かつて、G1・ジャパンカップは“世界への扉”であり、まだ見ぬ異国の強豪が日本馬を圧倒する光景は珍しいものではなかった。しかし、2005年にアルカセットが勝利して以来、その扉は20年にわたって固く閉ざされていた。
「最高です。任務完了ですね」
晩秋の夕暮れ時の東京競馬場で、その扉をこじ開けたミカエル・バルザローナ騎手は、短くも力強い言葉を残した。それは、現役世代のファンが初めて目撃するかもしれない、20年ぶりの外国馬によるジャパンカップ制覇の瞬間だった。
その勝ち時計は、2分20秒3。2018年にアーモンドアイが打ち立てた世界レコードを0.3秒更新する、驚異的な記録だった。
この歴史的勝利は決して、カランダガンの素質だけで成し遂げられたものではない。
今年2月に逝去した偉大なるオーナーブリーダー、アガ・カーン4世殿下が築き、遺した『ホースマンの哲学』に基づく勝利だ。歴史的快挙で最高の1年を締めくくった調教師、そしてアガ・カーン殿下の遺志を継ぐべく、努力を重ねた賢明なチームによって立案・計画されたものだった。
ジャパンカップのレース後、亡き殿下の娘であるザラ・アガ・カーン王女は、カランダガンを今年日本に遠征させた理由について、いかにもアガカーンスタッドらしい流儀で言葉で表現した。
「レースに向かう時、勝つと確信しているわけではありませんが、勝てるかもしれないと常に願ってはいます。それが競馬ですから。適切なコースで、適切な日に、適切な馬を走らせなければなりません。ですから、コース、タイミング、そして馬という条件が合えば、私たちは馬と共に遠征します」
「フランシスが年初から言っていたように、カランダガンこそがこのレースに向けた馬であり、彼は長期にわたってこの計画を練っていました」


この「ミッション」の遂行を鞍上で託されたのは、今年からアガカーンスタッドの主戦騎手となったフランスの名手、ミカエル・バルザローナだった。
ゲートが開くと、ジャパンカップは波乱の幕開けとなった。スタート直後、アドマイヤテラの川田将雅騎手が落馬した。場内が騒然とする中、セイウンハーデスが単騎で逃げ、1000m通過が57秒6という速いラップを刻んだ。
一方、カランダガンは中団後方に位置をキープ。道中、外から割り込もうとする馬と接触する場面もあったが、人馬ともに冷静さを保ち続けた。
「位置取りには満足していました。1番人気の一頭であるクリストフ(ルメール騎手)の馬をマークしていました」とバルザローナは語る。
直線は激しい攻防となった。外から進出するカランダガンの進路を阻むように立ちはだかったのは、かつてアガ・カーン殿下の主戦を務めたクリストフ・ルメール、そして国内3歳世代のエース、マスカレードボールだった。
「彼とは駆け引きがあり、坂の頂上付近では私の前に出たかもしれませんが、技術的にカランダガンの方が一枚上手でした」
バルザローナの言葉通り、欧州で磨かれたこの日のヒーローは、“真の王者”だけが持つ底知れぬギアを備えていた。マスカレードボールとの激しい叩き合いをアタマ差で制し、ゴール板を駆け抜けた瞬間、アガ・カーン家の哲学が正しかったことが証明された。
“適切な日”に“適切なコース”であるジャパンカップへ“適切な馬”を送った結果こそが、2005年以降、どの外国馬も成し遂げられなかった快挙を達成する道だったのだ。
「カランダガンは完璧なシーズンを送りました。ヨーロッパで最強であることを証明し、ここに来て日本の最強馬を負かすことができました。間違いなく今年の『ベストホース』です」
バルザローナはレース後、歓喜の中でこのように語った。
この勝利により、フランシス=アンリ・グラファール調教師は今年のG1・14勝目を挙げた。アンドレ・ファーブルが保持していたフランス人調教師の年間最多G1勝利記録を更新する、歴史的なシーズンを築き上げた。
その壮大な記録には、カランダガンのキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと英チャンピオンステークスの勝利、同じくアガカーンスタッドのダリズが制した凱旋門賞も含まれている。
今年、アガ・カーン殿下の訃報という耐えがたい悲しみに直面したチームにとって、この勝利は特別な意味を持っていた。
ザラ王女は「もちろん、父を亡くしてとても寂しいですし、父も深く関わっていましたが、組織としての運営は変わらず続けています」と語る。
東京の夕闇に輝く、緑と赤の勝負服。そこには、まるで殿下が天国から見守っているような空気がそこにはあった。
日本、そして世界中のファンの記憶に数十年先まで刻まれるであろう“王者の競馬”。この日、カランダガンは世界最強の覇権を確固たるものとした。

