ダグ・ワトソン厩舎のカビールカーンは、昨年のアルマクトゥームチャレンジを制し、カザフスタンの未勝利戦から世界屈指の競馬場でのG1制覇へと駆け上がる前例のない快挙を達成し大きな話題を呼んだ。
そう、彼のキャリアはカザフスタン最大の都市アルマトイで始まった。しかし、同国は優秀な競走馬の生産地として知られているわけではない。今週、メイダン競馬場で「カビールカーン以外にカザフスタンについて何を知っているか?」と質問すると、最も多かった答えはサシャ・バロン・コーエン演じる風刺キャラクターの『ボラット』だった。

もっとも、ワトソン調教師自身も昨年の時点ではカザフスタンにほとんど馴染みがなく、国名を「カジクスタン」と間違えていたことを認めている。しかし、2025年には何度も話題に上ることを予見していたため、このオフシーズンには正しい発音を学んでいた。
UAEリーディングトレーナー8回の実績を持つワトソンには、その成果としてカザフスタン馬2頭が新たに加わった。バロバンとアーランである。彼らは昨年10月の地元G1でワンツーフィニッシュを果たし、金曜日のG3・UAE2000ギニー(1600m)に出走する予定だ。そしてその数時間後には、カビールカーンがワトソンに再びビッグタイトルをもたらすべく、アルマクトゥームチャレンジに挑む。
旧ソ連圏の影響がドバイ競馬に及ぶのは初めてではない。過去にはチェチェンの独裁者ラムザン・カディロフが馬主として存在感を示していたが、2021年にアメリカの制裁措置を受け、馬主資格が停止された。
昨年のゴールデンシャヒーンを制し、今年も金曜夜のレースに出走するタズも、ロシアから頭角を現した一頭である。また、2022年のUAE2000ギニーはロシア調教馬のアジュールコーストが制している。
しかし、カザフスタンは突如として未来のスターを生み出す新興競馬国として台頭してきた。
1930年に設立されたカザフスタンのアルマトイ競馬場は、ソビエト連邦時代においてモスクワ、ピャチゴルスク(いずれも現在のロシア)と並ぶ三大競馬場のひとつとされていた。しかし、1990年代後半には旧ソ連の多くの場所と同様に荒廃し、ほとんど使用されなくなっていた。
それでも2016年に競馬が再開され、住宅開発の計画があったにもかかわらず、2019年にはカザフスタンの文化遺産登録がなされ、長期的な存続が保証された。
昨年のカビールカーンの勝利は瞬く間に世界中に拡散され、特にアルマトイでの未勝利戦の映像と、メイダンの壮大なスタンドの前での勝利を比較した動画が話題となった。また、アルマトイ競馬場のレースを捉えたセンセーショナルなドローン映像は、同地と世界の主要競馬場との格差を鮮明に浮かび上がらせた。
カザフスタンではサラブレッドの生産は限定的で、大半の競走馬はアメリカから供給されている。カビールカーンも例外ではなく、父カリフォルニアクロームに瓜二つの姿を持つこの馬は、ケンタッキー州で生まれ、2021年のキーンランド・セプテンバー・イヤリングセールで1万2000ドルで取引された。
カビールカーンはアルマトイからロシアへと舞台を移し、ピャチゴルスク、ナリチク、ジョージア(グルジア)国境近くの黒海沿岸に位置するクラスノダールといった競馬場で着実に出世。ロシアダービーで2着に入ると、2023年末にドバイのワトソン厩舎へと移籍した。
現在では、金曜のUAE2000ギニーに出走する2頭のように、カザフスタンから直接UAEへ馬が送られるケースも出てきている。この流れは今後も続くと見られ、裕福なカザフスタンの馬主たちはここ数ヶ月で世界中から50頭以上を購入している。
そしてカビールカーンにとって、アルマクトゥームチャレンジでの好走は、総賞金2000万ドルを誇る来月のサウジカップへの出走権を意味する。これは、優れた競走馬はどこからでも生まれ得ることを証明する新たな一章となるだろう。