首位を走る元アシスタントトレーナーのピエール・ン調教師との差は、残り5レースの段階で3勝差。初のチャンピオンタイトルは幻に消えたかと思われたフランシス・ルイ調教師だったが、この日荒れ模様だったシャティン競馬場の天気のように、最終盤で大荒れの展開を見せた。
透き通るような青空、蒸し暑い気温、かと思えば突然の雨と雷鳴が轟くという、変化の激しい一日だったが、まさにシーズン最終日に相応しい雰囲気を作り出していた。
7度目のリーディングジョッキーに輝いたザック・パートン騎手は、この日まさに台風の目と言える活躍だった。ルイ厩舎の馬で大暴れを見せ、この大逆転劇の立役者となったのだ。
大逆転のクライマックス
「エキサイティングな一日でした。観客のみんなも勝負の行方に釘付けだったと思います」
そう語るパートンは、7レースからルイ厩舎の馬で3連勝し、残り2レースを残した段階でルイ調教師を69勝の首位タイに押し上げた。10レースではルイ厩舎の馬が2着に入り、同数の場合は勝敗の決め手となる2着数の差でもルイ調教師がリード。
最終レースでヒュー・ボウマン騎手がルイ厩舎のパッチオブシータ(Patch Of Theta)を勝利に導き、長いシーズンの結末は70勝対69勝でルイ調教師に軍配が上がった。
香港ジョッキークラブのCEO、ウインフリート・エンゲルブレヒト=ブレスゲス氏はIdol Horseの取材に対し、以下のように答えた。
「これぞ最高のスポーツというものです。香港競馬は最高のショーです」
この日の3万人を超える観衆は、ナイター開催としては異例の記録で、前週のハッピーバレー開催でほぼ満員の1万7000人が集まった際の記録を上回った。
香港ジョッキークラブは競馬が香港でナンバーワンのスポーツであること、文化的な魅力、そして財源的にも政府に大きく貢献していることを幅広く認知してもらうべく、広報活動に力を入れている。
しかし、この日起こった筋書きのないドラマは、多額の資金を投じたマーケティング以上に競馬の魅力を伝えていたのかもしれない。コース上で起こるドラマが競馬をより面白いものとし、舞台裏の出来事がそれに意味を持たせるのだ。
香港競馬の新時代
シーズン最終日のドラマを完全に説明するには、金曜日に行われたシーズンを通して活躍した騎手・調教師・競走馬を表彰するチャンピオンアワードに遡る必要があるかもしれない。
この表彰式は伝統的に厳かな雰囲気で行われるが、この日は少し違った。ダニー・シャム調教師が広東語で行った熱いスピーチは、出席した香港の人々を熱狂させた。
コックスプレートや安田記念を勝利し、年度代表馬を受賞したロマンチックウォリアーの授賞式に登壇したシャムは、香港競馬界に訪れる変化の兆しについて言及。師匠のアイヴァン・アラン元調教師の教えを『継承』していると言い、香港出身の地元調教師が活躍できる時代になったことを強調した。
「中国人でも海外で勝てるんです。地元出身の調教師や中国人でも対等に勝てるし、海外遠征だってできる時代なんです。私たちは香港競馬に栄光をもたらし、成し遂げることだってできるんです」
香港人調教師の管理馬が4年連続で年度代表馬を受賞しただけでなく、地元出身の調教師も年度表彰のタイトルを次々と獲得していった。
最優秀短距離馬(カリフォルニアスパングル・クルーズ厩舎)、最優秀マイラー(ゴールデンシックスティ・ルイ厩舎)、最優秀長距離馬(ファイブジーパッチ・クルーズ厩舎)、最優秀4歳馬(ギャラクシーパッチ・ン厩舎)は、全て香港で生まれ育った地元調教師の管理馬に贈られた。
厩舎開業2年目のピエール・ン調教師と、キャリア28年の殆どを中堅トレーナーとして過ごした苦労人のフランシス・ルイ調教師。この2人のような地元調教師がタイトルを争うこと自体にはもはや驚きはないが、これは過去10年間で起こった香港競馬の重要な変化を表している。
2012/2013シーズンの最終日、地元出身のデニス・イップ調教師がトニー・クルーズ調教師以外では18年ぶりとなるタイトルを獲得したとき、多くの人は奇跡が起きたと受け止めていた。しかし、よく考えてみれば、これはこの先待っている変化の前兆だった。
今では地元調教師もリスペクトされており、フランキー・ロー調教師(2021/2022)や、リッキー・イウ調教師(2022/2023)がチャンピオントレーナーのタイトルを獲得している。中国人調教師の手腕も認められ、対等な扱いを受けている。
今年の調教師リーディングはその象徴だ。上位5位は地元出身の調教師で占められ、かつて上位厩舎の常連だったキャスパー・ファウンズ調教師、ジョン・サイズ調教師、デヴィッド・ヘイズ調教師は蚊帳の外となっている。
65歳のルイ調教師は、その温かみ溢れる性格と人当たりの良さで知られ、競馬界の中では最も人気がある調教師かもしれない。最終日に挙げた4勝は、いずれも将来有望な香港デビュー馬によるもので、彼らが今後数シーズンに渡って厩舎を支えることは間違いない。
初のチャンピオントレーナーの座をあと一歩で逃したピエール・ン調教師だが、彼はまだ42歳の若さながら卓越した手腕を持っている。チャンピオントレーナーのトロフィーを手にするのは、時間の問題だ。
パートンの存在
地元調教師の台頭が話題になる中、騎手の世界でも変化の兆しが見られた。
シャム調教師のスピーチで盛り上がりを見せたチャンピオンアワードだが、この日パートンは姿を見せなかった。歴史に残る名ジョッキーと言える彼の代わりに、オーストラリアからジェームズ・マクドナルド騎手が駆けつけた。
パートンにとってシーズン最終日は、1レース目ではなくその前の裁決室から始まった。水曜日のハッピーバレー開催での追う動作を見せなかった騎乗について調査が行われたが、この日の審議で不正の疑いは晴れた。
この影響もあったのか、金曜日の表彰式に彼の姿はなく、マクドナルドが代わりに招待された。この日司会を務めたIdol Horseのアンドリュー・ルジューン氏は、インタビューで彼に対して、香港競馬は移籍先として魅力的なのではないかと問いかけた。
観衆も歓声と拍手で応える中、マクドナルドは笑みを浮かべながらその質問を巧妙に交わした。
「聞かれるとは思ってましたよ。12月、またここに来ます」
パートンの後継者を探す香港ジョッキークラブにとって、チャンピオンアワードは絶好のアピール機会だった。土曜日には『J-Mac』と妻のケイトリンさんをカメラクルーと共に香港の街に連れ出し、スターフェリーに乗ったり、点心を味わったり、インスタ映えする観光スポットを訪れたりして、2人をロマンチックにもてなしていた。
その翌日、日曜日のシャティン競馬場ではマクドナルド夫妻が香港を楽しむ映像が流れた後、パドックに集まった観客にぬいぐるみを投げ入れるファンサービスが行われた。人気歌手のレイモンド・ラムのパフォーマンスに合わせて、ロマンチックウォリアーのぬいぐるみをプレゼントしていた。
海外のファンは驚くかもしれないが、パートンは決して地元ファンから熱烈に歓迎されているわけではない。日曜日の表彰式、自身7度目となるリーディングジョッキーのトロフィーを受け取ったとき、そこには観客の冷ややかな反応が待っていた。
後日調査が行われた水曜日の事件もあって、SNS上では『潘頓(広東語での読みはパンドン)』に対するバッシングが過熱。その数日後に行われた表彰式では、ブーイングが飛び交っていた。
しかし、香港の競馬ファン全員を納得させるのは非常に難しい。パートンはこの日圧倒的な人気馬4頭を含む6勝を挙げる大活躍を見せたが、観客からブーイングを浴びたのは彼だけではなかった。
そして、トップジョッキーにとっては宿命でもある。ジョアン・モレイラ騎手も例に漏れず、三冠馬のラッパードラゴンがレース中に予後不良になった際も激しいブーイングを受けた。また、ダグラス・ホワイト騎手も年齢と共に腕が衰えるにつれて、観客からヤジを浴びせられることが増えた。
マクドナルドもいつか香港に来ることになったら、ぬいぐるみをプレゼントしたときのファンからの反応と、人気馬に乗ったときのファンの反応は違うことを身を以て実感することになるかもしれない。
パートンはマクドナルドに注目が移ったことに気を悪くしたのか、裁決委員の調査に向けて何か備える必要があったのか。金曜日の欠席理由については「仕事があった」と説明しただけで特に言及せず、その後のコメントも控えめだった。
「難しいことも多かったですが、充実したシーズンを締めくくる素晴らしい一日でした。最終日を6勝で締めくくることができて嬉しかったですし、ピエールとフランシスの両方に関わり、リーディングの後押しができて良かったです。両方の調教師のために良い結果を出すというのは、プレッシャーもかかる大変な戦いでしたが、私の仕事はどんな馬でも最高のチャンスを可能な限り引き出すことです」
全体を通して、パートンが依然として香港競馬の王に君臨していることを象徴するような一日だった。そして、周囲の雑音を遮断し、プレッシャーがかかる中でも高いパフォーマンスを発揮する力は、ライバルとは比べものにならない。
香港競馬の未来
観客の中でも、そして香港ジョッキークラブの戦略においても、時代は変化しつつある。
今シーズンの馬券売上は落ち込み、香港競馬の売上は前年比で5.7%減少した。しかし、海外馬券発売の成長と、急速に拡大しつつあるワールドプール(World Pool)は確かな前進だった。
そして、さらなる拡大も視野に入る。中国本土の広東省にある従化競馬場(従化トレーニングセンター)では、競馬開催の増加が現実味を帯びているという。
エンゲルブレヒト=ブレスゲスCEOは、香港ジョッキークラブには60社を超える海外の商業パートナーがおり、日曜日のシャティン開催では中国本土から6000人を超える観光客が集まったことを紹介した。
「我々は中国旅行社(CTS)とも提携を結んでいます。中国最大の国営旅行会社であるCTSの協力によって、多くの観光客獲得が見込めます。競馬は香港の文化とエンターテイメントの中心であり、この国の観光の中心です」
「我々はここでエンターテイメントを創造するビジョンがありますが、それは賭博に限ったことではありません」
その点、日曜日のフィナーレはそれを象徴する出来事だった。香港競馬の長い歴史に、また新たな1ページが刻まれた瞬間でもあった。