ナイツチョイスが馬群の間を掻い潜り、人気薄ながらメルボルンカップで番狂わせを起こしたとき、パディ・スコット氏はただ呆然とするしかなかった。
「心底落胆しました」と、馬の放牧先となる休養牧場を営むスコット氏は話す。「この世には正義も無ければ、罰が当たるなんて嘘だなと。只々、不公平感しかありませんでした」
この日のレースで起きていたことは、本来ならばオーストラリア競馬を代表するようなシンデレラストーリーとして、映画化してもおかしくない物語だった。大金を積んでヨーロッパから輸入してきた馬を、今となっては少数派のオーストラリア産が91倍という人気薄で打ち負かしたのだ。
さらに、鞍上はリアリティ番組で歌手として名を馳せたアイルランド出身のドーラン騎手、トレーナーは23年前に女性初のメルボルンカップ制覇を成し遂げたシーラ・ラクソン調教師と、絵になる役者が続くのだから。
しかし、何万人もの人々がフレミントンで起きたドラマを目撃した一方で、シーラ・ラクソン調教師が今度はジョン・シモンズ調教師と手を組み、メルボルンカップを手にしたことに驚きを隠せない人々も少数ながら存在した。その一人が、スコットだった。
彼はかつて、ヴィクトリア州の片田舎で牧場を経営しており、ラクソンとシモンズはそこを管理馬の放牧先として利用していた。もっとも、それは特別な関係ではなく、一般的な顧客と同じように利用していただけだったという。
スコットと彼の家族は自身が営むスプリングバンクファームで預託馬の世話をし、2年間の間で100頭以上に上る馬を預かっていた。そして、預託料の請求先にこの2人の名前があった。
「最初はオーナーたちに直接請求書を送っていたのですが、(ラクソンとシモンズも)持ち分があるオーナーの一人だったわけです」とスコットは説明する。「彼らが自身の預託料を支払わないまま1年間の時が過ぎ、その額は次第に膨れ上がっていきました」
「ジョン(・シモンズ)のことは10代の頃から知っており、当初は本気で警戒していたわけではなかったんです。ただ、その対応が遅すぎた。その後、向こう側の提案で請求書を馬主ではなく厩舎(ラクソン & シモンズ厩舎)に回すことになりました。そうすれば、馬主宛にするよりも先に支払いができるからという理由でした。ただし、支払いはありませんでした」
「全くもって、納得できない話です」
結局、スコットは後にメルボルンカップの顔とも言える存在となるラクソンとシモンズに対し、法的措置を取る対応を余儀なくされた。
この裁判では、厩舎スタッフがラクソンから『スプリングバンクファームからは請求書を受け取っていない』という旨の証言をするように求められ、それを拒否して辞職したという証言もあった。裁判の中で、その元スタッフは「請求書は受け取っていた」と実情を明かしている。
結果、スプリングバンクファームはラクソン & シモンズ厩舎との和解に応じたが、スコット曰く実際に支払われるべき金額より、8万豪ドルから9万豪ドルも少ない和解金に留まったという。シモンズはIdol Horseの取材に対し、当時ヴィクトリア州で利用していた牧場に対する未払いはないと強く否定する。
「牧場にとっては大きな痛手でした」とスコットは打ち明ける。
「今は牛の放牧がメインなのですが、この一件が競走馬の預託から手を引く一因となりました。今は自分で持っている馬を何頭か走らせているだけで、余所から馬を預かることはしていないんですよ」
「正義っていうものを信じられなくなる事件でした」

Idol Horseは今回の件を取材するにあたり、ラクソンとシモンズの厩舎がヴィクトリア州で活動していた当時の関係者10名以上に話を聞き、その多くは匿名を条件に協力してくれた。メルボルンカップを巡っては、調教師に支払われる優勝賞金が振り込まれていないという主催者側の手続きミスが発生しており、事態をより複雑化させている。
ラクソンとシモンズの2人は最近、メルボルンカップの賞金46万4000ドルが誤った口座に振り込まれたとして、取材者のレーシング・ヴィクトリアに対する訴訟に踏み切っている。彼らの主張によると、振り込まれた口座は2人がアクセスできない銀行口座だったという。
一方、レーシング・ヴィクトリアはラクソン & シモンズ厩舎として登録されている最新の銀行口座だったとして、争う姿勢を見せている。
その口座は『エスプリ・レーシング(Esprit Racing)』という会社が保有しており、10年前に2人の厩舎が破産申請を行ったとき、彼らの雇用者として記録されていたのはこの企業だった。
しかし、過去の経緯からこの2人に不信感を抱く人は少なくない。ナイツチョイスがメルボルンカップを先頭で駆け抜けたとき、関係者が集まるWhatsAppのグループ内では落胆の声が飛び交ったという。
「借金の取り立ては引っ切りなしにやってきたそうですが、シーラ(ラクソン)は上手く交わしていたようです」と、セイモアに厩舎を構えていた時代を知る人物は振り返る。
匿名を希望する別のヴィクトリア州の業者は、支払いの滞納で何度も悩まされていたと話すが、それでもメルボルンカップを勝ったときは「嬉しかった」と打ち明ける。
「ジョン・シモンズというより、シーラの方が滞納でよく揉める傾向にありました。問い合わせは来るのですが、結局そのままで。それでもきちんと払ってくれる顧客がいたので、そういうのがあっても商売はなんとか成り立ちました」
「とはいえ、私たちのスタッフにも丁寧に接してくれましたし、メルボルンカップを勝ったこと自体は喜ばしいことなのではないでしょうか」
一方、この記事のために取材した他のヴィクトリア州の関係者は、最終的には数ヶ月間の交渉を経て全額支払われたと話す。
シモンズ調教師はこの件について問われると、ヴィクトリア州時代に関わっていた獣医師や装蹄師、飼料業者も含めた全員に対して、「今はきちんと支払いを済ませた」と主張する。
とはいえ、2001年にエセリアルでコーフィールドカップとメルボルンカップを連勝し、オーストラリアを代表するレースで成功を収めたラクソン調教師に対しては、今もなお悪い印象を抱いている人は多い。
シモンズとラクソンの2人が拠点をクイーンズランド州に移し、エスプリ・レーシングの従業員という形式で調教師の仕事を始めるようになった経緯は非常に長く、複雑なものがある。
この2人とは古い仲のフランク・バトラー氏は2014年、競り会社への支払いが遅れていること、さらに購入した競走馬の共有馬主募集に不備があったことを理由に、ヴィクトリア州の裁判所に2人を提訴している。そして、州の最高裁判所で勝訴した。
この件についてIdol Horseの取材を受けたバトラー氏は、次のように語っている。
「過去の出来事を掘り起こすつもりはないですが、この問題を解決するには裁判に持ち込むしか方法がなかったんです。このような経験は他の誰にも味わってほしくないものですね」
しかし、別の情報筋によると、2人は判決が下った後に破産を申請したことで、バトラー氏は本来支払われるべき100万豪ドルを超える訴訟費用を負担したままだという。
シモンズはこの件について、「(バトラー氏の訴訟費用以外は)破産申請を出す前にすべて円満に和解しています」と説明している。「私のもとに借金はないと断言できます。スプリングバンクファームへの支払いも済ませ、和解済みです。もし何かしらの借金があったら、調教師ライセンスは取得できなかったと思います」
取材に応じてくれた複数の関係者は、「2人は二度とヴィクトリア州で調教師ライセンスを取得できないのではないか」と考えていたと明かす。しかし、実際は条件付きで1年間延長され、その後クイーンズランド州に移っていった。シモンズ曰く、元々はクイーンズランドにサテライト厩舎を構える予定だったという。
クイーンズランド州の競馬統括委員会は当初、2人のライセンス申請を却下したが、2016年の控訴審でラクソンとシモンズ側が勝訴。ただし、「エスプリ・レーシングから雇用される形で調教活動を行い、事業の財務面には関与しないこと」をその条件として科された。
エスプリ・レーシングは当時、XOアカウンティングのマネージングディレクターを務めるマイケル・カービー氏が株式の100%を所有しており、同社が財務部門の管理を担当していた。
長らく、両者の関係に問題はなかったかのように見えた。
2021年、ゴールドコーストでマジックミリオンズ社のセールが行われた際には、シモンズとカービーが共同で1歳馬を購入している。真夏の熱い太陽の下、16万2500豪ドルを費やして2頭の牡馬と1頭の牝馬を購入した。そのうちの1頭、8万5000豪ドルで購入されたエクストリームチョイス産駒の牡馬こそが、後に競馬界に衝撃を走らせることになるナイツチョイスだった。

シモンズは「私は代理人として参加したのみで、馬主はエスプリ・レーシング。カービー氏の名前が購買者に表示されたのはそういう理由です」と説明する。
しかし、2021年のセール以降、両者の関係は何らかの理由で悪化した模様だ。カービーはその後、購買者の欄に名前が載ることはなくなり、2023年の初頭にはシモンズとラクソンが自らの会社『Symons Laxon Racing Pty Ltd』を設立した。
こうなると気になるのは、この2人がなぜ会社の財務管理に再び携われるようになった理由だ。
クイーンズランド州の競馬統括委員会は2023年の3月、ラクソンの調教師ライセンスに科されていた条件を解除していた。2人が破産申請を出してからほぼ10年後、自らの会社が設立されてからはわずか1ヶ月後のことだった。
「2016年から2023年まで、シーラ・ラクソン氏とジョン・シモンズ氏の両名は条件付きで調教師ライセンスを発行されていました。2023年3月、2016年当時に下された条件を撤廃する判断が下されました」と、同委員会はリリースの中で述べている。
時期を同じくして、両氏は賞金の振込先を自分たちの新しい口座に変更するよう、クイーンズランド州のサンシャインコーストで手続きを行っていた。メルボルンカップの賞金についてのトラブルは、レーシング・ヴィクトリアがその情報を確認しなかったことが発端だ。
2人は鞍上のロビー・ドーラン騎手やナイツチョイスの新しいオーナーたちにはきちんと賞金が振り込まれているのを見て、トラブルに気がついたという。その間違った振込先というのが、あのエスプリ・レーシングだった。
法人としてのエスプリ・レーシングは2月初旬に清算されているが、その時点で唯一の取締役兼株主として記載されていたのは、82歳のジュディス・サトクリフ氏。シモンズの説明によると、彼女はカービーの母親であり、マイケル・カービー氏自身は数年前から株式を手放し、取締役としての活動も実質的に行っていなかったとされる。
ある書類には、エスプリ・レーシングに対し、ラクソンとシモンズの両名は56万9875豪ドルの借金を抱えていると記載されている。しかし、シモンズはIdol Horseの取材に対してこれを否定。むしろ、2万6000豪ドルを厩舎側が貸していると主張している。
同社の管財人にはJirsch Sutherland Insolvency Solutions社のマルコム・ハウエル氏が任命されており、同氏にもコメントを求めたが回答は得られなかった。
また、エスプリ・レーシングの最新の書類では、2人が設立した新会社のシモンズ・ラクソン・レーシングが1万豪ドルの無担保債権者として記載されている。さらに、エスプリ社はオーストラリア税務局に対しても、10万ドルの借金を背負っている。
メルボルンカップの賞金の行方について、レーシング・ヴィクトリア側は「最新の登録口座」に対して支払っただけだとして、裁判で争う姿勢を見せている。
「レーシング・ヴィクトリアとしては、ラクソン氏とシモンズ氏が以前使用していた口座へと送金されてしまった問題について、解決に向けて可能な限り努力して参ります」と、同機構はリリースの中で述べている。
実は、ナイツチョイスと僚馬のミッションオブラヴはメルボルンカップの1ヶ月前、ヴィクトリア州のレースで出走する機会があった。当時、獲得した賞金はごく僅かだったが全額誤った口座へと振り込まれており、レーシング・ヴィクトリア側はその際に指摘されなかったと主張している。
だが、矛盾点もある。シモンズは調教師であると同時にミッションオブラヴの共有馬主でもあり、同馬が獲得した賞金のうち、馬主としての取り分はきちんと厩舎の口座に振り込まれたというのだ。それなのにメルボルンカップの賞金、人生を変えるような大金は誤送金されてしまった。
「私とシーラ(ラクソン調教師)にとって、せっかくの喜びが台無しになってしまいました」とシモンズは話す。「この問題が悩ましいだけでなく、何が起きたのかについて誤解も招いています。この10年間で築き上げてきた信頼が、誤解のせいで壊されてしまう危機にあります」
渦中のカービー氏にも、エスプリ・レーシングとの関係性、ラクソンとシモンズの厩舎との金銭的なやり取りについて尋ねたが、質問に対する回答はなかった。また、ジュディス・サトクリフ氏とはコンタクトが取れなかった。