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日本移籍?オーストラリア残留?ダミアン・レーン騎手に迫る「決断の時」

妻と幼い息子とともに、春の日本滞在を満喫しているレーン騎手。キャリアの転機となる大きな決断について、「今年か来年には」と独占取材の中で明かしてくれた。

日本移籍?オーストラリア残留?ダミアン・レーン騎手に迫る「決断の時」

妻と幼い息子とともに、春の日本滞在を満喫しているレーン騎手。キャリアの転機となる大きな決断について、「今年か来年には」と独占取材の中で明かしてくれた。

2019年、4月27日。この日はダミアン・レーン騎手が日本での初騎乗を果たした日だ。これを契機に騎手人生が大きく変わり始めるとは、本人も予想していなかっただろう。

3日間開催の初日。東京競馬場のジョッキールームに足を踏み入れたレーンは、この先どんな体験が待っているのか想像もつかなかったという。

Idol Horseの取材に応じたレーンは、「よく覚えています。やっと来日することができてワクワクしていました」と当時の心境を振り返る。

「とはいえ、不安も少しはありました。香港競馬で短期免許を取ったときは結果を出せなかったからですね。海外で乗るのは2度目だったので、やっぱり手探り状態の不安はありました」

レーンが口にする「不安」の理由とは、21歳の若さで香港に渡った4年前の経験に遡る。

当時、すでに500勝以上を積み重ねて鳴り物入りで参戦するも、2つの競馬場に名手がひしめき合う世界有数の激戦区は壁が高かった。3ヶ月の滞在期間でたったの5勝。無念の帰国を余儀なくされた。

実は、香港競馬では騎乗依頼を斡旋するエージェントの帯同が認められていない。ジョッキー自身が調教師に掛け合い、依頼を確保する仕組みだ。一方、日本では通訳からエージェントまで、サポート体制が最初から整えられていた。

「信頼して任せることができました。通訳のアダム・ハリガン氏、そして堀宣行調教師、優秀なお二人を紹介してもらえたんです。一緒に仕事をしてきた中でも最高クラスの方々でした」

「日本で好スタートを切れた理由は、お二人のおかげです。とても親切にしていただきました」

ADAM HARRIGAN, DAMIAN LANE, NORIYUKI HORI / 2YO Newcomer // Tokyo /// 2019 //// Photo by Lo Chun Kit

この日、JRA初騎乗を迎えたレーンだが、初日は静かな幕開けだった。5鞍に騎乗して入着2回、初勝利はお預けに。しかし、本領発揮はその翌日、2日目から訪れた。

「2日目には堀先生の馬に乗って初勝利、3日目にはキャロットファームの馬で重賞を勝ちました。キャロットさんにはそれ以来ずっとお世話になっていますし、私としても好相性のクラブです」

レーンは当時を思い出しながら控えめに語るが、実際の2日目は6鞍に騎乗して4勝という凄まじい成績を残している。

「えっ?4勝もしていました?そんな凄かったとは」

「初日は機会が無かったのですが、2日目には早い段階で堀先生の馬に乗ったことを今でもハッキリと覚えています」

3日目、G3・新潟大賞典を制した際の相棒はメールドグラースだった。半年後、メルボルンのG1・コーフィールドカップを制覇することになる馬だ。

「最初は右も左も分からない不安から始まった週末でしたが、少しづつ不安から自信に変わっていきました。そこから軌道に乗ってきたんです」

これがターニングポイントとなり、レーンの騎手人生は変わった。レーンにとって、日本競馬や日本馬は切っても切り離せない存在となった。

2週間後、騎乗停止となったクリストフ・ルメール騎手の代打として騎乗したノームコアでヴィクトリアマイルを制し、G1初制覇を達成。先日には、ヘデントールに騎乗して天皇賞(春)を勝利し、この日から数えて6度目となるG1勝利を挙げた。

レーンは初来日の2019年以来、コロナ禍の2021年を除いて毎年のように短期免許を取得している。

2025年春、今年も日本に帰ってきたレーンは、今回も以前と変わらない快進撃を収めている。2週間で7勝(5月16日現在)を挙げ、勝率は30%を誇る。

しかし、今回の来日の裏には初めての試みが隠されている。妻のボニーさん、生後6ヶ月のチャーリーくんも同行し、家族全員で滞在しているのだ。家族の一員に幼い息子を抱える今、将来の決断はより慎重にならざるを得ない。

「私自身、今はキャリアの分岐点だと思っています。環境を変えるべきか、いつか決断の日が来るでしょうから」

「日本への移籍は間違いなくオプションの一つです。JRAの通年免許にチャレンジしてみる、という可能性は充分に考えられます」

現在31歳、レーンの騎手人生は2009年のパースで幕を開けた。2年後、早くもメルボルンへと拠点を移し、トップジョッキーの仲間入りを果たす。昨年は同地区でリーディングジョッキーのタイトルを初めて獲得し、今季もメトロのリーディングで13勝差の首位をキープしている。

「私、そして妻もメルボルンは大好きなので、ここを離れるという決断はそう簡単にはできませんよね。最近はシドニーでも結果が出ていますが、長い目で見ればメルボルンと日本の二択になると思います」

「日本に移籍するのも一筋縄では行きません。他国みたいに通年免許を取得できるわけではないんです。それも悩ましい理由ですね。きちんと準備しなければ通年免許の試験は突破できませんし、そのための努力は欠かせません」

「すでに私の周りでは噂が流れていますが、今後どうするのか、今年か来年には決めることになると思います」

息子のチャーリーくんが初めての日本滞在を楽しんでいることは、家族での日本移住に向けてポジティブな要素だ。

「チャーリーは日本を満喫しています。賑やかな人混みやネオンが大好きみたいなんです。ずっとキョロキョロと周りを観察しながら、目を輝かせていますよ。日々成長する姿を側で見守るのは楽しいですね」

「家族3人での日本滞在となるとやっぱり違いますね。まず第一に、自分よりも家族の生活が最優先です。休日は家族サービスばっかりですね。家族みんなで一緒に過ごせる体験は特別ですから」

「日本では月曜日と火曜日は競馬の予定がないので、家族とゆっくり過ごすことができるのが良いですね。オーストラリアの場合、調教やバリアトライアル、ナイター競馬だったりで、競馬が24時間365日動いているような感じですから。2日間も休みが取れるなんてほぼありません」

家庭が円満であることは何よりの支えだが、その一方で職場での成功も目を見張るものがある。レーンが日本で挙げてきた実績は目覚ましく、2023年のG1・日本ダービーをタスティエーラで制したほか、日本競馬の2大グランプリ、G1・宝塚記念とG1・有馬記念をリスグラシューで連覇している。

「日本の競馬ファンにとって、あのレースがどれほど大きな存在なのか。レースで騎乗していると身に沁みて実感できます。スタンドには大勢の観客が集まり、メディアも一斉に注目する、そんなレースで結果を残せたのは本当に大きかった。騎手としてレベルアップできました」

「初めて来日した2019年、来日最後の週にリスグラシューで宝塚記念を勝つことができました。その後、彼女はさらなる高みに連れて行ってくれました。本当に信じられない経験でした」

その秋、レーンはメルボルンでキャロットファームの勝負服を着ていた。リスグラシューに騎乗してG1・コックスプレートの頂点に立ったのだ。

それ以来、レーンは日本の競馬関係者からの信頼を勝ち取り、香港・ドバイ・サウジアラビア・オーストラリアのビッグレースを日本馬とともに制覇。世界の舞台で活躍する日本馬、『チーム・ジャパン』の一員として活躍している。

「もちろん、全ての日本馬からの依頼が舞い込んでくるわけではありませんが、やはり日の丸を背負っているという実感はあります。日本馬の多くは日本人の馬主、日本人の調教師、日本血統です。日本代表の一員として戦っているという思いはあります」

その高い実績を評価されて、今年の日本ダービーでも有力馬の騎乗依頼が飛び込んできた。皐月賞馬のミュージアムマイルだ。ジョアン・モレイラ騎手の短期免許期間が終了したこともあり、レーンに白羽の矢が立った。

「皐月賞は強かったですね。成長の余地を残していますし、将来有望です。3歳馬はみんなそうかもしれないですが、ミュージアムマイルはその中でも高いポテンシャルを秘めているように見えるんですよ」

「ミュージアムマイルとクロワデュノールとの間に大きな差はないと思います。皐月賞ではジョアン(モレイラ騎手)が好騎乗を披露した一方、クロワデュノールは序盤からリズムに乗れず、難しい展開になってしまいました。フラットな条件であれば、大差ないと見ています」

執筆当時の段階で、JRAでの通算勝利数は155勝、勝率は23.6%。これほどの実績を残した今、レーンは日本の競馬ファンから「勝って当然」という期待が常に集まる騎手となっている。

「そういった期待は確実に感じますね。騎乗馬のオッズを意識するタイプではないのですが、乗るときはチラッと見てしまいます。私が乗ると『人気する』ので、期待されているんだろうなと思います」

「確かにプレッシャーは少しありますが、裏を返せば信頼して注目してくれているということなので、その点は誇りでもあります」

「自分自身で勝ち取った評価ですから、プレッシャーも受け入れるようにしています。自分の仕事はベストを尽くして騎乗することだけです。人気先行でオッズが低くなりすぎた馬で負けたとしても仕方ありません。前を向いて最善を尽くし、自分のやるべきことをするだけです」

東京競馬場での初日、未勝利で終えたあの春の日には想像もしなかった道を切り拓いたのは、彼自身のその心意気だ。

「日本で初めて騎乗したときはここまでになるとは……」

彼は一旦言葉を区切り、そしてこう続けた。

「あの短期免許がここまでの結果に繋がるとは、当時は夢にも思いませんでした」

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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