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シドニーのタブロイド紙『ザ・デイリー・テレグラフ』が「カーインライジングのジ・エベレスト出走枠が数時間以内に正式決定される」と報じてから数分後、オーストラリアンターフクラブ(ATC)のオフィスには軽い衝撃が走った。

シドニー唯一の競馬主催者であるATCにとって、この2週間は激動の日々だった。会員の反対で、最も価値の高い資産であるローズヒルガーデンズ競馬場の売却案、かつては50億豪ドルと見積もられた取引が水泡に帰したからだ。

それ以来、売却反対派の会員グループは攻勢を強め、売却推進派だったATC会長を務めるピーター・マガウラン氏の解任を求めている。

ATCは半年以上にわたり、香港ジョッキークラブ(HKJC)およびデヴィッド・ヘイズ調教師と綿密に交渉を重ねてきた。

世界最強スプリンターと称されるカーインライジングを、今年後半にロイヤルランドウィック競馬場で行われる総賞金2,000万豪ドル(約19億円)のレース、ザ・エベレストの主役に据えようとしていたからだ。

ATCは、投資家がカーインライジングの関係者と契約を結び、全12枠用意されている年間70万豪ドル(約6.5億円)の出走枠を新たに購入するシナリオを考えていた。

しかし、「ATCの一大クーデターが間近」との報道がネット上の競馬界を駆け巡った際、問題が一つあった。いかなる契約書にもまだ署名がなされていなかったのだ。

さらにATCは、豪最大手ブックメーカーであるタブコープが、自社名義の出走枠でカーインライジングを走らせようと動いているのではないかと疑っていた。

とある香港ジョッキークラブ幹部が先週末、カーインライジング争奪戦について「今は買い手市場だ」と言及していたのもまた事実。これに異を唱える者はいなかっただろう。

2017年にザ・エベレストの構想が華々しく打ち出されて以来、これほど圧倒的な人気を集めた馬は存在しなかった。出走確定後、カーインライジングの前売りオッズは1.9倍を記録し、大本命としての地位は揺るぎないものとなっている。

毎年、巡り合わせの妙も手伝ってか、力は伯仲しながらもオーストラリア中の優秀なスプリンターが顔をそろえてきた。そのおかげで馬券市場は活発化し、出走枠の保有者同士がより良い馬を求めて競り合う活況が生まれてきた。

もし、キャリア25戦無敗のブラックキャヴィアがまだ現役だったら、近年のジ・エベレストは同じだけ魅力的だっただろうか。

だが、カーインライジングの実績を前にすれば、交渉を代表している香港ジョッキークラブには有利なカードが揃っている。世界最強スプリンターとしての絶対的評価、同馬の人気による超高額レースの国際的認知度向上、そして香港での海外馬券発売による馬券収入の可能性だ。

ATCがこの契約を前倒しで潰されることを極度に恐れたのは当然かもしれない。彼らにはジ・エベレストの魅力を世界へ広めるまたとない機会があったからだ。

Ka Ying Rising wins the G1 Centenary Sprint Cup
KA YING RISING, ZAC PURTON / G1 Centenary Sprint Cup // Sha Tin /// 2025 //// Photo by Alex Evers

では、カーインライジングがザ・エベレストで手にする契約内容とは何か。

ATCも香港ジョッキークラブも今週は詳細を伏せ、スロットが2年間のリース契約で延長オプション付きになることだけを認めた。これは重要なポイントだ。

オーストラリア調教馬と結ばれる標準的なジ・エベレストの契約には、賞金配分、トロフィーの帰属権、騎手の指名権、勝負服の権利、優勝ボーナス、将来の種牡馬(繁殖)権利、当日のチケット割り当てなど、さまざまな要素が盛り込まれる。

近年、抜け目ない出走枠ホルダーはリスクを抑えるため、馬が後方着順に終わった場合には賞金の大半、場合によっては全額を自分たちが受け取るよう契約を整えている。1着賞金が750万豪ドル(約7億円)に上るレースのため、馬が入着した場合には7対3、6対4、5対5といった賞金配分が設定されることが多い。

しかし、香港ジョッキークラブは、この出走枠を別の目的で活用する可能性についてもすでに協議している。それは、毎年12月の香港国際競走へオーストラリアおよびニュージーランドの馬を呼び込むことだ。

もし仮に、2026年のレースにカーインライジングが出走できない場合、香港側はジ・エベレストの出走枠をシドニーまたはメルボルンの馬に提供し、その代わり年内にシャティン競馬場で行われる香港スプリントに遠征することを条件とする案を示している。

香港ジョッキークラブの競馬担当エグゼクティブディレクター、アンドリュー・ハーディング氏は木曜日、「将来は、香港馬の出走を後押しするだけでなく、ジ・エベレスト後に香港国際競走へ向かう豪州やニュージーランドのスプリンターを誘致するためにもスロットを活用する」とコメント。

背景として、年末の香港国際競走、特に香港スプリントはオーストラリア・ニュージーランド勢がほぼ10年近く出走していない現状が課題とされてきた。今回の新たな提携によって香港スプリントが活性化する可能性がある。

ATCにとってより直近かつ継続的なメリットは、香港の馬券市場との相互プールによる売り上げ増加だ。シドニー開催のどれをWorld Pool(ワールドプール)の対象レースに追加するかはすでに協議が進んでおり、ゴールデンスリッパーなど秋の主要レースが候補に挙がっている。

香港ジョッキークラブは地元当局に対し、海外馬券発売対象レースの拡大を申請しており、承認が得られれば実施可能となる。

最新の計画では、開催日意外に世界の競馬を最大12レースを中継できる『海外馬券発売開催』を、現行の年間37開催から来季は53開催、2027年までに70開催へ増やす許可を立法会に求めた。また、香港の開催日と重なる海外レースを中継する『海外馬券発売』は、今後12か月で25レースから40レースへ拡張し、2026/27シーズンには55レースまで増やす計画だ。

World Poolはまだ発展途上であり、現地プールより高い控除率、オッズの急激な変動、最近では技術的トラブルで香港ジョッキークラブが数億香港ドル規模の損失を被ったことなどが物議を醸している。

しかし、こうした問題への対応は進んでおり、World Poolは世界各地の馬券市場を活性化する手段とみなされている。重要なのは、香港ジョッキークラブCEOのウインフリード・エンゲルブレヒト=ブレスゲス氏とレーシングNSWのトップ、ピーター・ヴランディス氏が共に同一プール制を支持している点だ。

BELLA NIPOTINA / G1 The Everest // Randwick /// 2024 //// Photo by David Gray

競馬界で強い影響力を持つ2人は、かつて長年に渡って激しく対立していたが、近年はその溝を埋めつつある。エンゲルブレヒト=ブレスゲスがヴランディス主導の一大イベント、ジ・エベレストに投資したことは、両者の結びつきをさらに強固にするだろう。

香港のトップは過去18か月間、シドニーの主要開催日にロイヤルランドウィック競馬場のスイートルームへと頻繁に招かれてきた。ヴランディスも香港国際競走を訪れ、昨年札幌で開かれたアジア競馬会議ではエンゲルブレヒト=ブレスゲスとともにパネルディスカッションに参加している。2人の協力が世界の競馬界にとって良いことしかないのは違いない。

公の場で先陣を切ることはなかったものの、ヴランディスは一世一代のビッグチャンスとしてローズヒル売却を支持していた。しかし、その計画は最終段階で頓挫した。

この一連の騒動は香港ジョッキークラブの関係者が注視しており、それが彼らのATCに対する交渉力をさらに高めたことは間違いない。州の住宅危機を緩和するという大義のために2万5000戸の住宅街を建設するべく、100年の歴史を持つ競馬場を取り壊すという財政的な切り札は失われた。

規模こそローズヒル売却には及ばないが、カーインライジングのスター性は10月にATCの懐を確実に潤すことになる。

ATCの競馬・賭博部門責任者を務めるネヴェシュ・ラムダニ氏は、「この馬は世界最高のスプリンターです。彼の話題性に期待しています」と期待を語る。

「海外からの遠征馬が好走すれば、これが第一歩となり、多くのチャンスが生まれるでしょう。想像以上の勢いを生む可能性があり、レースの世界的な価値を大いに高めるはずです」

「双方にとってビッグチャンスがあり、これは始まりにすぎません。ATCだけのチャンスではなく、二つの競馬界がより協力し合う機会です」

シドニーと香港は、これまで人材の積極的な交流によって常に深く結びついてきた。香港競馬のプロ化の幕開けとともに、ジョージ・ムーアと息子のジョン・ムーアが香港に渡り、21世紀の変わり目にはジョン・サイズ調教師が移籍。その後もトップジョッキーのダレン・ビードマン騎手、ザック・パートン騎手、ヒュー・ボウマン騎手、ブレントン・アヴドゥラ騎手らが香港へ移籍している。

ジョン・シュレック、キム・ケリー、マーク・ヴァンゲステルといった新旧の裁決委員長もまた、シドニーから香港へと拠点を移した。

ATCがジ・エベレストの出走枠を提供するのは今回が初めてではない。以前には香港の大手馬主、ボン・ホー氏と複数年契約を結び、シドニーで一定数の馬を走らせることを条件に出走枠をリースした。その中の一頭、クラシックレジェンドは2020年のザ・エベレストを制している。

クラシックレジェンドは優れた馬だったが、カーインライジングとは比較にならない。その圧倒的な知名度と電光石火のスピードは、かつて不可能と思われていた二大巨頭の協力のことを実現させた。香港とオーストラリアの架け橋となったのだ。

アダム・ペンギリー、ジャーナリスト。競馬を始めとする様々なスポーツで10年以上、速報ニュース、特集記事、コラム、分析、論説を執筆した実績を持つ。シドニー・モーニング・ヘラルドやイラワラ・マーキュリーなどの報道機関で勤務したほか、Sky RacingやSky Sports Radioのオンエアプレゼンターとしても活躍している。

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