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フランキー・デットーリこと、ランフランコ・デットーリは世界最高峰の騎手と言っても過言ではない存在だ。

1990年代から2000年代にかけての全盛期は、まさに無敵の存在。逃げればレースを支配し、差しならば巧みに追い詰め、馬群の間を縫うように上がってきたり、相手を出し抜く好騎乗を見せていた。追い出しのタイミングも抜群で、接戦を制する強さとテンポを持ち合わせていた。

今では歳を重ねてかつてのような全盛期ではないかもしれないが、それでも名騎手なのは疑いの余地がない。彼の体内時計に狂いはなく、何十年にも渡って第一線で活躍してきたその経験は、ベテランとなって新たな領域に突入しつつある。引退するその日まで、最高の騎手であり続けることは間違いないだろう。 

Jockey Frankie Dettori

フランキーという愛称で親しまれるランフランコ・デットーリは、1970年にイタリア・ミラノで生まれた。父親はイタリアで13回もリーディング騎手に輝いた、ジャンフランコ・デットーリだ。現役時代、イギリスのヘンリー・セシル調教師とコンビを組み、1975年と1976年の英2000ギニーを連覇している。

フランキーは15歳でイギリスに移住し、競馬の中心地ニューマーケットのルカ・クマーニ調教師の元で見習い騎手としてのキャリアをスタートさせた。1990年、19歳の若さでシーズン100勝を達成、これはレスター・ピゴット騎手以来となる記録だった。その後、ジョン・ゴスデン調教師と専属契約を結び、1994年にはドバイのモハメド殿下が創設したゴドルフィンの主戦騎手となった。

Jockey Frankie Dettori

イギリスのチャンピオンジョッキーの座に就くこと3回、世界中でG1レースを勝ちまくっているデットーリだが、最大の偉業は『マグニフィセント・セブン』で間違いない。

1996年9月28日のアスコット競馬場、その日の全7レースに騎乗したデットーリは7戦全てに勝った。その中にはG1・クイーンエリザベス2世Sも含まれており、マークオブエスティームで名牝ボスラシャムを撃破している。

Jockey Frankie Dettori

デットーリはキャリアを通じて数多くの名馬と出会ってきたが、イギリスのチャンピオンステイヤー・ストラディバリウス、短距離女王のロックソングは人気のあった有名な愛馬だ。

仮に、10年前にこの質問を聞かれたとしたら、ドバイミレニアムの名前を挙げるかもしれない。しかし、それから24年も時が経っていることを考えると、凱旋門賞を連覇したエネイブルが若い人には馴染みのある存在と言えるだろう。

Dubai Millenium and Frankie Dettori

デットーリは20世紀半ばから現在にかけて、世代を跨いで多くの騎手とバトルを繰り広げてきた。そのため、最大のライバルを一人に絞ることは至難の業だ。若手時代はまだレスター・ピゴット騎手も現役を続けており、パット・エデリー騎手、スティーヴ・コーセン騎手、ウィリー・カーソン騎手といった名だたるレジェンドと戦っていた。それより後の時代になると、ミック・キネーン騎手、ジョニー・ムルタ騎手、ライアン・ムーア騎手のようなライバルが出現してくる。

ゴドルフィンの主戦騎手として全盛期の活躍を見せていた90年代後半から200年代前半に絞ると、キーレン・ファロン騎手が最大の敵だったと言えるかもしれない。ファロンはニューマーケットの重鎮、ヘンリー・セシル調教師やサー・マイケル・スタウト調教師の主戦騎手として大活躍し、その後はゴドルフィンのライバルとして知られるクールモアの主戦騎手を任された。その期間を通じて、デットーリとファロンは何度もビッグレースで対決している。

デットーリをスポーツチームに例えるなら、NBAのロサンゼルス・レイカーズがピッタリだろう。

LAレイカーズはスポーツの枠を超えてその名を轟かせるチームであり、それは長年の活躍の上に成り立っている。レイカーズはマジック・ジョンソン、シャキール・オニール、コービー・ブライアント、そしてレブロン・ジェームズといった大物プレイヤーを長年に渡ってチームの顔に据えているが、デットーリも同じくらい長い期間『競馬界の顔』として君臨している。

もっとも、デットーリの存在はレイカーズ同様に、スポーツの枠を超えて知られている。イギリスBBCのクイズ番組『A Question of Sport』にはキャプテンとして出演し、有名セレブに無人島生活をさせる人気番組『I’m a Celebrity, Get Me Out of Here(有名人ですが、ここから出して!)』にも出演した。これらの番組はイギリスのゴールデンタイムに放送されており、お茶の間に親しまれるテレビタレントとしての顔も併せ持っている。

Jockey Frankie Dettori

デットーリはアーセナルのサポーターとしてマニアの間では有名ですが、最初に好きになったサッカークラブはユベントス。ミラノ出身ではありますが、ミランやインテルではなくトリノのビッグクラブがお気に入りだったそうです。

デットーリの名騎乗は一つ一つ挙げるとキリがないが、今でも忘れられない特に印象的なものが、2003年にドバイ・ナドアルシバ競馬場で行われたドバイワールドカップだろう。

デットーリが乗るドバイミレニアムはスタートから勢いよくダッシュし、軽快な逃げを打った。中継を担当したジム・マクグラス氏は「風のように軽快な走り」と評したように、飛ぶようにコースを走り続けていた。他の騎手が押して押して必死に追走する中、ドバイミレニアムだけは持ったままの涼しい顔で走っていたのだ。

直線に入ってやっと追い始めたとき、既に4馬身ほどは後続に差があった。しかし、このとき無敵の強さを誇った4歳馬はそれでもなお無慈悲にもライバルを突き放し、当時世界最高賞金レースだったドバイワールドカッ

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