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最高の騎手の条件を尋ねられたとき、「誰よりもミスが少ない騎手」という声がよく上がる。

もしそうだとしたら、ムーアはピッタリの存在と言えるだろう。彼の最大の強みは、どんなビッグレースであろうと、冷静さを保って臨めることだ。その冷静さが周囲の動きを的確に察知し、レースのペースやポジション取り、仕掛けどころを瞬時に見極める判断力に繋がっている。彼の戦略と仕掛けの感覚は随一で、さらに豪腕を発揮して末脚を伸ばす追い込みも抜群と言えるだろう。

ライアン・ムーアは、イギリス・サセックスの競馬一家に生まれた。祖父のチャーリー・ムーアは中古車ディーラーを営む傍ら、競馬の調教師としても活動していた。父のゲイリー・ムーアは障害競走の元騎手。兄弟のジェイミーとジョシュも元障害騎手で、妹のヘイリーも優秀なアマチュア騎手だった。叔母のキャンディ・モリスも、アマチュア騎手として活躍していた。

ムーアは4歳から乗馬を始め、12歳になると父の厩舎に出入りするようになった。騎手としての初勝利は2000年の5月15日、トウスター競馬場のハードル競走(障害競走)で父の管理馬であるマーシービート(Mersey Beat)に乗って挙げた。その後は平地競馬に軸足を移し、大手のリチャード・ハノン厩舎の所属として2003年に見習い騎手チャンピオンに輝いている。

彼が一流騎手として名を馳せるようになったのは、ニューマーケットのサー・マイケル・スタウト厩舎に移籍してから。2006年には当時23歳の若さで初めてリーディングジョッキーを獲得し、同年にはヨーク競馬場のインターナショナルSをノットナウケイトで制してG1ジョッキーの仲間入りを果たした。

Ryan Moore jockey

ムーアは世界中のメジャーなレースで数々の勝利を収めているが、最大の功績はバリードイルの主戦騎手として長らく活躍していることだろう。2011年後半以降、バリードイル調教場に拠点を構えるエイダン・オブライエン厩舎のファーストジョッキーとして活躍している。名門厩舎の主戦という大役を果たすには極めて優秀な腕が必要であり、それを長年務めているのだから飛び抜けて優秀な存在なのは間違いないだろう。

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かつて、バリードイルの主戦騎手だったジョニー・ムルタ騎手が、イエーツと共に長距離の王者として長年君臨したように、共に時代を創った馬というのはムーアには存在しないかもしれない。しかし、エド・ダンロップ厩舎のスノーフェアリーとは一緒に世界中を旅し、イギリス・アイルランド・香港・日本で勝ち星を挙げている。この牝馬との活躍は、世界的な名騎手としてのキャリアを間違いなく前進させるものだっただろう。

Ryan Moore jockey

ドイツのサッカー界にはバイエルン・ミュンヘンという巨人が長年君臨しているが、ムーアはまさにそのような存在なのではないだろうか。彼は究極のプロフェッショナルという言葉が相応しく、揺るぎない信念と冷静な自信を持って、ビッグレースの勝利に全力を注ぐ。どんな困難にも動じず、冷静な視点で、冷徹なまでのクールな人柄を崩すことは決して無い。

Ryan Moore jockey

イギリスの大手経済誌フィナンシャル・タイムズから「最高の贅沢は?」と尋ねられた、ライアン・ムーア。それに対する答えは、「4人の子供に恵まれることかな」だった。

2023年のG1・BCターフ、オーギュストロダンに騎乗して内ラチ沿いを巧みに抜けて勝った時の名騎乗は、SNS上で大きな話題となった。

これも多くの競馬ファンにとってムーアの真骨頂を知らしめるレースだったが、一番の忘れられない名騎乗はノットナウケイトで勝った2007年のG1・エクリプスSだろう。英ダービー馬のオーソライズドが堂々の1番人気に支持される中、ノットナウケイトは8倍の支持に留まっていた。

しかし、ムーアはここで奇策に出て、最後の直線で馬を外ラチ沿いに持ち出した。1頭だけ外に向けて斜めに走る異様な光景だったが、芝の荒れていない外側を走ったノットナウケイトは番狂わせを起こしてG1制覇を成し遂げたのだった。

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