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ケンタッキーダービー初参戦、モレイラ騎手がアメリカではなく香港を選んだ『運命の分かれ道』

今週のケンタッキーダービー、ジョアン・モレイラ騎手はルクソールカフェと久々にアメリカでの騎乗に臨む。アメリカ移籍の誘いを断ってシンガポールから香港に渡ったとき以来、長年の時を経てアメリカに戻ってきた。

ケンタッキーダービー初参戦、モレイラ騎手がアメリカではなく香港を選んだ『運命の分かれ道』

今週のケンタッキーダービー、ジョアン・モレイラ騎手はルクソールカフェと久々にアメリカでの騎乗に臨む。アメリカ移籍の誘いを断ってシンガポールから香港に渡ったとき以来、長年の時を経てアメリカに戻ってきた。

ブラジル出身の名手、ジョアン・モレイラ騎手が最後に北米でレースに騎乗したのは、実に12年前までさかのぼる。しかし土曜日には、日本からの刺客であるルクソールカフェに騎乗し、G1・ケンタッキーダービーという大舞台に挑む。

だがモレイラは、その驚異的な才能を香港ではなくアメリカで開花させる可能性もあった。

2013年、彼のキャリアを大きく左右する『運命の扉』がそこには存在していた。当時、シンガポールからアメリカへ移るというウェスリー・ウォード調教師からの魅力的なオファーを受けるか、あるいはより近場の香港に拠点を移し、香港ジョッキークラブ(HKJC)の通年騎手としてシャティンで騎乗するか、という選択肢が目の前にあったのだ。

「(ウェスリーから)オファーはあった。話はまとまりつつあったんだけど、その時ちょうど香港のスティーヴ・レイルトンから連絡があって、続けて調教師のジョン・ムーアとジョン・サイズからも電話があったんです」とモレイラはIdol Horseに語った。

当時、レイルトン氏はHKJCのライセンス委員会の事務局長を務めており、騎手の招聘を担当する立場にあった。そしてムーア、サイズの両調教師は、言わずと知れた香港のトップトレーナーであり、前者はG1戦線の帝王、後者は未出走馬を一流馬へと育て上げる名匠だ。

「最終的に香港を選んだんだ」とモレイラは続ける。

「アジアに拠点があって、アジアでの知名度もあったから、自分と家族にとってはそちらの方がいい選択だと思った。アメリカに行かなかったことを後悔しているわけじゃない。後悔はしていない。でも、時々考えることはあるんです。もしアメリカに行っていたら、どうなっていただろうって」

「もしかしたらアメリカに行っていた方が良かったかもしれないし、逆にひどい結果になっていたかもしれない。でも、過去には戻れない。今、再びアメリカで騎乗するチャンスを得たわけです」

ケンタッキーとフロリダを拠点にしているウェスリー・ウォード調教師が、モレイラの並外れた才能に気づいたのは、競馬に対して国境を越えた視点を持っていたからだ。彼は当時、シンガポールで行われていた国際競走に注目しており、そこでモレイラの存在を見出した。

クランジ競馬場では、モレイラはまさにスーパースターだった。ありとあらゆる記録を塗り替える圧倒的な存在感を示し、シンガポールで4年連続のリーディングジョッキーに輝いた。2013年シーズンの残り2か月以上を残して香港に移籍したにもかかわらず、その年もタイトルを手中に収めていた。

Joao Moreira wins on War Affair at Kranji
JOAO MOREIRA, WAR AFFAIR / G2 Golden Horseshoe // Kranji /// 2013 //// Photo by Neville Hopwood

「その判断が正しかったかどうかは分からない。というのも、あの時点でのモレイラはどこへ行っても成功していただろうでしょうからね。オーストラリアだろうとイギリスだろうと、どこだって良かったと思う」

ウォード調教師はモレイラについて、このように振り返る。

「彼はとてつもなく才能がある騎手で、どんな馬に乗せても、いつもより速く走らせることができた。理由は分からないけど、彼はそういうジョッキーなんです」

「シンガポールのレースを見ていた時に、ふと彼の騎乗が目に留まった。いくつかの馬をシンガポールの国際競走に出すことを考えていたから、あの地域のレースをよく見ていたんだ。彼が馬を追い込む様子や、全体の流れを読む力は並外れていた。まさに特別な才能だったよ」

共通の知人を通じて、ウォードとモレイラはつながり、モレイラは2013年5月に短期滞在でアメリカへ渡った。

「実際に向こうに行ったんだ。その時、ウェスリー・ウォードが騎手を探していて、『ジョアン、君の騎乗は素晴らしい。アメリカで乗ってみないか?』と言われたんだ」とモレイラは回想する。

彼は最初、アーリントンとチャーチルダウンズで3日間騎乗した。その間に7鞍に乗り、チャーチルではジュディザビューティとのコンビでG3で2着、プリンセスミリーで未勝利戦を制している。プリンセスミリーの単勝は53.20ドルだった。

「あの馬には多少の素質はあったけれど、あんな大穴で勝つとは思わなかった……私が出走させる馬はほとんどが上位人気馬で、しっかり準備した上で臨むからね。だから、そんな大穴で勝つことはあまりないんだ」とウォードは語る。

「誰が乗っても勝てたかは分からないけれど、彼が勝たせた。『マジックマン』と呼ばれているのも納得です。彼については、世界中でそんな『信じられない勝ち星』の話が山ほどあるわけですから」

モレイラはその年の7月初旬に再びアメリカを訪れ、3日間騎乗した。その際は10鞍に騎乗し、1勝を挙げたほか、ジュディザビューティをG1・プリンセスルーニーハンデキャップで2着に導いている。

「彼はとても素晴らしい人物で、家族思いの男だ。モレイラ自身のキャリアと人生のその時点において、アメリカで騎乗するのは絶好のタイミングだと思ったんだ」

その年が進むにつれ、モレイラはシンガポールを離れる時が来たと確信するようになった。とりわけ、当時の彼の圧倒的な成績と、30歳に近づいていた年齢がその決断に影響していた。

「シンガポールの競馬で、ある日すべてのレースに勝ったことがあったんです」とモレイラは振り返る。それは自身のキャリアにおいて、1日8勝を挙げた3回のうちの2回目のときの話だった。

「その日は9レースあったんだけど、そのうち1レースは見習騎手限定戦だったから乗れなくて、それ以外のすべてのレースで勝った。だけど、そんな日にすら、僕が勝っているのに不満げな人がいて。それで考えたわけです。『勝てなければ不満を言われ、勝っても不満を言われる。じゃあ、いつになったら彼らは満足するんだ?僕が彼らのなりの仕来りに加わるようになったときか?』って」

「誰かから『馬を抑えて走らせてくれ』なんて頼まれたことは一度もなかった。でも、自分は勝利を目指して本気で取り組んでいたし、それでもう、ここを出る時が来たんだと感じたんだ」

モレイラが香港へと拠点を移したことで、彼はシャティンで4度のリーディングジョッキーに輝き、数々のG1競走を制し、日本、オーストラリア、ドバイといった国々でも主要レースを勝利。そして彼は、世界屈指の名調教師たち、クリス・ウォーラーや、ルクソールカフェを管理する堀宣行、さらにはムーアやサイズといった名伯楽たちと強いパートナーシップを築いていった。

現在のモレイラは、故郷であるブラジル・クリチバを拠点としながら、短期参戦で日本やオーストラリアに遠征し、香港、ドバイ、サウジアラビアといった各地の大レースに単発で騎乗するスタイルを取っている。

4月には日本で短期免許を取得して騎乗しており、その間にG1レース4戦中3勝という絶好調の成績を収め、日本のクラシックで二冠(皐月賞、桜花賞)を制した。また先週末には、東京競馬場で4勝、続く香港で2勝を挙げている。

そして今、モレイラはルクソールカフェに騎乗して、この勢いのままチャーチルダウンズでの最高峰の舞台、ケンタッキーダービーに挑もうとしている。

Joao Moreira wins the Hong Kong Derby on Rapper Dragon
JOAO MOREIRA, RAPPER DRAGON / Hong Kong Derby // Sha Tin /// 2017 //// Photo by Lo Chun Kit
Satono Crown wins G1 Hong Kong Vase
JOAO MOREIRA, SATONO CROWN / G1 Hong Kong Vase // Sha Tin /// 2016 //// Photo by Vince Caligiuri

「チャンスはありますし、リスペクトされて然るべき馬です」とモレイラは語る。

アメリカンファラオ産駒のルクソールカフェは、4連勝の勢いを持ってダービーに挑む。昨年の『バラの一冠』で惜しくも3着だった同じ日本馬のフォーエバーヤングの後を追うように、注目を集めている存在だ。

「世界中で日本馬の活躍が目立ってきていますし、今回私が乗るこの馬も、ここで好走できると思わせてくれる十分な材料を持っています」

そしてモレイラは、アメリカという未知の環境で戦うことに不安はないと語る。

「アメリカの競馬は、世間が思うほど難しくないんです」

「確かにダート競馬はスピード勝負になりますが、ブラジルにもダート競馬はあります。アメリカほど速くはないかもしれませんが、似ている部分もあります。これは断言できますが、良い馬に乗ればダートは簡単です。逆に、能力が足りない馬に乗れば苦戦します」

「アメリカの競馬はとても速く、キックバックが強烈です。あれに対応できる馬は多くありません。だから、ルクソールカフェがそれに対応できるかどうか、確実なことは言えません。でも、挑戦する価値はあります」

「向こうの騎手たちはとても優秀で、戦術的で、アグレッシブです。でも、それはブラジルの騎手も同じです。リオに行ってみてください。本音を言うと、リオやクリチバで騎乗する方がよっぽど難しいですよ。競馬のレベルが低い分、すべてが難しくて、複雑なんです。競馬の質がどうこうという話ではなく、何一つとして簡単にいかない環境なんです」

Raptors G1 Grande Premio Brasil
JOAO MOREIRA, RAPTORS / G1 Grande Premio Brasil // Rio de Janeiro /// 2023 //// Photo by Sylvio Rondinelli

ウォードは、モレイラは今週末チャーチルダウンズで行われるアメリカ最大のレースに騎乗するのにふさわしい騎手であり、それに疑いの余地はないと語る。

「彼は特別な騎手です。世界中で騎乗経験があり、大人数立てのレースも数多くこなしてきました。それこそが今回求められていることです」

「彼は非常に適応力が高く、問題なく対応できるでしょう。私が騎手だったら、あるいは他の多くの騎手なら苦戦するでしょうが、彼にとっては問題ありません。ケンタッキーダービーでは瞬時の判断が求められますが、彼にはそれができる。あのレースにこれ以上ふさわしい男はいないと思いますよ」

モレイラは、ルクソールカフェのレースに向けて、いつものように万全の準備で臨むつもりだ。

「ケンタッキーに着いたら、優れた騎手がするべき仕事をします。コースを歩いて、たくさんレース映像を見て、出走馬の研究をして、しっかり準備してレースに臨み、良い結果が得られるようにします」

そして彼は、歴史と名声に彩られたケンタッキーダービーというレースに騎乗できることを心から喜んでいる。この週末は彼にとって非常に重要なものとなるかもしれない。なぜなら、翌日にはシダーデジャルディン競馬場で行われるG1・グランプリ・サンパウロでティリオンに騎乗する予定だからだ。

「最高だよ。素晴らしい経験になるだろうし、そのあと飛行機でサンパウロに移動して午後にはレースに乗るんだ。あれはサンパウロで最大のレースだし、自分が乗る馬は大本命ですからね」

モレイラは、すでに世界各地で名を知られたスターだが、アメリカではまだそれほど知られていない。もしケンタッキーダービーで勝利すれば、北米の競馬界にもその名が轟き、数年前にウォードの誘いを断ったその後に、アメリカでの新たな騎乗機会が生まれるかもしれない。

「もし彼がアメリカに残ってくれる、あるいは戻ってきてくれるなら、大歓迎だよ。そうなれば素晴らしいね」。ウォードはそう語った。

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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