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日本競馬にとって高い壁として立ちはだかる、フランスの凱旋門賞。今年のパリロンシャン競馬場ではダリズに後塵を拝し、日本馬はまたしても惜敗に終わることになった。初制覇の夢に向けた挑戦は、来年に持ち越しとなる。

金曜と土曜にかけて降り続いた雨により、凱旋門賞当日の馬場は『tres souple』(重馬場)に悪化。これまでの日本馬がロンシャンの重馬場に苦しんだように、今年の出走馬も緩い馬場に苦しみ、それぞれのベストパフォーマンスを発揮することは叶わなかった。

レースの発走時刻が近付くに連れて、パリロンシャン競馬場の周辺は雨が強まり始めた。その最中で行われた凱旋門賞は、ダリズとミニーホークの2頭が抜け出して競り合う展開に。最後に抜け出し、1着を勝ち取ったのはダリズだった。

ダリズの父・シーザスターズは2009年の凱旋門賞馬。母のダリヤカナは同年の香港ヴァーズを制しており、半兄のダリヤンが現役時代に仏G1・ガネー賞を制している。

2頭から大きく離れた、5馬身半差の3着にはソジーが入った。昨年の香港ヴァーズを制したジアヴェロットは4着だった。

緑と赤の勝負服で知られるアガカーンスタッドが輩出した凱旋門賞馬は、ダリズで7頭目となる。2月に88歳で逝去されたアガ・カーン4世の所有馬としては、5頭目の凱旋門賞制覇となった。なお、ミカエル・バルザローナ騎手とフランシス=アンリ・グラファール調教師はともに初制覇だった。

「この勝負服なら、きっとできると信じていました」とバルザローナ騎手。「この勝負服を身に纏い、偉大な先人たちと同じ道を歩むことが出来て、本当に幸運に思います」とレース後のインタビューで語った。

「2着、3着はありましたが、ついに勝つことができました。この馬のことはずっと高く評価していましたし、前から期待していました。今日の末脚は信じられない加速でした」

ビザンチンドリームが5着で日本勢最先着、クロワデュノールが14着、アロヒアリイが16着だった。

今年の3頭がいずれも着外に終わったことで、1969年以降に凱旋門賞へ挑戦した日本馬は計38頭となったが、いまだに勝利は掴めていない。

エルコンドルパサーからディープインパクト、ナカヤマフェスタ、そしてオルフェーヴルに至るまで、日本の凱旋門賞挑戦の物語は、長らく惜敗の歴史が続いており、日曜日のレースもまた、その物語に新たな一章を加えるものとなってしまった。

日本時間の午後11時5分、深夜にもかかわらずライブビューイングが実施された東京競馬場では、結果を受けて失望のムードに包まれていた。

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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アンドリュー・ホーキンス、Idol Horseの副編集長。世界の競馬に対して深い情熱を持っており、5年間拠点としていた香港を含め、世界中各地で取材を行っている。これまで寄稿したメディアには、サウス・チャイナ・モーニング・ポスト、ANZブラッドストックニュース、スカイ・レーシング・オーストラリア、ワールド・ホース・レーシングが含まれ、香港ジョッキークラブやヴィクトリアレーシングクラブ(VRC)とも協力して仕事を行ってきた。また、競馬以外の分野では、ナイン・ネットワークでオリンピック・パラリンピックのリサーチャーも務めた。

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