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「本当に貴重なんです」ジョアン・モレイラはIdol Horseにそう語った。興奮の強調は「very」の語尾、長く滑るように伸びた「e」にも現れていた。

モレイラが話していたのは、オバタイェがやってのけた偉業についてだ。次の言葉が、その“貴重さ”がどれほどのものかを少しだけ浮き彫りにしていた。「この30年間、ブラジル馬でこの馬がやったことをやった馬は他にいません。とても印象的です」

正確には言えば、31年間だ。

オバタイェは初めてブラジルの国外へ遠征し、サンイシドロ競馬場の世界的に有名な一戦、G1・カルロスペレグリーニ大賞という、アルゼンチン最高峰の一戦を制した。これは確かに見事な偉業だが、1994年以降、ブラジル馬の勝利は6頭目である。希少ではあるが、本当に貴重とまでは言い切れない。

本当の稀さは別にある。オバタイェの勝利が南米の主要タイトル3つ目だったことだ。2024年6月のG1・ブラジル大賞、2025年10月に行われた大陸最大のレースであり開催地が持ち回りとなるG1・ラテンアメリカ大賞に続いてのものだった。

「こういう形で国際G1を3つ勝ったブラジル馬を探すなら、マッチベターという馬まで遡らないといけません」とモレイラは言う。「マッチベターはサンパウロ大賞、ブラジル大賞、そしてカルロスペレグリーニ大賞を勝ちました」

それはすべて1994年のことで、鞍上には、もう一人の偉大なブラジル人ジョッキー、ジョルジ・リカルド騎手がいた。マッチベターはその年、G1・凱旋門賞に挑戦するため欧州に遠征し、20頭立ての14着、勝ち馬から6馬身半差で敗れた。その後、1996年にはガベア競馬場でラテンアメリカ大賞を勝っている。

とはいえ、オバタイェの物語をさらに貴重なものにしているのは、馬と騎手の絆だ。2021年の夏、モレイラはオバタイェと初めて出会った。同馬は2020年の8月27日生まれ、当時はまだ生後10か月か11か月ほどだった。

ジョアン・モレイラはその姿に惚れ込み、弟のジャイルにこの若駒を勧めた。オバタイェは1万2000米ドルで購入された。

この牡馬は、モレイラの友人である獣医師、エルナーニ・アゼヴェド・シルヴァ氏の牧場へ送られた。そこで競走馬としてのキャリアに向けた下地を作り、その後、モレイラの故郷クリチバにあるパラナジョッキークラブで調教段階へ移った。

Obataye at 11 months old in 2021 when Joao Moreira first encountered the horse
OBATAYE / 2021 // Photo supplied by Joao Moreira

「最初から、すぐに良い馬だと分かっていましたが、どれほど良いかまでは分かりませんでした」とモレイラは言う。

「育ってくる馬の中でも一頭抜けた存在だとは思っていたので、急がせず成長の時間を与えました。毎週少しずつ良くなっていって、7月1日で3歳になるところだったので、2023年6月30日に初出走させました。そして大差で勝ったんです」

それは、モレイラが香港での輝かしい時代に区切りをつけ、クリチバへ戻ってから約7か月後のことだった。香港では9シーズンで4度リーディングに立ったが、キャリアを早々に終わらせかねなかった慢性的な股関節の故障が、香港を去る決定的要因となった。

そして、その股関節の状態があるからこそ、アントニオ・オルドニ調教師のオバタイェに跨るのは、競走当日か、最後の大事な追い切りのときだけになっている。

「追い切りで乗るのは本当に少ないんです。元ジョッキーのマヌエル・アウレリオ氏が、毎日この馬に乗っていて、オバタイェのことをよく分かっているからです。彼とはずいぶん昔、一緒に乗っていました」

「朝は乗りやすい馬ではありません。とにかく重いんです。引っ掛かるわけではないし、ハミ受けがとても軽いんです。でも、ペースを上げてギャロップに入れると、馬体にボリュームがあり過ぎて、こちらが引きずられる。じゃあどうするのか。今のこの股関節じゃ、それは無理なんです」

「オバタイェが2周するなら、1周目はまだしも、2周目は持ちません。だから、『もう彼に任せてください。彼のほうが私より上手くやれます』と言うだけです。私が乗れないわけじゃない、乗れます。でも、ただ身体がもたない感じなんです。だから注意深く見て、メインの追い切りだけは私が乗るんです」

地元のコースで初戦を勝った後、オバタイェは陸路で数時間移動してサンパウロへ向かい、シダーデジャルディン競馬場でマイル戦を勝った。この2勝があまりに鮮烈だったため、オバタイェはサンパウロ三冠に進み、G1・イピランガ大賞で3着、G1・サンパウロジョッキークラブ大賞は4着、G1・ダービーパウリスタ大賞では3着という成績を残した。

だが、その2勝とクラシック路線の間に、オバタイェをリオ・イグアス牧場へ売却する決断が下された。ペランダ家が率いる、規模を増す生産・競走の一大陣営だ。

「私はこの大馬主(リオ・イグアス)のために乗り始めたばかりで、彼らに、オバタイェの持分を持つべきだと説明しました」とモレイラは経緯を明かす。「分かったと言ってくれました。勝ち方を見れば3歳三冠の有力馬になるはずでしたから、かなりの割合の持分を買ったんです」

「馬は同じ厩舎に置いたままで、3歳の3つのレースすべてで良い走りをしました。負けはしましたが、とても良い競馬をして、全部きちんと走ってくれて、それから大きいところを勝っていったんです」

クラシック路線の後、G3を3勝。続いて2024年5月のG1・サンパウロ大賞で2着、翌月のG1・ブラジル大賞で栄冠を掴んだ

4歳シーズンは波があった。2敗、下級条件での1勝、G1・サンパウロ大賞4着、ブラジル大賞7着。だが5歳で始動すると、オバタイェは花開いた。

8月にG1・マチアスマックリーニを勝って始動し、次はガベア競馬場でラテンアメリカ大賞を制した。そしてカルロスペレグリーニ大賞の勝利が続き、名実ともに王者となり、抜けた存在になった。

「その土曜日、私はブエノスアイレスで3鞍乗って、オバタイェの前の2つは両方とも惨敗でした」とモレイラは語り、18レース開催の日のことを振り返る。この日は、満員で沸き立つサンイシドロ競馬場のスタンドの前で、フランキー・デットーリ騎手が条件戦を勝つ場面もあった。

だが、その2敗の失望はすぐに過去のものとなる。モレイラがパドックに入り、オバタイェを見た瞬間に消え去った。

「大きく見えた。いや、圧倒的に大きかった。良い意味で衝撃を受けました。その時点で、もう勝つと分かりました。あいつは怪物です。ツヤがあって、締まっていて、力強い。全部持っている。スケールがあって、気性がとても良くて、とても賢いタイプで、加速もすごく良いんです」

「レースでは、合図を出して行かせたら、先頭から3馬身後ろにいたのに、3秒で前に3馬身出た。加速は本当に印象的でした。全体としても、オバタイェの勝ち方の中で一番印象的だったと思います」

「ここはレベルが高い。アルゼンチンは年に7000頭近く生産するんだから、良い馬がいて当然ですし、このレースで当たった相手も、私の見立てでは強かった。周りに実績があるG1の勝ち馬がいました。パドックで見ても、みんないい馬でした」

「私は自分が100パーセントうまく乗れたとは思いません。下手に乗ったという意味ではなくて、少し早く動かされる形になったからです。前に出るのが早過ぎて、最後のひと伸びで脆さが出ました」

Obataye and Joao Moreira win the G1 Gran Premio Carlos Pellegrini in Argentina
OBATAYE, JOAO MOREIRA / G1 Gran Premio Carlos Pellegrini // San Isidro /// 2025 //// Photo by hipodromosanisidro.com
Frankie Dettori and Joao Moreira after the G1 Gran Premio Carlos Pellegrini in Argentina
FRANKIE DETTORI, JOAO MOREIRA / San Isidro // 2025 /// Photo by hipodromosanisidro.com

オバタイェの物語における主役はモレイラだが、彼は忘れず、深い敬意を抱くオルドニ調教師を称える。

モレイラは「とても謙虚な人です」とオルドニについて言う。「ほとんど24時間、馬と一緒に生きているような人です。家で寝るのは1日4時間くらいで、また厩舎に戻る。そして決して不満を言いません」

だが、この名手は、オバタイェの成功の多くがペランダ家の体制によるものだと考えている。遠征を回せるインフラを含め、運営規模の差が決定的だったというのだ。

「なぜ、あれほど良いと思っていたオバタイェを家族が売ったのかと聞かれます」とモレイラは言う。「でも私はとても現実的なんです。この馬が、まさにこの一族、ペランダ家に売られていなかったら、あのレースは勝てていません。あり得ない、あり得ないです」

「レースによっては登録料がかなり高いし、私たちには、この馬主がやっているように、あちこちへ馬を遠征させるためのインフラがありませんでした。それに私は、オバタイェは10ハロンや12ハロン向きではなく、マイラーだと思っていました」

「だから当面は短めの距離路線に据え置かれるだろうと見ていました。それでも大きいところはいくつか勝てたでしょう。でも、今ほどはやれなかった。そこに疑いはありません」

「オバタイェにあらゆるチャンスを与えてくれる相手に託せたことを、とても嬉しく、誇りに思っています。ここまで成功した馬にできたのは、彼らのおかげです」

マッチベターは、南米王者の地位を携え、フランス・パリの舞台で、世界最高の中距離馬相手に自分の力を試した。だがオバタイェがその道を辿る可能性は高くない。モレイラは、このコーティア産駒が、もう一度サンパウロ大賞に挑むことを願っている。自分自身が、何よりも勝ちたいと望むレースが、それだからだ。

海外遠征については、実現しないかもしれない。それでもモレイラは、自身と同じように地方都市のクリチバから上京して王者となったオバタイェなら、海外のG1でも十分に通用すると信じている。

「オバタイェほどではない馬がドバイターフを勝つのも見てきました。もし、先週の土曜と同じくらい良い状態で連れていけるなら、ああいうレースでも戦えると思います」

「子供の頃、夢に描いた馬でも、こんなに良い馬は想像できなかったでしょう。オバタイェのことが大好きなんです。騎手人生に残る馬です」

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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