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情熱を取り戻したザック・パートン騎手、カーインライジングと目指す “第二の黄金時代”

香港競馬を牽引してきたパートン騎手が、母国での殿堂入りとG1制覇を重ねた激動の1年を経て、次なる挑戦に向かう。相棒はもちろん、カーインライジングだ。

情熱を取り戻したザック・パートン騎手、カーインライジングと目指す “第二の黄金時代”

香港競馬を牽引してきたパートン騎手が、母国での殿堂入りとG1制覇を重ねた激動の1年を経て、次なる挑戦に向かう。相棒はもちろん、カーインライジングだ。

2022年10月、ザック・パートン騎手は断言していた。「2年後には確実に引退している」と。しかし、人生はそう予定通りにはいかない。

それから2年と8ヶ月。今、彼は8度目の香港リーディングジョッキーに輝き、オーストラリアの競馬殿堂入りを控え、さらに“世界最強スプリンター”の主戦を務めている。

当時のパートンは、40歳を目前に控え、度重なる負傷と蓄積したダメージに苦しんでいた。長年のライバル、ジョアン・モレイラが香港を離れたこともあって、戦う意味を見失いかけていた。若い家族と穏やかな生活を思えば、あと2年。それが現実的な選択のように思えた。

だが、あれから時が流れた。身体の老いは進み、古傷も癒えることはない。それでも、今もトップを走り続けている。カーインライジングという存在とともに。

「この馬のおかげで、またワクワクできるようになりました」とパートンはIdol Horseに語る。

「香港で、カーインライジングのようなレベルの馬に出会うのは本当に難しい。ビューティージェネレーション以来、そんな馬はいませんでした」

シャティンのマイル戦を舞台に、パートンをより高いレベルへと押し上げた存在、それがビューティージェネレーション。ジョン・ムーア厩舎のオーストラリア産馬で、G1を7勝し、かつては10連勝を達成したこともある。まさに黄金期を築いた1頭だった。

「あの馬が引退してから何シーズンも経ちました。それ以来、香港ダービーも勝ちましたし、香港国際競走やG1でも勝利を収めてきましたが、正直なところ、すべてが単発だったんです。同じ馬で継続的に戦う関係性がありませんでした」

「ある馬でG1を一つ勝って、また別の馬で別のG1を勝って……リズムもなければ、パートナーシップも築けなかった。ですが、カーインライジングのような馬と出会い、関係を築けるのは騎手として何よりの喜びです。『この先も楽しみだ』と思える、そんなシーズンになりました」

そんな相棒と共に迎えた2024/25年シーズン。パートンの騎乗には、再び明確な目的と気迫が宿っていた。

「2024年12月の香港国際競走で、カーインライジングが初のG1勝利を目指して挑戦するという興奮があり、そして実際に勝つことができたんです。シーズンを通して8戦8勝、うち2回はレコードタイムでの勝利。世界ランキングでも2位に評価されました。キャリアの終盤に、こんな馬と出会えるなんて、本当に素晴らしいことです」

Nicole Purton taking a selfie of Team Ka Ying Rising
DAVID & PRUE HAYES (L), ZAC & NICOLE PURTON (R) / G1 Hong Kong Sprint // 2024 /// Photo by HKJC

2024年9月8日、シャティン競馬場での開幕日。パートンは初戦から他の挑戦者たちに向けて強烈なメッセージを放った。記念すべき第1レース、クリス・ソー厩舎のゴーゴーゴーでの勝利でシーズンは幕を開けた。

そして第3レースでは、カーインライジングが135ポンド(61.2キロ)の重いハンデを背負いながらも圧巻の走りで他馬を完封。今季の『主役候補』としての期待を一気に高めた。この日、パートンは4勝を挙げ、翌週にも再び4勝をマーク。波に乗ったままシーズンを駆け出した。

年末までには、カーインライジングでG1・香港スプリントや、レコード勝ちを収めたG2・ジョッキークラブスプリントを含む4勝を挙げ、12月26日のボクシングデーには1日6勝を達成。年明け時点で、32開催を終えて通算60勝を数えていた。

そして2月9日、カーインライジングがG1・センテナリースプリントカップで再びレコード勝利を挙げた日、パートン自身も42開催を終えて82勝。年間最多勝記録に挑めるハイペースだった。

「開幕からとても調子が良く、その勢いのまま12月、国際競走でのカーインライジングにつながりました」とパートンは振り返る。「年間最多勝記録も狙える位置でした。でも、あの三頭の落馬事故で地面に叩きつけられ、そこから2ヶ月、戦線離脱を余儀なくされました。それがすべてに影を落としたんです」

2月9日の落馬は深刻だった。足の指の骨を骨折し手術を要した。結局、累計で13開催を欠場し、勢いは大きく削がれた。

「怪我から立ち直って、体を戻して、リズムを取り戻して、また関係者の信頼を積み上げていかなければいけません。すべてをまたゼロからやり直すわけですから、壁に向かって、ひたすらもがいているような気分でした」

 それでも、G1・チェアマンズスプリントプライズをカーインライジングで勝利したことについては「ですがその後、またG1を勝てましたし、シーズン最後はいい形で終われそうです」と前向きに振り返る。

「波はありましたが、全体として見れば素晴らしいシーズンでした。そして殿堂入りという大きなご褒美までついてきたわけですから」

オーストラリア競馬殿堂での表彰。殿堂入りの一報は、いかに自信家のパートンであっても特別だった。興奮の最中、すでに殿堂入りしている名騎手のたちの名前を調べてみたという。

「ちょっと調べてみたんです」とパートン。騎手として殿堂入りしているのは、ジョージ・ムーア、スコビー・ビーズリー、ダービー・マンロー、シェーン・ダイ、グレン・ボス、ミック・ディットマン、ダミアン・オリヴァー、そして義父のジム・キャシディなど、オーストラリア競馬史を彩る名手たち48人だけだった。

「この短いリストの中に、自分の名前が加わる。これは本当に光栄なことで、誇りに思います。今の自分の立場でこれ以上の名誉はないと思います。そう評価されたことが本当にうれしいです」

パートンにとって、香港での18シーズン目を締めくくるこの栄誉は、まさにキャリアの集大成にふさわしい。

豪州競馬殿堂に名を連ねる往年の名手たち、その多くは欧州やアジアに遠征し、世界での実績を積み重ねて名を上げた。だが、パートンは少し違う道を歩んだ。

ブリスベンで早くから才能を発揮し、シドニーではリーディング2位まで上り詰めた若き才能は、まだ全盛期を迎える前にオーストラリアを離れた。そして、それきり母国に戻ることはなかった。むしろ香港を舞台に、自ら伝説を築いていった。

今季のリーディングタイトルも、前回と同様に『当然の結果』として受け止められている。シーズン最多勝記録を保持し、通算最多勝にも迫る勢い。ダグラス・ホワイト、ジョアン・モレイラという二大巨星を退け、ビューティージェネレーション、エアロヴェロシティ、そしてカーインライジングといった香港の名馬たちを次々と勝利へ導いてきた。

その一方で、パートンは一貫して「オーストラリア人としての自分」を貫いてきた。

「オーストラリアを離れて、もうずいぶん長い時間が経ちました」とパートンは語る。

「でも、いつも思っているのは、自分は豪州の旗を誇りを持って掲げている、ということです」

それは、彼自身が意識しないうちに、香港競馬を母国に広く伝える役割を果たしていたということでもある。コフスハーバー出身の “生意気な少年” は、ひたむきに階段を登り、スタイリッシュで戦略に長けた騎手へと成長した。

今では舞台裏を見通す知的な思考と、SNS時代に適応した発信力をも備えた “現代のトップジョッキー” としての地位を確立している。

だが、8月31日にブリスベンで行われる殿堂入り式典には出席できない。その前夜、パートンはシャティンで重要なバリアトライアルに騎乗する予定がある。カーインライジングの次なる挑戦、世界最高賞金の芝レースであるジ・エベレストに向けた調整だ。

「香港からは毎晩23時55分発の便があって、それならブリスベンの午前11時半に着けるんです。でも、土曜の夜から日曜朝にかけてだけ、その便がなかった。だから行けないんです、残念ながら」

「でも、カーインライジングのためにここにいることの方が大事なんです。これも、トップを目指すうえでキャリアの中で払わなければならない “犠牲” のひとつです。もちろん式典に出たかったですが、やっぱり仕事が優先ですよ」

何を守るべきか、何をあきらめるべきかを明確に理解し、それを実行に移す意志の強さ。パートンをただの名手から“殿堂入りの騎手”へと押し上げたのは、この揺るぎない覚悟だ。

そしてその覚悟の中心には、常に “身体との闘い” がある。

斤量との格闘、そして歳を重ねるにつれて悪化していく痛み。「股関節が時々炎症を起こして、それが落ち着いて、また痛み出して……を繰り返しています。消えない頭痛みたいなものです。常に治療を受けて、痛みと付き合わなければなりません」

痛みはトレーニングの制限にもなる。時には何もできずに休む日もあれば、多少は動ける日もある。

「自分が望むように、毎日しっかりトレーニングできる状態にはないんです」

「予定表を決めて、日々淡々とこなしていく、なんてことはもうできません。身体の具合に合わせて、今日何ができるか、今週はどうか。そうやって調整して、ちょっとずつ変えて、何とか前に進んできました。それがここ数年ずっと続いていることです」

Zac and Nicole Purton
ZAC PURTON, NICOLE PURTON / Happy Valley // 2025 /// Photo by HKJC

思い返すのは、かつてスポーツに夢中だった少年時代。無邪気に走り回り、身体を酷使することに何のためらいもなかったあの頃だ。

「当時は、できる限りのスポーツに挑戦していました。ただひたすら走り回り、動き続け、限界に挑んでいました。そして、その延長線上に今の自分の身体があります」

「そこに、競馬という肉体的に厳しい職業が加わります。プレッシャーの中で騎乗し、時には落馬や事故もあります。それら全部を通して、身体は本当に多くのことに耐えてきました。ここまでやってこられたのは、幸運だったと思っています。だからあまり文句は言えません」

それでも、パートンが止まることはない。

「とにかく次の開催までたどり着く。そしてまた次のレース、次のレースへ、それだけを考えて続けてきました。それができなくなったときこそ、身体が『もう限界だ』と教えてくれる時です」

だが、それでもパートンは今の人生を悔いることはない。すでに競馬界の頂点を極めながら、なおも追いかけたい頂がある。そのひとつが、故郷・シドニーで行われる世界最高賞金の芝レース『ジ・エベレスト』制覇だ。 殿堂入りという勲章にふさわしい “祝砲” となる可能性を秘めている。

そして、気になるのは避けて通れない、引退の時期についての問いだ。

今のパートンは、軽々に答えることをしない。カーインライジングの引退とともにパートンも去る、という声もある。あるいは、ダグラス・ホワイトの持つ香港リーディング13回に並ぶまでは現役を続けるという見方もある。

だが、本人は、家族でゆっくり過ごす休暇のことを考えている。情勢次第だがヨーロッパを巡る壮大な旅になるかもしれない。そしてその後は、19シーズン目に向けて準備するつもりだ。

「いまは、それ以上先のことは考えていません。まずはオフに入って、身体を休めて、それからまた身体を作って戻ってくる。そこからどうなるかは、流れに任せます」

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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