迎する産業。
ある人にとっては第二の拠点として機能し、別の人にとっては血統のバランスを取り、所有馬や生産拠点の構成を整えて多様化を図る手段となり得る。
そういう意味で、オーストラリアはグローバルなこのスポーツにおける「もう一つの道」にすぎないとも言える。強い競争があり、オーナーとのコミュニケーションが最優先され、新しいアイデアが歓迎される場所。
そして海外からやって来る人々が、それぞれの経験と強みを持ち寄り、ともに次の章を書き加えていくことのできる場所なのである。