キャスパー・ファウンズの最新ニュース

19/09/2025
モレイラ騎手の香港復帰は“却下”、帰還を願うファウンズ師は「シーズン後半に望み」
香港復帰への第一歩となる短期免許を申請したモレイラだが、HKJCが出した答えは「見送り」。ファウンズ師は長いシーズンのどこかで再合流を目指す構えだ。
デイヴィッド・モーガン

17/09/2025
短期騎乗か本格復帰か?モレイラ騎手が激白、香港への電撃復帰の意向を明かす
ジョアン・モレイラ騎手が股関節の痛みを乗り越え、短期免許で香港に復帰する意向を表明。ファウンズ厩舎と再びタッグを組み、香港競馬界に新たな風を吹き込む。
デイヴィッド・モーガン

15/09/2025
「電撃帰還」モレイラ騎手が香港復帰へ?ファウンズ調教師が招聘プランを明かす
ファウンズ師によって明かされた、ジョアン・モレイラ騎手の短期免許取得プラン。HKJCの上層部が申請を承認した場合、騎手の勢力図に大きな変化が起きそうだ。
マイケル・コックス

17/07/2025
香港の騎手に小さな朗報、バリアトライアルの負担軽減も「騎乗手当」は先送り
バリアトライアルの急増により、騎手の負担が深刻化していた香港競馬。HKJCとの協議の結果、従化トレセンでの実施日数が一部削減されることが決まったが、騎乗報酬の支給は先送りとなった。
デイヴィッド・モーガン

21/03/2025
「質の高い馬は自分の目で発掘」香港競馬の大物輸入馬黄金期はどこへ?
世界の一流馬を香港へと導いてきた名伯楽、ジョン・ムーア調教師。そんな彼が築いた“輸入黄金期”と比べても、2025年の香港ダービーは様変わりした。出走馬の顔ぶれは、かつての質よりもコスパを意識した新時代のリアルを映している。
デイヴィッド・モーガン
キャスパー・ファウンズのプロフィールは?
キャスパー・ファウンズは、香港競馬の代表例とも言える調教師だ。準備やレースプランにおける柔軟で創造的な発想力こそが、彼の強さを形作っている。
もちろん、ファウンズの調教師としての技術や競馬への献身、そして世界に目を向ける国際的な視野の広さも一流だ。彼は代々続く調教師一族に生まれ、根っからの競馬ファンでもある。その独自の競馬教育は、比類なき調教哲学へと昇華されてきた。
「ハッピーバレーの王(King of The Valley)」という異名が示すとおり、ハッピーバレー競馬場で彼以上に勝ち星を重ねた調教師はいない。
香港競馬独自のシステムを熟知し、クラスの低い馬から重賞級まで幅広い馬を勝利に導く手腕は群を抜く。しばしばオーナーや関係者の高額馬券を的中に導き、勝利の喜びを豪快に表現することでも知られる。
2010年、ハッピーバレー開催で1日6勝という前人未到の記録を達成した直後、ファウンズが即興で披露したディスコダンスを覚えている香港の競馬ファンも多いだろう。
しかし、彼は単なるショーマンではない。ハッピーバレーで低いクラスの馬を巧みに勝利に導くだけでなく、G1制覇を重ね、通算4度のリーディングトレーナーに輝いた実力者であり、さらに海外G1にも積極的に挑戦する本格派の調教師だ。

キャスパー・ファウンズの生い立ち
イギリス国籍を持ち、インドで生まれ育ったキャスパー・ファウンズは、1981年、父のローリー・ファウンズ師が香港で調教師免許を取得したのを機に、11歳で香港へ移住した。ローリーはインド競馬界の伝説的な調教師であり、息子にとっても最大の師匠だった。
少年時代のキャスパーは、学校に通う前の早朝に父の調教に同行していた。やがて父の右腕として厩舎を支えるまでに成長し、香港特有の「ハンデ戦システム」を学び、馬主との関係を築き上げ、さらに広東語も身につけていった。

しかし、2003年に父ローリーが年齢制限での引退を目前に控えた際、キャスパーは当初、調教師免許を認められなかった。
そこで父ローリーは、香港紙『サウスチャイナ・モーニングポスト』に公開書簡を寄せるなど、情熱的な訴えを続けた。その直後、ピーター・チャプルハイアム調教師がシーズン終盤に突然免許を返上したこともあり、キャスパーは土壇場で念願の調教師免許を手にした。
こうして2003/04年シーズン、キャスパー・ファウンズはダニー・シャム調教師、デヴィッド・フェラリス調教師とともに、新規開業調教師として香港デビューを果たした。
キャスパー・ファウンズ厩舎の代表馬
ファウンズ厩舎を代表する名馬として真っ先に挙がるのが、2013年の香港年度代表馬、ミリタリーアタックだ。
2012/13年シーズンには年度代表馬のほか、最優秀中距離馬、そして最優秀人気馬の3つの年間表彰タイトルを香港ジョッキークラブのチャンピオンアワードで受賞し、香港競馬史に名を刻んだ。
一方で、多くのファンが「ファウンズの馬」と聞かれて最初に思い浮かべるのは、個性派スプリンターのラッキーナインかもしれない。
世界を舞台に活躍したラッキーナインは、相棒のブレット・プレブル騎手が「アイツ」と呼ぶように、厩舎内でも愛される馬だった。
ラッキーナインは厩舎では離れると人懐っこい性格を見せる一方、レースでは闘志をむき出しにし、2010年の香港クラシックマイルを制覇。その後はセイクリッドキングダムやエアロヴェロシティといった名スプリンターとしのぎを削り、スプリント戦線で輝きを放った。
特に、シンガポールではクリスフライヤー国際スプリントを連覇。ドバイやオーストラリアのG1でも上位争いを演じ、海外通算11戦という香港馬として異例の遠征歴を誇っている。
ラッキーナインは引退後、オーストラリア・メルボルンのリビングレジェンズで余生を過ごしている。

キャスパー・ファウンズ、最大の偉業
ファウンズが2010年にハッピーバレーで記録した「1日6勝」は今も破られていない大記録だ。
しかし、感動という意味で語り継がれているのは、2013/14年シーズンにジョン・サイズ調教師との激戦を制して掴んだ3度目のリーディングトレーナー獲得だろう。
その年、ファウンズはシーズン中に一時19勝差をつけられ、4月時点でも15勝差をつけられていた。それでも最終日に1勝差を覆して逆転し、香港競馬史に残る大逆転でタイトルを奪取した。
この授賞式のステージには、がんと診断されて闘病中だった父ローリーの姿もあった。父はその1年足らずの後に他界することになるが、最後の晴れ舞台を共に迎えた親子の姿は多くのファンの心に深く刻まれている。

キャスパー・ファウンズについて関係者の声
2003年、キャスパー厩舎の初陣を前に、父のローリーはこう語っている。
「キャスパーが自分より優れた調教師になると私は確信しています。キャスパーは若く、時代に合わせて進化する力を持っている。最終的には、彼の存在が香港競馬全体の発展につながるでしょう」
