香港ジョッキークラブが香港国際競走の度に毎年掲げる目標は多岐にわたる。中でも、数ヶ月の間に渡って最重要項目だったのが、オーストラリアからの遠征馬を招致することだった。
『芝の世界選手権』と銘打たれた香港国際競走だが、オーストラリアの調教馬がレースを制したのは23年前に遡る。さらに、G1レースとなるとその勝利は一度も無い。
1990年代から2000年代の前半は、香港国際競走はオーストラリア競馬界にとっても年末の恒例行事だった。シドニーから始まり、10月中旬のメルボルンに移行するスプリングカーニバルと被らなかったからだ。しかし、春競馬は徐々にそのスケジュールを拡大し、賞金レベルも国内の馬を引き留めるに充分な額を誇っている。
こうした事情を考慮すれば、メルボルンから3頭の遠征馬を確保できたことは、香港ジョッキークラブの成果にとって万々歳と言えるだろう。
香港ヴァーズに出走するウィズアウトアファイトは昨年、コーフィールドカップとメルボルンカップのダブル制覇を達成した史上12頭目の馬だ。香港スプリントのリコメンデイションは伏兵だが、オーストラリア最大の調教師であるキアロン・マーが初めて香港に送り込んだ馬という点では注目されるだろう
香港マイルへの出走を予定しているアンティノは、すでに香港との縁が深い一頭だ。香港に足を踏み入れたのがわずか2週間前だが、この2カ国の繋がりを感じさせるプロフィールを持っている。
2000年と2001年の香港スプリントを連覇し、最後に勝利を挙げたオーストラリア調教馬であるファルヴェロン。この馬とアンティノにはいくつか共通点が見受けられる。
まず、どちらもクイーンズランド州を拠点としている。この州は、ヴィクトリア州とニューサウスウェールズ州に次ぐ、オーストラリア第三の競馬が盛んな地域だ。
ファルヴェロンは当時海外遠征は未経験のダニー・ボーゴーア調教師が管理していた。一方、クイーンズランド州を中心に11勝の実績を持つアンティノはトニー・ゴラン調教師が管理を担当しており、彼もまた海外遠征はこれが初めてである。
ファルヴェロンはクイーンズランド最大のレースであるG1・ストラドブロークハンデキャップ(1400m)で敗れた後、メルボルンのコーフィールドギニーデーで勝利を挙げ、その後に香港スプリント初制覇を達成した。
偶然と言うべきか、今年のアンティノはストラドブロークHで敗れた後に、コーフィールドギニーデーのG1・トゥーラックハンデキャップ(1600m)を制している。そして、香港マイルへと挑戦する。
アンティノの香港遠征は運命的なものだったのかもしれない。香港のジョージ・キット・マー氏がブロッサムトレーディングアンドブリーディングカンパニー社の名義で生産したこの馬は、当時2歳だった2021年に香港在住の別の馬主、ジートゥ・ラムチャンダニ氏によって2.7万NZドル(12.3万香港ドル)で落札された。
「この夢はずっと持っていましたし、年間を通して真剣に考えてきた計画なんです」と、オーナーのラムチャンダニ氏は語る。
「オーストラリアで持ち馬を走らせて、その後香港に連れて行って世界の舞台で戦わせるというストーリーは、香港の馬主にとって素晴らしい話です。落札した当初は最初から香港で走らせるつもりでしたが、当時は獣医検査に合格できず、そのままオーストラリアで走らせることになったんです」
「香港の舞台で世界最高峰の馬たちと戦うシナリオをずっと待ち望んでいましたが、いざ実現するとなんだか信じられないものがありますね」
遠征チームのキーパーソンは、厩務員と調教助手の役割を兼ねるベイリー・ナスダーフト氏だ。彼は2020年、騎手としてブリスベンのリーディングジョッキーに輝いたが、見習い騎手の身分でタイトルを獲得したのは2003年のザック・パートン騎手以来となる快挙だった。
パートンは数週間以内に、香港で史上最多の勝利数を手にした騎手という称号を手にすることだろう。体重の問題で騎手を引退したナスダーフトは、今はパートンとは別の立場で戦っている。しかし、香港で勝利を手にするチャンスが今、目の前に迫っている。