2024年の日本ダービー。まだ興奮冷めやらぬレース直後、安田翔伍調教師はダノンデサイルと共に挙げたこの殊勲の勝利が、自身のキャリアにとってどのような意味合いがあるのか考える機会があった。
「それが自分のキャリアにとってどのような意味があるのか、まだ分かりません」当時周りの関係者から祝福の声が飛び交う中で、マスコミの囲み取材に対してそう話した。
それから6週間後、その答えは目に見える形で現れた。白樺や樫の木が生い茂るノーザンホースパーク、彼はそこで日本競馬界を代表する大物たちと共にテーブルを囲んでいた。彼の携帯電話が鳴った瞬間、ダービートレーナーの慌ただしさが垣間見える。それを受け取ると、まるでロードカナロアのような猛ダッシュでセリ場へと走って行った。
10分後、彼が戻ってきた。著名な馬主からの電話だったようで、このセールの注目馬が壇上に上がったという内容のものだった。セリはもう始まっていたのだ。
「アンダービッターでした」
テーブルに戻ってきた安田翔伍調教師は、苦笑いを浮かべながらそう話す。しかし、この表情からはまた別の良い1歳馬や当歳馬を手に入れる機会があるだろうという、余裕も窺えるものだった。晴れて『ダービーウィナー』となった今、安田調教師はリラックスした様子で話を続ける。
「祝福のされ方は、ダービーを勝ったことによるものだという違いは感じました」
ダービー後に記者から聞かれた内容と同じ質問、周囲の見る目は変わったのかと尋ねると、このような答えが返ってきた。
ダービーまでの道程
ダノンデサイルが制した日本ダービー、この勝利の背景にあるストーリーは素晴らしいものがあった。41歳の安田翔伍調教師にとってのクラシック初制覇、55歳の横山典弘騎手にとってはJRAの最年長G1制覇、キャリアの対極にある2人の偉業が同時に達成された。


そして、ここに至るまでの英断も知られている。ダノンデサイルは前走、G1・皐月賞を走ることができなかった。発走直前のゲート裏、鞍上の横山典弘騎手は歩様に違和感を覚え、出走取消を進言した。これにより、ダービーには4ヶ月以上ぶりの休み明け、ぶっつけ本番で挑むことになった。
「出走取消は、馬の長い競争生活の中で、そこまで重要なことだとは考えていません」と当時の決断を振り返る。
「あの馬にはもっと成長した明るい未来が想像できるので、あの判断をしてくれたジョッキーにはすごく感謝しています」
日本競馬で長期の休養を挟んだ馬が休み明けでG1に挑むことは珍しくなく、その跛行の原因となった異変も深刻な怪我ではなかった。しかし、予定外の休養を強いられたことは、大事な調整過程の中で大きな問題として浮上した。
「レースによっての疲れはなかったんですけど、レースに使った負荷っていうのが掛からなかったので、それをダービーまで調教だけで仕上げなければいけない難しさはありました。調教のメニューを考えるのは全然難しいことではないんですが、それに対して精神状態がどれだけ乱れずに行けるかっていうのがすごく難しかったです」
「ダノンデサイルは元々良くも悪くもすごく幼い感じで、気持ちにゆとりもあります。ですが、トレーニングになるとこの馬らしくない、競走馬らしいハイテンションな仕草を見せてくる一面があります。まだ体が弱い中で心だけアグレッシブになってるので、動きも乱れるんですよね」

ロードカナロアの存在
ダービーを勝つ前、安田翔伍調教師の海外での触れ込みは、ロードカナロアを育てた安田隆行調教師の息子というものだった。父の厩舎をスタッフとして支えただけでなく、香港遠征にも調教助手として帯同していた。
香港国際競走に向けての調教風景はユニークな光景だ。世界中の馬たちが一堂に会し、毎朝強い日差しの中で調教に励む。
2012年と2013年の香港スプリント直前、ロードカナロアのシャティン競馬場での追い切りは今でも語り草となっている。当時はTwitter上の競馬コミュニティも黎明期だったが、それを通じて現場にいた人よりも多くの人間がその走りを目撃した。
2013年、水曜日に行われた追い切り映像では、青い迷彩柄のジャケットを着た安田翔伍助手の様子もバッチリ映っている。この筋骨隆々なスプリンターはシャティンの芝コースを伸び伸びと駆け抜け、ラスト400mを20.4秒、ラスト200mは10.3秒というタイムを記録。ちょうど真上を旅客機が通過したのだが、ジェット機の音はその走りに相応しいものだった。
しかし、2012年のレース前夜に行われた最終追い切りはさらに印象的だった。ロードカナロアはすでに追い切りを消化、現地のトラックマンを驚かせる時計を叩き出していたが、レースの24時間前に再びコース上に現れた。
単走でもう一度追い切りを行うと、前回の時計を上回る走破時計を記録。異例の調整過程とタイムは記者たちを驚かせたが、それと同時に本番では『お釣りがない』と見る声も高まっていた。
「ロードカナロアはあの時いわゆる戦闘モード、競馬の気持ちになってなかったんです」
「元々、あのような調教の予定はなかったんです。このままじゃちょっと競馬に対応できないなと思って。馬に乗ったとき馬が眠そうだったので、『おい起きろ!』っていう感じで追い切りました」
中には、ロードカナロアのようなチャンピオン級の馬に携わった経験が重要だと語る人もいる。将来、厩舎でそのような馬を預かるときに扱い方に困らないからだ。安田翔伍調教師はそれも間違いではないとしつつも、『フェラーリみたいな』と評するロードカナロアの調整過程を全ての馬に押しつけるつもりはないと話す。
「ロードカナロア含めそういう名馬に乗ったことで、良い背中やいい走りっていうのは体験できましたけど、レースに行くまでの過程は、各馬の精神状態や馬体はそれぞれ違うので」
「(ロードカナロアの経験を)まったくコピーしようとも思わないです。その馬だけに向き合って接しています。カナロアとかに乗ったことで今得られたのは、『この馬は将来が楽しみな走り方してるな』っていう手応えです。それを感じることはできるけど、かといって同じ過程でレースを目指してはいないです」


馬への愛情
SNSで安田翔伍厩舎をフォローしている人なら、彼が馬を愛し、型破りなアプローチで愛馬に接していることをご存じのはずだ。また、レース前後に見られる愛馬への愛情表現も競馬ファンの間ではよく知られている。
「調教師は馬のチェックと調教だけじゃなく、馬とのフレンドリーな時間もすごく大事にしてるんだよっていうのを知ってほしいという思いはあります」と、SNSでの積極的な発信について語る。
調教師として誰から影響を受けたのか、この質問に対する答えからは2つの意味合いで受け取れる。一つは、安田隆行調教師の息子ではなく一人の調教師として自身が成り立っていること。もう一つは、馬と一対一で接する時間を何よりも大切にしていることだ。
「人間ではないです。全部馬(から学んだこと)です」
「時間は独立前と同じぐらい確保できるので、乗る、触る、チェックするはもちろんなんですけど、じゃれ合うっていうのも大事にしています。噛んでくるのもいいし、馬がどれぐらい怒るのか、触って馬の精神状態を見てコミュニケーションを取ります。普段怒らない馬が噛みついてきたら、ちょっとコンディションが優れないんだなっていうのも分かります」
「馬が大好きなんですね。調教師という職業以前に、馬を触るのは昔から好きで」
朝イチミーティング。#キングオブコージ #ぜーんぜん聴く気無し pic.twitter.com/WQtl9f69Vw
— 安田翔伍/SHOGO YASUDA (@shogo_y_stable) July 27, 2021
元は騎手を目指していたが、背が伸びすぎたため夢を諦めた。今でも日々の調教では馬に跨がっていると言うが、機会は以前と比べて限られる。ダービートレーナーとして、人生が変わったこともその理由の一つだ。
今でも馬に乗ることを楽しんでいるかと尋ねられると、「もちろん」と答える。
「もちろん、今でも楽しんでます。調教助手の時は、良い競走馬に矯正するため危ない馬にも乗っていたけど、今は安全な馬に乗ってます」と彼は話し、「乗るのはフェラーリだけですね!」と会話の中で笑みがこぼれた。
安田翔伍調教師のキャリアは将来有望だ。これから先、『フェラーリ』を試乗する機会は満ちあふれている。