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そこに住んでいたり、近隣の街に住んでいる人でなければ、ベリウィロックという街の名を知る人は少ないだろう。100年の歴史を持つ小さな小麦農業の町で、直近の統計によると人口は200人に満たない。
失礼を承知で言えば、オーストラリアの奥地のほぼ “ど真ん中” 、何もない場所にある。

メルボルンカップの少し後、この街にはメルボルンカップの優勝トロフィーがやってきた。その光景はまるで映画から抜け出してきたかのようだった。

ベリウィロックが誇る息子、ダレン・ウィアー調教師は、単勝101倍の伏兵だったプリンスオブペンザンスを勝利に導き、メルボルンカップ史上に残る大金星を演出した。そして、鞍上のミシェル・ペイン騎手は “オーストラリアで最も偉大なレース” を制した初の(そして今も唯一の)女性騎手となった。

ウィアーは非常に人気のある人物だった。その理由の一つは、自身の故郷を大事にしていたからだ。

彼は田舎訛りの口調で話し、オイルマネーの大富豪や大規模な牧場よりも、地元の普通の夫婦が持つ馬のために調教する方が性に合っていた。また、自分の管理馬に賭けるのも大好きだった。

そして、トロフィーを持ち帰る最初の機会が訪れると、すぐさま穀倉地帯の “サイロの町” へと戻った。マレー川のヴィクトリア州側では一番と称される、天性のホースマンが凱旋した瞬間だった。

「どんな馬でも扱えるヤツです」

そう語るのは、ウィアーの父親であるロイだ。“ボス” の愛称で親しまれていたロイ・ウィアーは、当時のヘラルド・サン紙の取材にこう話していた。

あとひと月余りで、ウィアーがメルボルンカップを制してから10年目の節目を迎える。今では、その名がレースの歴史から消されても構わないと考え、いわば『黒歴史』として扱う人たちも少なくないのではないか気配すらある。

競馬ファンはペインの “ガラスの天井” を打ち破った瞬間を熱く語り、この馬が勝つとは誰も思わなかったと口を揃えて言うだろう。だが、果たして調教師の名に触れる者はいるのだろうか。

ウィアーはオーストラリアでの調教師業から離れてから、6年の歳月が過ぎた。再びその日が訪れるのかどうか、誰にも分からない。

2019年初頭、夜明け前の緊急監査で、ウィアー師の厩舎の一つに警察とレーシング・ヴィクトリアの裁決委員が入った。敷地内の家の寝室からは4つの電子機器、いわゆる “ジガー” が見つかった。

この装置はオーストラリア競馬の中では長らく悪名高く、ライバルに対して優位を得ようとする最後の手段として使われてきた。要するに、走行中に電気ショックを与え、馬を驚かせて速く走らせようという意図である。ウィアーはこの装置の所持により、レーシング・ヴィクトリアの裁決に即座により4年間の資格停止処分を受けた。

当時のウィアーは、いかにもオーストラリアらしい成り上がり物語の体現者だった。田舎者が身ひとつでのし上がり、国内で最も勝ち星を挙げる調教師となっていた。しかしその後、長く残念な顛末が続くことになる。

ウィアーは動物虐待容疑での警察による長期の訴追に直面し、2018年のメルボルンカップに向けての調教過程で3頭(レッドカーディナル、トーセンバジル、ヨギ)に電気装置を使用したことを認めた。この3頭は当時、出走枠をかけて争っている最中だった。

最終的に、彼はオーストラリアの裁判所から3万6000豪ドルの罰金を科されたが、有罪判決が下されることはなく、前科も付かなかった。

衝撃的だったのは、法廷で15分間の監視ビデオが上映されたことだ。そこには、レース当日にブリンカーの装着を合図に速く走れるよう、電撃を与えて調教するウィアーの姿が映っていた。今月までは、その映像を見たのは法廷の中の人間だけだった。

しかし、ジ・エイジ紙やヘラルド・サン紙などのメディア各社が映像公開を求め、ヴィクトリア州の競馬裁判所に申請したところ、これまで極秘だった映像の公開が認められた。

この映像は瞬く間にテレビのニュースや各種ウェブサイトで流された。国内最大のレースに向けた “調教” のため、トレッドミル上で疾走する馬に電気ショックを加えるオーストラリア競馬界の重鎮。見る者の胃を痛くするような不快な映像は、その衝撃とともに全国へと広まった。

では、この映像公開は、ウィアーの調教師復帰の望みを絶つ結末なのだろうか。

競馬界は社会的な受容を維持するため、日々、綱渡りのような業界だ。名前をグーグルで検索すれば、競走馬に電気ショックを与える映像が即座に出てくるような人物を、再び迎え入れることができるのだろうか。

現状、ウィアーは刑事手続きの中で電気装置の使用を認めたことに対し、さらに2年間の資格停止処分を科されている。これは以前の4年に追加されたもので、最新の調教師免許の停止処分が明けるのは来年9月となっている。

警察からの起訴に臨む中で、ウィアーの弁護人は法廷に対し、彼が「いずれは競走馬の調教に戻りたい」と語ったと明かした。彼はかつて多くの人々から愛された存在であり、当然と言うべきかその大きな支持基盤は縮小したが、それでもなお支援者は残っている。

この6年以上、元調教師となったウィアーは頑として沈黙を守り、目立たぬように過ごしてきた。そして、自らの行為について悔恨の意を示している。もしオーストラリアの競馬界に戻ることを望むのなら、その命運はレーシング・ヴィクトリアの理事会の手に委ねられるだろう。理事会は、競馬の一般社会における反応という地雷原を、日々つま先立ちで歩く立場にある。

Idol Horseの取材に対し、レーシング・ヴィクトリアのアーロン・モリソンCEOは「私たちはダレン・ウィアーの行為とその所業を強く非難します」と述べる。

「当初から、私たちはその行為を “忌まわしい” と呼び、当時の会長もかなり強い言葉を使いました。『正しいことを行い、馬を大切にする何千人もの人々への侮辱行為に過ぎない』という表現です。それが私たちの立場であり、100パーセント揺るぎません」

では、ウィアーに “復帰への道” は残されているのだろうか。

「将来の理事会の決定について私が申し上げることはできませんが、世論はかなり明確でした」とモリソン氏。「ここで言う世論とは、業界内の人々と一般の人々の双方を指します。あの行為を容認する者は誰もいません。そんなものに居場所はないのです」

当面、ウィアーは、映像など一度も公開されなければよかったと願いながら、待ち続け、案じ続ける時間を過ごすことになる。

振り返れば、父の言葉はほとんど正しかった。ウィアーは「どんな馬にも何だってさせられる」と考えていたのだ。

その代償は、キャリアの再生の可能性すら奪いかねない。

アダム・ペンギリー、ジャーナリスト。競馬を始めとする様々なスポーツで10年以上、速報ニュース、特集記事、コラム、分析、論説を執筆した実績を持つ。シドニー・モーニング・ヘラルドやイラワラ・マーキュリーなどの報道機関で勤務したほか、Sky RacingやSky Sports Radioのオンエアプレゼンターとしても活躍している。

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