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オーストラリアのメルボルンカップには、一般層から運に身を任せた馬券が集まってくる。名前、勝負服の色、ラッキーナンバー、郵便配達人の親戚からの助言、いわゆる “サイン馬券” に代表されるような「乗ってみる」買い目がこれほど集まるレースは、世界を探しても滅多にない。

それを考えると、ドイツのトール・ハマーハンセン騎手がオーストラリアでデビューを果たす来月、メルボルンカップで “名前買い” が殺到する光景も想像に難くない。ジェームズ・マクドナルド、クレイグ・ウィリアムズ、レイチェル・キングといったライバルたちを押し退け、最注目を集める「名前」はきっと彼だ。

もっとも、彼は名前が珍しいというだけの男ではない。

ドイツのトップジョッキー、ハマーハンセン騎手はG1レースを複数回勝利し、3大陸で勝利を挙げ、日本のワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)の前回王者でもある。それでも多くの人にとっては、北欧神話から飛び出してきた彼の名前だけで、ヘンク・グレーヴェ厩舎のフラッテンザカーブを買う理由となるだろう。

「それ、いつも言われるんですよ。『競馬界で一番いい名前、いちばん好きな名前だ』って」

ハマーハンセンはIdol Horseの取材に、自身の名前についてこのように語った。

「もちろん、スーパーヒーロー風というだけで馬券を買う人もいるでしょうけど、メルボルンカップはまた別次元だと想像しています」

ハマーハンセンを新たに知って気に入った人にとって、最初のハードルは名前の発音かもしれない。

北欧神話に出てくるミョルニルの通称 “トールハンマー” のように『トール』と呼ぶべきなのか、『ソー』なのか。それとも、ヨーロッパ風の発音があるのか。

「イングランドではいつも『Thor(ソー)』って言われていましたが、ドイツでは『Tor-e(トーレ)』って発音します。どちらでも構いません。英語話者にとっては『ソー』の方がたぶん簡単でしょう。僕は特に気にしません」

名前の話題はさておき、ハマーハンセンは競馬が身近にある環境で生まれ育ち、類い希なスピードで世界の舞台で台頭してきた。25歳の彼が幼少期を過ごしたのは、バーデンバーデン競馬場の近郊。その後、イギリスへと渡って、リチャード・ハノン厩舎で見習い騎手として活動した。

アンドレ・ファーブル調教師やサー・マーク・プレスコット調教師といった名伯楽の指導を受けたのち、ハマーハンセンは2023年にドイツへ帰国。翌2024年は飛躍の年となり、グレーヴェ師の管理馬でドイツダービーとバイエルン大賞のG1・2レースを制し、初のドイツリーディングを獲得した。

2025年のハマーハンセンはまだG1勝利こそないが、すでに昨年の成績に並ぶ74勝を挙げており、2年連続ドイツチャンピオンをほぼ手中に収めている。そして、国外の競馬界でもその名は順調に広まり始めている。

「イギリスから戻ってきた最初の年は、とにかく良い騎乗を見せて足場を固める年でした」

「昨年は素晴らしい年で、今年はある意味それ以上です。まだG1勝ちはありませんが、海外遠征はずっと増えていますし、フランスにも行って少し良い成績を残せました。アメリカや日本でも結果を出せました。札幌のWASJに招待していただけたのは本当に名誉なことですし、ドイツ競馬を代表した姿をしっかりお見せできたと思います」

世界を旅するハマーハンセンだが、日本には再び戻ってきたいと願っている。今度は短期免許での滞在を見据えているという。

「1月と2月にまた行くつもりです。まだ何も確定していませんが、短期免許を申請中で、現時点では計画に入っています。今後数年、冬の間はできるだけ各国を回って、それぞれの国の競馬スタイルから経験を積みたいと思っています」

香港もまた有力な旅先のひとつだ。父のレナート・ハマーハンセン騎手はドイツや北欧各地で多くの勝ち鞍を挙げた騎手で、2002年初めには短期間ながら香港でも騎乗し、その年の香港ダービーにも騎乗している。

「父が香港に行った時、母と私も付いて行きました。当時は幼すぎてほとんど記憶がありませんが、ホームビデオをいくつか見ました。いつか必ずまた行きたい場所です」

当面のところ、彼を待つのは初のオーストラリア遠征だ。ハマーハンセンが騎乗する馬はフラッテンザカーブだが、彼のキャリアは未だ曲がり角には来ていないようだ。

Idol Horse reporter Andrew Hawkins

Hawk Eye View、Idol Horseの国際担当記者、アンドリュー・ホーキンスが世界の競馬を紹介する週刊コラム。Hawk Eye Viewは毎週金曜日、香港のザ・スタンダード紙で連載中。

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