Aa Aa Aa

「今が転機」香港競馬界の重鎮、HKJCのエンゲルブレヒト=ブレスゲスCEOが明かす “将来のビジョン” とは

HKJCのCEO、ウインフリート・エンゲルブレヒト=ブレスゲス氏とアダム・ペンギリー記者の対談が実現。重鎮が明かした馬券改革、競馬界の変化、そして将来のビジョンとは。

「今が転機」香港競馬界の重鎮、HKJCのエンゲルブレヒト=ブレスゲスCEOが明かす “将来のビジョン” とは

HKJCのCEO、ウインフリート・エンゲルブレヒト=ブレスゲス氏とアダム・ペンギリー記者の対談が実現。重鎮が明かした馬券改革、競馬界の変化、そして将来のビジョンとは。

ハッピーバレーの地下駐車場で高級車の列を抜けると、競馬場に辿り着く。サラブレッドに熱狂するこの街で、競馬が何を意味するのか。香港ジョッキークラブ(HKJC)の職員がそれを肌で感じる場所だ。

水曜の夜、ベストポジションは好み次第だ。熱気渦巻くビアガーデン、コンクリートの高層ビルと竹の足場がコースに巨大な影を落とす最上階のオープンバルコニー、あるいは冷たい飲み物、そして何より空調の効いた法人向けスイートの大窓に張り付くのもいい。

どれも絶景だが、競馬の “鼓動” を最も強く感じるのは地下の小さな区画だ。ソーサー状の小回りコース、1200m標識の真下で、頭上を馬群が雷鳴のように通り過ぎる。カーブが途切れず、騎手たちはわずかな傾きに身を合わせ続ける場所である。

「ここに立つと、頭上を馬が駆け抜ける音が聞こえますよ」とHKJCの職員は言う。

週2回の競馬開催と “次の勝ち馬” を探す誘惑で回り続けるこの街では、競馬の存在を実感せずに歩くことは難しい。

黄昏迫るハッピーバレーのスタンドの高い位置。およそ20年にわたり、この活力に満ちた競馬界を率いてきた男が、完璧な装いで法人エリアに現れ、眼下の唯一無二の競馬場を見渡す。内馬場では市民がレクリエーションスポーツに興じ、人気のランニングコースを人々が周回する中、ナイター照明が灯り始める。

香港を超えて、世界の競馬で強い影響力を持つ人物の一人、ウインフリート・エンゲルブレヒト=ブレスゲス氏(以下、EB)は、その舞台を一瞥すると、次世代のファンを巡る「競馬の挑戦」について語り始めた。

重鎮が語る「競馬の魅力」

議題にタブーはない。世界中の馬券市場を活性化するためのパリミュチュエル方式(トート)とWorld Pool(ワールドプール)の将来像、NBAベッティングへの参入、中国本土で間近に迫る競馬開催、そしてカーインライジング。さらにレーシングNSWのトップ、ピーター・ヴランディス氏との関係や、オーストラリアにおけるブラックタイプ競走を巡る対立まで。

EBはインタビュー用の資料を受け取ったものの、1時間超の対話の間ほとんど目を落とさなかった。HKJCの巨額な納税(301億香港ドル・約5700億円)と香港全域への慈善寄付(約100億香港ドル・約1900億円)については、淀みなく数字を並べる。香港のことは何事も掌握しているのだ。

そして彼は、目先のことにこだわらず、10年先を見据えて行動するタイプだ。シャティン競馬場での大半の開催では、開催終了後にメディアの前に姿を見せている。

「私は通常、5年先の戦略ではなく、10年、時にはそれ以上先を見据えています」とEBはIdol Horseに語る。

「もし自分たちが “マニア向けの競馬” 、さらに悪いのは “マニア向けの馬券” だけに留まってしまえば、この業界は生き残るチャンスはありません。長期的に、HKJCは自らの立ち位置を変えていかなければならないのです」

世界で最も賭けに重点が置かれた香港競馬界を率いる男の口から出た、その率直さは興味深い。日曜、シャティンのメイングランドスタンドを少し歩けば、数万人のファンがデジタルハブ、ラウンジ、レストラン、コンコースの一般席など、目的別のエリアに広がっているのがわかる。場内は常に次レースへのカウントダウンが進み、子どもの入場は認められていない。

その日の早い時間、EBは香港の文化スポーツ観光長官であるロザンナ・ロー氏と会談した。新たな市場開拓のために、他のスポーツやレジャー団体とさらに連携するよう促されたという。

「このスポーツは他にはない特別な存在だと、私は今も信じています」とEBは言う。「馬への愛情、そして競い合う心、こういうのはすべてのスポーツが持っているわけではありません」

「カーインライジングのような馬に対しては、私は『走る詩』と呼んでいます。疾走する馬の美しさには驚嘆するばかりです。そして、この感情的なつながりは、私たちがそれを大切に育まなければ生み出せません」

「スポーツというものは、自分たちの物語を伝えるのが得意ではないと思います。扱っているのは事実やデータといったハードコアな情報ばかりで、どう物語として伝えるかが課題なのです。F1やNBAを見れば、彼らはいまも興味を掻き立てる物語を語っており、それがファンに『もっと知りたい』と思わせているのです」

Ka Ying Rising wins the G1 Centenary Sprint Cup
KA YING RISING, ZAC PURTON / G1 Centenary Sprint Cup // Sha Tin /// 2025 //// Photo by Alex Evers

動き出した “馬券改革”

EBは、世界規模の馬券市場改革の計画についても、もっと人々に知ってもらいたいと考えている。アメリカやフランスのファンが、香港やオーストラリア、ニュージーランドのファンと同じ投票プールを共有する仕組みであるワールドプールは、この5年以上、世界各地の特定の開催で運用され、現在も拡大を続けている。

一方で、国際的な馬券市場のエコシステムはすでに限界に近い圧力にさらされている。

英国では課税強化案に反発して競馬関係者がストライキに踏み切り、オーストラリアでは資金の大半を握るオンラインブックメーカーが、州政府や競馬当局による高額な課徴金に悲鳴を上げている。オーストラリアのトートは長年縮小傾向が続いており、国内の州連盟同士ですら一つのプールに資金を統合できず、国際的な連携など到底実現していない。

「私が見たいのは、業界として世界水準のスポーツを見せ、再活性化に資する十分な流動性を持つ “新しい商品” を作ることです。この業界は、いま曲がり角にあります」

同氏はすでに、豪州で進められている全国統合トートへの移行について、タブコープ社と既に協議を重ねている。ワールドプールの対象開催が増えた場合に備え、技術を集約管理する中央指令センターの設置構想にも言及している。HKJCは香港政府に働きかけ、海外馬券発売を53開催、個別発売レースを43競走にまで拡大することに成功した。

海外馬券発売の多くはワールドプール対象となり、香港をホストとするプールに世界各地の投票が集約される。

もっとも、ワールドプールは批判とも無縁ではない。固定オッズ方式の馬券発売に比べて配当妙味が薄いという指摘、自国より控除率が高いとして大口投票者が参入を渋る声もある。

EBの答えはシンプルかつ力強い。トートなら誰でも金額の上限なく買える一方、固定オッズのオンラインブックメーカーは世界中で勝ち続ける顧客を次々と締め出している。そして将来的には控除率の “調和” も図られるという。

「特にイングランドで起きたことを見ると、固定オッズだからという理由で、大勝ちしていた顧客の口座が閉鎖されたことがあります。顧客のいるエコシステムを維持したいなら、彼らを締め出すわけにはいきません」

「せっかく競馬に参加してくれている人たちを『あなたは競馬界には必要ない』と突き放し、その顧客を、別の商業目的を持つ外部のエコシステムに明け渡してしまっているのです」

「だからこそ私は、ワールドプールがその受け皿になることを望みます。『安心して資金を賭けられる』と言える場所を。そうでなければ、合法市場から資金を追い出すだけです。人々は賭けをやめるか、違法市場へと流れていくかのどちらかになってしまいます」

ワールドプールを推進する過程で、EBは意外な盟友も得た。ピーター・ヴランディス氏である。

この二人は、どこか “同類”とも言える存在だ。収益化に長け、信念に頑固、統括団体を20年以上に渡って率いてきた競馬界の重鎮という点でも共通点を持っている。

ヴランディス氏は10年以上前、急伸するオンラインブックメーカーに対する重要な訴訟で勝利し、ニューサウスウェールズ州(NSW)内の競馬賭博事業者に対価を課すことを認めさせた。他の主要な競馬統括団体もこれに追随した。

この判決はレーシングNSWに巨額の資金をもたらしたが、EBとの仲は改善せず、しばらく険悪な状態が続いていた。香港で30ヶ月間の資格停止処分を受けたクリス・マンス騎手に豪州内での免許を与えた一件も、仲違いの一因だった。

しかし、雪解けは進んだ。総賞金2000万豪ドルのジ・エベレストやザ・チャンピオンシップスが開催される最中、ヴランディス氏は自身のスイートルームにEBを招き、同氏のワールドプール構想を「グローバルな賭けの前進」として支持を表明した。

「私にとって、個人間の問題ではありません」とEBは言う。

「ピーター(ヴランディス氏)は色々な時期を経て、彼の目から見てもワールドプールは “ゲームチェンジャー” だと評価するに至りました。業界のゲームチェンジャーだと考えるものに参加したい、その一心が新たな始まりを生み出す助けになりました」

ジ・エベレストの役割

この “新たな始まり” を後押ししたのが、一頭の馬、カーインライジングだ。

デヴィッド・ヘイズ厩舎が管理する香港のチャンピオンスプリンター、カーインライジングは、13連勝を引っさげてロイヤルランドウィック競馬場のジ・エベレストに本命として挑む。HKJCは出走枠を保有するオーストラリアンターフクラブ(ATC)と交渉し、同団体のスロットから出走させることで合意した。ただし、HKJCにとっては12月の香港国際競走が最重要であり、この遠征がそのスケジュールに支障をきたさないことが前提だった。

カーインライジングは両者に利益をもたらし得る存在だ。EBにとっては、“短距離王国” オーストラリアの中心で、世界最強スプリンターを “香港の誇り” として示すこと。ヴランディス氏にとっては、世界的スターを看板に掲げ、それを利用して馬券売上のボリュームが膨らむことだ。

ジ・エベレストは、アメリカのペガサスワールドカップをモデルとして創設されたレースだ。出走枠の保有者は毎年70万豪ドルを拠出し、自ら選んだ馬を自陣営の看板として走らせる。この巨額賞金イベントが創設されたことで、オーストラリアの競馬観は一変した。

EBはジ・エベレストを創設したヴランディス氏の構想を称え、「オーストラリア競馬界のスプリンター重視と、イノベーションへの志向が高いからこそ成立する」と強調する。

「真の試練は5~10年後に訪れるでしょう。同じ馬が勝ち続けるようならリスクです。適度な拮抗が続く限り機能します。だから、カーインライジングが “呪い” にならないことを願っています」

EBが惚れ込むのはレースそのものだけではない。このレースの『魅せ方と立ち位置』も高く評価している。

HKJCは、サイモン・フラー氏(『アメリカン・アイドル』『スパイス・ガールズ』をプロデュース)が設立したXIXエンターテインメント社と戦略提携を結び、F1のようにエンタメと競馬を融合させることを志向している。

「ジ・エベレストは単なる競馬ではありません。エンターテインメントとマーケティング全体が、F1と似ているのです」

国内外での舵取り

カーインライジングがもたらす熱狂の陰では、オーストラリアの競馬運営者たちはブラックタイプ競走の扱い、血統欄への記載を巡ってなお対立している。

どの州のレースを格上げ・格下げすべきかという長年の争いは、世界の競馬当局を苛立たせてきた。ジ・エベレストとヴィクトリア州のオールスターマイルは、いまやG1競走の格を認められている。オーストラリアではレースの格付けを各州が独自に決定しており、その基準や運用が不透明なため、国際的な統一基準との整合性が取れないことが問題となっている。

IFHA(国際競馬統括機関連盟)とARF(アジア競馬連盟)の議長でもあるEBは、豪州に対する世界の不満が増していることをほのめかす。

「破壊し、革新する。最初はそれで良いのです。ただ、ある時点で制度として形にまとめなければ混乱します。国際的な競馬・生産コミュニティは、それを良しとしません」

「そして今、アジア地域の重賞格付けを管轄するアジア・パターン委員会が認める豪州レースの更なる格上げは、棚上げ状態になっています」

HKJCは来年10月、中国本土・従化競馬場(従化トレセン)での競馬開催という新境地に踏み出す。

これは新しい話題ではない。施設が2018年8月に正式オープンするより遥か以前、北京五輪後には既に構想が浮上していた。現に、カーインライジングも含め、多くの香港所属馬が従化トレセンに拠点を置いている。HKJCはついに、中国における合法的なレースの “幕開け” に踏み切る。

決定すべき事柄は多い。開催数は?出走馬や騎手は?中国の若手騎手育成を優先するのか?それに伴う生産・馬関連産業は?地元の受け止めは?だが、一つだけ確かなことがある。少なくとも、香港やオーストラリアのような馬券発売は行われない、ということだ。

“中国本土開催への熱狂が、実現が視野に入った今になって薄れたのではないか” との問いに、EBはこう答える。

「多くの人が、中国の巨大なギャンブル市場を顧客基盤に取り込めると考え、競馬に熱狂しました」

「しかし、やがて皆が気づいたのです。『そこは新たな宝の山ではなく、誰もが自由に参入できるわけではない』と。香港のような馬券発売が中国で起こることはありませんし、そのような形での実現には懐疑的です。ただ、別の形はあり得ます」

「私たちにとって重要なのは、香港競馬をショーケースとして示すこと。愛国的に聞こえるかもしれませんが、香港が中国の発展に貢献できる役割はあります」

香港競馬に吹く新しい風

従化での競馬開催が始まる頃には、HKJCの調教師・騎手名簿は一変しているかもしれない。ゴドルフィンに所属して8年間、モハメド殿下の専属調教師を務めたオーストラリアのジェームズ・カミングス調教師が、2026/27年シーズンから香港に加わる予定だ。

就任の1年以上前にこうした “大型補強” を公表するのは異例だが、カミングス師に動ける事情が生じ、「少し計画を修正する」必要があったとEBは明かす。

もっとも、騎手の入れ替わりはさらに興味深い。ザック・パートン騎手の君臨は衰え知らずだ。引退をほのめかす発言を時折交えるものの、タイトルは8度、香港通算2000勝の大台にも迫る。

もし、HKJCの狙い通りに進めば、そこに挑戦者が現れる。そう、ジェームズ・マクドナルド騎手だ。

JAMES McDONALD / G1 QEII Cup // Sha Tin /// 2023 //// Photo by Alex Evers/HKJC

今や “世界最高の騎手” となったマクドナルドは、長らくの豪州の絶対的存在だったダミアン・オリヴァー元騎手が持つ、G1最多勝(129勝)の国内記録に目前まで迫っている。香港への本格移籍に関心を抱きつつも、これまでは主にロマンチックウォリアー騎乗の短期参戦に留まってきた。

今季も11月中旬から約6週間の参戦を予定しているが、問題は常設の “席” が用意されるのか、だ。

「誰だって明日にでもジェームズ・マクドナルド騎手を迎えたいでしょう」とEBは肩をすくめる。「違うと言えば嘘になります」

「ただ、マクドナルドのような騎手は皆、それぞれに達成したい目標があります。彼自身が苦しい時期にクリス・ウォーラー調教師がどれほど支えてきたかを見れば、私もウォーラー師のような人物を尊重したいと思います」

「それでも、実現するだろうと私は楽観しています。ボールはJ-Macの手にある。もしかしたら、誰かが引退して “ナンバーワン” になれるタイミングを待っているのかもしれません。その方が移籍しやすくなるでしょうから」

パートンの引退に合わせてマクドナルドが移籍するのは筋が通る。だが、両雄が真っ向からぶつかり合う光景も見てみたい。

「ザックは素晴らしい騎手で、彼の功績を過小評価するつもりはありません。ただ、彼はいつも少し引退をほのめかしています。だからこそ時には、『私たちはあなたを大切に思い、愛している』と伝えることが大事なのです」

「そして、私の見解では “3人のスーパースター” が常に必要です。3人を超えてトップがひしめくと、非常に難しくなることがあります」

豪州競馬のG1リーディングトレーナー、クリス・ウォーラー師の招聘も、EBが「達成したい」と願う長年の野望だ。ただし、シドニーを拠点に巨額ビジネスを回す現状を踏まえ、「香港移籍の可能性は限定的」だと認める。

彼の大胆な試みが完全に潰えたわけではないが、蒸し暑い夜、ハッピーバレーの山並みの向こうに日が沈み、やがて競馬場の眩い光があたりを覆う頃、その希望は遠い地平線の彼方へと薄れていった。

この王国を長く治めてきたEBに、まだ歩みを止める気配はない。新たな世界的フロンティアが待つ一方、ハッピーバレー地下駐車場に高級車を停める馬主たちを満足させ続ける必要もある。

彼は携帯を手に取り、こう呟いた。

「まったく、1時間で届くメールの数には驚きますね」

その数、正確には63通だった。

アダム・ペンギリー、ジャーナリスト。競馬を始めとする様々なスポーツで10年以上、速報ニュース、特集記事、コラム、分析、論説を執筆した実績を持つ。シドニー・モーニング・ヘラルドやイラワラ・マーキュリーなどの報道機関で勤務したほか、Sky RacingやSky Sports Radioのオンエアプレゼンターとしても活躍している。

アダム・ペンギリーの記事をすべて見る

すべてのニュースをお手元に。

Idol Horseのニュースレターに登録