勝利の口取り写真というものは、いつも人間観察には事欠かない。
その馬に少しでも関わったと思われる人々が次々と集まり、家族や本来は無関係な友人まで呼び寄せ、スポンサー、クラブ役員、そのほか大勢が写真の中に滑り込もうとする。
もし、トークショーの女王ことオプラ・ウィンフリーが自身の番組でプレゼントを大盤振る舞いしたしても、口取り式で写真に写ろうとする人全員に行き渡るほどの数は用意できないかもしれない。
そして、いつも一人だけ、見落とされがちな存在がいる。笑顔の人々の塊の後ろに隠れ、勝ち馬を必死に抑え込みながら、どうにかカメラの方を向かせようと奮闘している人物、それが厩務員だ。
オーストラリアの新たな女王候補、オータムグローがロイヤルランドウィック競馬場で総賞金1000万豪ドル(約10億円)のゴールデンイーグルを制した日も、注意深く目を凝らせば、人波の隙間から輝く笑顔がのぞいていた。
その男の名は、ツェピソ・モアギだ。
オーストラリア最強コンビ、クリス・ウォーラー調教師とジェームズ・マクドナルド騎手のように、このモアギという名が大見出しを飾ることはない。だが、無敗のオータムグローとこれほどまでに長い時間を共にしている人間は、他にはいない。
そんな彼が、いまや「オーストラリア競馬を代表する名馬」とも称される存在のそばにたどり着くまでの物語は、幸運と運命のいたずらに満ちている。
かつて、南アフリカの大学で電気工学を学んでいた小柄なモアギは、講義室やオフィスに閉じ込められる日々に満足できずにいた。そんな折、「君は騎手向きの体格だ」と友人に言われたことをきっかけに、馬という世界へ目を向け始める。
自宅からターフフォンテン競馬場までは、ちょうど車で10分ほどの距離。多くの南アフリカ人騎手志望者が若いうちから騎手学校に入る中、既に22歳だったモアギは、「もう遅いのかもしれない」とも感じていた。
それでもひるむことなく、彼は調教助手になる道を選び、その後、国内各地のアマチュア競走に騎乗して勝利数を積み重ね始めた。
それでも心のどこかには、「アフリカの外にチャレンジしてみたい」という思いがあった。マイク・デコック厩舎という名門の一員として働くようになると、モアギは海外遠征への帯同を志願する。
「マイク(デコック調教師)はいつも馬をイギリスかドバイに連れて行っていました。ですがイギリスは寒すぎたんです」とモアギは笑う。
「だからドバイに行くことになりました。そこから『もっと旅がしたい』と思うようになったんです」
ヴィアアフリカは、南アフリカのG1レースを3勝し、2013/14年シーズンの南アフリカ最優秀スプリンターに輝いた名牝だった。2015年、デコック厩舎所属のままドバイで現役生活を終えたが、その遠征を支えた一人こそモアギだった。
彼はドバイで、オーストラリアの名門厩舎として知られるダレン・ウィアー厩舎の元代表者を紹介され、将来ウィアー厩舎で働く道を提案される。
そこから数年、マカオでの滞在も挟みつつ、モアギはついにオーストラリアで新しい一歩を踏み出す決心を固める。
しかし、渡豪の2週間前、その計画は暗転する。ウィアー厩舎の一つが警察と競馬当局の捜査を受け、いわゆる“ジガー”と呼ばれる電気ショック器具が押収されたのだ。競走馬にショックを与え、より速く走らせる目的で使われる違反器具である。
ウィアー師はこの件で刑事訴追を受け、現在も競馬界からの資格停止処分中だ。その期間は2026年までとされている。
「そこで計画は完全に破綻してしまいました」と、モアギは振り返る。「そこで、ビザを担当してくれていた女性が『クリスの厩舎なら働けるわよ』と言ってくれたんです」
当時、ウィアー師と並んでオーストラリア競馬を支配していたウォーラー師について、モアギはほとんど何も知らなかった。
「オーストラリア競馬の情報を集めようとして、初めて彼のことを知りました。ちょうどウィンクスが全盛期の頃でした」
ウォーラー厩舎には、毎年何百頭もの新馬が入ってくる。馬を預けるオーナーは競馬界のあらゆる層に広がり、その門を叩く者は後を絶たない。
そんな中、現代のオーストラリア競馬を代表する名ブリーダーの一人とされる、アローフィールドスタッドの“総帥”ことジョン・メッサーラ氏が、ジオータムサン産駒の牝馬を180万豪ドルで落札した。彼がウォーラー師に出した指示はただ一つ、「競馬は3歳まで待ってほしい」だった。
メッサーラ氏はIdol Horseに対し、「当時、クリスに言いました。『この牝馬は大きいし、時間が必要になると思う』と。すると彼は『分かった』と言ってくれました」と振り返る。
やがてその牝馬は、ローズヒル競馬場に拠点を構えるウォーラー厩舎の馬房に預けられた。ある日、モアギが厩舎内を歩いていると、その馬房の扉に血統背景を書き留めたメモが貼られているのが目に入った。
そこに刻まれていた母の名は、ヴィアアフリカだった。
「それを見て『待って、合っているか確認させて』と思いました」とモアギは言う。
「厩舎長に聞きました。『この馬がどれだけ強くなるかは気にしません。母と父の良さを半分でも受け継いでくれれば、十分にいい馬になります。ぜひとも、この馬を担当させてください』って」
厩舎長の答えはイエスだった。
「そういう経緯があって、僕は彼女の担当になりました。仔馬がどんな馬になるかなんて、誰にも分からないですからね」


モアギにとっての「うちの子」は、デビュー以来、まさに天賦の才を遺憾なく発揮してきた。
オータムグローは7連勝目のエプソムハンデキャップでG1初制覇を飾ると、次戦のゴールデンイーグルでは海外から遠征してきたパンジャタワーとシーガルズイレブンらを退け、デビュー以来無傷の8連勝を達成した。
ゴールデンイーグル当日、パドックでの周回が長引くほど、多くのライバル馬は次第にイライラを募らせていった。しかし、ウォーラー師のもとで入念に仕上げられたオータムグローは、一切動じることがなかった。
「彼女の気性ですか?本当に大人しい子なんです。ヴィアアフリカと全く同じで、落ち着いていて、扱いやすい。まさにこの上ない馬ですよ」とモアギは言う。
「ローズヒルでのデビュー戦はよく覚えています。その日の第一レースで、周りに他の馬もいない状況でしたが、まるで何度も経験してきた歴戦の馬かのように落ち着いていました」
「新しい環境で、他の馬も見えない場所に一頭だけで立っていられるというのは、能力が高いだけでなく、精神的にも強い馬だけです。普通の馬はあんなふうには立ちません。オータムグローは眠ってしまいそうなほどでした」
「その時、『この馬はただ者じゃない』と思いました」
父ジオータムサンのオーナーだったハーミテージの共同所有する馬主のメッサーラ氏は、連勝を重ねるたびに高まる期待の中で、まるでジェットコースターのような気分を味わっている。これまで数多くの名馬を手がけてきた彼にとっても、キャリア序盤からこれほどの連勝を重ねる馬は初めてだ。
最初、セール会場で幼き日のオータムグローを見た瞬間から、すでに心は決まっていた。
「妻と一緒にシルバーデールファームの上場馬を見ていたんです」とメッサーラ氏は語る。
「この馬が馬房から出てきた瞬間、本当にびっくりしましたよ」
「私は一言もしゃべりませんでした。『ありがとうございます』と言って立ち去ったんです。(セールの戦術として)興味があるなんて、周りには絶対に悟られたくなかった」
「後になって彼らは私に言いました。『あんたも悪い人だね、全然買うような素振りを見せなかったじゃないか』ってね。これは名伯楽、T・J・スミス元調教師から学んだ戦略です。この馬を買わずに帰るなんて考えられなかった。私は完全に心をつかまれていました」
そして今、その魅力に取りつかれているのはメッサーラ氏だけではない。南アフリカ出身の小柄な厩務員もまた、知らず知らずのうちに同じ血統の馬を追いかけるように世界を旅し、最後にこの牝馬の傍らへとたどり着いた。
オータムグローが勝つたび、口取り写真の最前列にモアギの姿がないかもしれない。それでも、彼を見つけることはきっとできる。
どんな季節にも変わらぬ光を放つ、その笑顔がそこにある。

